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朝日の「竹島の日」報道

朝日が大喜びする安木市立・安田小学校の授業 領土問題を 「国際理解」にすり替える暗愚 「竹島の日」にあたる2月22日、朝日新聞は「領土問題 どう教える」と題した小早川遥平記者のレポート記事を掲載した。島根県安木市立安田小学校で、「わが国固有の領土」(中・高学習指導要領)と解説されている竹島についての授業風景、県の指導主事ら30人が見学したという。授業を担当した富山隆志教諭も相当な緊張のもとで、ある種の「枠」のなかで行ったのであろう。 この授業を実際に見学した訳ではないので一概に断定できないが、肝心の問題点が見事にぼかされている。授業の趣旨を、「竹島問題を通して、国際理解を深めるための授業」とされている。従って、県の指導は竹島が不法に占拠されている厳しい現実を教えるよりも、韓国との「国際理解」にその主眼がおかれているようだ。 領土問題における肝心の点とは何か。領土問題は領有の歴史的経緯などではなく、力による現実の実効支配が全てを制することにある。 竹島は1618年に鳥取藩の町人・大谷甚吉、村川市平衡らが開発してきたわが国固有の領土であること。さらに竹島は、戦後の日本が連合国軍によって主権を奪われている時、韓国がそのどさくさに紛れて今に至るまで軍事占領してきたことである。これを教室で教え込むことこそ、授業の要であって、「国際理解」などの友好ではない。肝心の点とは、竹島が「わが国固有の領土」であること、さらに同島が不法な軍事占領さていることの2点である。 これらを、安田小学校の藤井慎一校長に問い質したところ、この肝心ポイントはかなり抜けていることを認めていた。さらに、李承晩ラインの設定で我が同胞の被った惨禍についての認識を尋ねたところ返答できなかった。因みに、拿捕された日本の漁船は328隻、抑留された船員は3929人、死傷者は44人に上っている。  ※参考 『韓国に拿捕された船長 73日間毎日丸麦1合と大根葉の塩漬2回』    http://www.news-postseven.com/archives/20120827_139345.html 理不尽極まる同胞の惨禍と、韓国の横暴という歴史的事実を児童、生徒へ教えるべきことこそ、授業の要であるべき筈だ。しかし、「竹島の日」を条例化した島根県の小学校長をして、この認識次元では教師集団の指導レベルもそれに準じていいだろう。よって、一般国民の竹島に対する関心度も、残念ながら推して知るべしと思わざるを得ない。 レポート記事は、児童らの「資源や海産物がとれる」「韓国が不法占拠している」「世界中に(韓国がおかしい)と言う」などの意見に対して、何と!富山教諭はそれらを「おかしいって?」と否定的に誘導し、「正しい歴史でないこと」と引き出す。そのうえで同教諭は「話し合う、関心を高めあう、世界に訴える」に意見をまとめたとしている。「話し合い」に主眼を導くとした授業は、領土問題の本質をものの見事にぼかしきっている。 これでは、「地元 対立よりも対話に力」のサブタイトルが示すように、朝日新聞としては願ったり叶ったりの授業趣旨で大喜びであろう。 一方的に武力行使し、わが漁民らを殺害までしながら一切の「話し合い」拒絶する相手に、国家としての日本は何が出来るのか、武力行使を含めたあらゆる選択肢をイマジネイションさせるのが授業の目的であり、教師に課せられた使命且つ問われる力量ではないのか。 竹島問題が教科書に記述されようがされまいが、領土問題はそれて決着するものではない。教師らともども我々一般国民が家庭、地域社会でねばり強く子供らに語って聞かせ、強固な政府を動かす国民世論を形成するしか他にない。国民の声に裏打ちされた実力行使なくして、竹島問題の解決は一歩たりとも前進しない。 「竹島は日本固有の領土だ! 2月22日は竹島の日」 有楽町マリオン前、平成27年2月22日 (↓ 画像クリック拡大) 県主催の式典に総理大臣と自衛隊の統幕議長は出席せよ (平成27年2月22日 有楽町マリオン前) ありとあらゆる古文書は竹島が「日本固有の領土」であることを示す(同) 幾ら糾弾しても仕切れない韓国の軍事強奪(同) 【動画】 竹島は日本固有の領土だ!2月22日は竹島の日H27.2.22 https://www.youtube.com/watch?v=PPXPoEXHA9o ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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藤田嗣治《アッツ島玉砕》 と朝日の『戦後70年』/街宣告知

藤田嗣治と朝日の 『戦後70年 第2部 ー戦争のリアルー』 なぜ?玉砕の賛美になるのか《アッツ島玉砕》 絵の前にひざまずき合掌した日本国民 朝日新聞が『戦後70年第2部ー戦争のリアルー』(平成27年2月16日)の連載を始めているが、その連載2で藤田嗣治(つぐはる)が戦時中に描いた《アッツ島玉砕》をとりあげている。「想像の玉砕画に賛美」と題してだが、1面から2面にかけての掲載からして、このシリーズで「戦争反対」にかける朝日の力の入れようが想像できる。 たまたま当日、季節ごとの展示替えを見るため、この絵が常設展示されている竹橋の東京近代美術館に足を運んでいた。そこで今一度、この《アッツ島玉砕》(無期限貸与作品)を目にしてみた。因みに「無期限貸与作品」とは、「戦争記録画」として描かれた作品が、戦後、米軍によって戦利品として押収され、70年に日本に返却されたことを言っている。 いわゆる「戦争絵画」と称される藤田の作品などは、小磯良平らの作品と共に東京近代美術館に常設展示されている。その気になりさえすれば、この第一級の表現世界に何時でも触れることが出来るので、機会を見つけて是非ご覧になっていただきたい。 その藤田の3階コーナーに、学芸員のコメントが掲示されている。 写真と比べ画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き出す役割が期待されました。ドイツの哲学者カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです 古くから論争されて来ている「政治と芸術」の関係だが、優れた作品の価値を政治目的(先入観)によって歪めてはならないとの趣旨が婉曲に語られている。戦争絵画に対する是非を超越した鑑賞視点を述べており、誰もが納得する秀越な趣旨でなかろうか。 朝日新聞の「戦争のリアルー2」(2月17日)を取材した永井靖二編集委員も指摘している通り、 一九四三年《アッツ島玉砕》の翌年に開幕した「決戦美術展」で、この絵は熱狂的に迎えられた。特に、11月6日から青森で開かれた巡回展の反応は圧倒的であった。藤田は老いた男女が絵の前にひざまじいて合掌し拝む姿を会場で眼前にした あの時代に身をおいたなら、さもありなんと思われる光景であり、描写である。 《アッツ島玉砕》の画面は 目を凝らさないと全体も細部も判然としない暗さだ。白兵戦の末に折れ重なる日米両軍兵士たち、色彩感を意図的に排除した色調はモノクロといっても良い。 生命が燃焼しつくす最後の灯り、この薄暗さは生命の終焉を暗示する灯明に似ている。当時の人々が「絵の前にひざまじいて合掌し拝む姿」とは、敵味方を超越した、死への鎮魂を表している。 朝日は藤田の《アッツ島玉砕》を、戦争の「賛美」とか「美談」としてタイトルを打っているが、どう見ても軍国調を煽るとは思われない。《アッツ島玉砕》は敵味方を越えた死を悼む、敢えて言えば「反戦絵画」に該当するであろう。愛唱される軍歌に『麦と兵隊』があるが、歌詞を含めて皇軍兵士の戦意を煽るどころか、逆に兵士らの望郷を募らせる「反戦歌」といって良い。歌えば歌うほど、戦意の喪失は限りないだろう。両者これに良く似ている。(しかしながら、両者とも名画であり名曲であることは論ずるまでもない) 戦意昂揚を煽る軍部をして、よくぞこの「反戦絵画」と「反戦歌」を放置していたものと不可解でならない。当時の軍上層部の知のあり方が如何なるものかを考えさせられる。 今更言うまでもないが、アッツ島の戦いは一方的な銃・砲撃の前に日本軍が全滅した大本営の限りない無策の一つであった。軍はこの途轍もない無策を「玉砕」として、以後、敗北の連続を美化して行くのである。 従って、藤田が描く肉弾戦とは違っていて当たり前のことである。ところが朝日は、元兵士の談として、この絵画を「(戦場は)こんなのではねえ」(岩手県の元上等兵 93才)と大仰にタイトルが付けている。絵画芸術と政治(戦争)を意図的に混濁させており、作品の「崇高」さを否定する牽強付会も甚だしい。 大本営の敗北を「玉砕」と誤魔化す無策、無責任の追及と、《アッツ島玉砕》の絵画的価値を同列に論ずるものではない。少しは美の「崇高」に畏敬の念を抱きたいものである。 なお東京近代美術館の3階フロアーには他に《サイパン島同胞臣節を全うす》(藤田嗣治)、《娘子関をゆく》(小磯良平)の他、画業半ばで出生し、上海で病没した靉光(あいみつ)がやはり戦時下に描いた《蝶》もあわせて展示されていて一見に値する。さらに同コーナーでは藤田嗣治が戦争画と同時に描いた《猫》も展示されている。コミカルで多様な猫の姿態が、戦争画という同コーナーの重苦しさを解きほぐしている。 「いずれも人間以外の生き物の姿を借り、隠された思いを描いたものと思われてなりません」との学芸員の注釈が付け加えられている。  ※参考  ①戦場「こんなではねえ」】 戦後70年・第2部  http://www.asahi.com/articles/DA3S11605219.html  http://www.asahi.com/articles/DA3S11605176.html  ②【Art & Bell by Tora】から『究極の戦争画−藤田嗣治』  http://cardiac.exblog.jp/18590525 【街宣告知】 「竹島は日本固有の領土だ! 2月22日は竹島の日」 領土問題の決着は歴史認識や法的根拠ではない。実効支配(軍事)が全てを決定する。韓国に軍事占領されている。竹島はこの冷徹な現実を直視することから始まる。 … 続きを読む

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第7回名画鑑賞会『雲ながるる果てに』

名画鑑賞会『雲ながるる果てに』  (監督:家城巳代治 新世紀=松竹作品) <日本人は敗戦(歴史)を総括したか     特攻隊を美化する危うさを考える> 【開催趣旨】 日本人の心の繊細さ、多様性を知らずしてわが国の文化と伝統を語ることは難しい。それは感性を養う作業であり、主として我々は優れた文芸作品や名画を通し、豊かな心のあり方を会得していく。 『雲ながるる果てに』昭和28年(1953年) 出演:鶴田浩二、木村功、金子信雄、岡田英次、山田五十鈴 脚本:家城巳代治、八木保太郎 撮影:中尾駿一郎、高山弥 音楽:芥川也寸志 『雲ながるる果てに』は数多(あまた)制作された特攻隊映画の原型・古典であり、特攻隊に志願した若者の心情が余すところ無く描かれている。 戦争とは政治の延長である。政治(外交)で解決できない国家間の紛争を解決する最後の手段が戦争であり、この戦争を開始し、終結させるのも政治である。戦争終結の判断を下すのは軍人ではなく政治家である。戦争の目的は国家間の紛争解決である。従って、政治家は勝敗の帰趨が決した段階で、戦争による国民への疲弊・打撃を最小限に止め、可及的速やかに停戦協定を締結するのが、彼らに与えられた使命であり任務である。 先の大東亜戦争で敗戦濃厚な状況下にありながら、多くの特攻隊員らが軍事作戦の名の下に敵艦に向かって散華した。政治の命題と、およそ懸け離れた死を選択せざるを得なかった特攻隊員、彼らを戦後の日本人はどれだけ真剣に考えて来ただろうか。南冥(南方の大海)に散った若者らを想えば、この映画を「反戦映画」で一括りにすることは到底出来ないのである。  参考文献:   『雲の墓標』(阿川弘之)、   『太平洋戦争最後の証言 零戦・特攻編/陸軍玉砕編』(門田隆将) 日時:平成25年7月21日(日)    17:30開場 17:45上映開始 場所:文京区民センター(2-C会議室)     東京都文京区本郷 4-15-14 03(3814)6731 地図: http://www.jca.apc.org/~monsoon/bunkyoukumincenter.htm アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、      JR 水道橋 ※会場負担費:300円(任意) 主催:主権回復を目指す会 連絡:西村(090-2756-8794) ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

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「海ゆかば」を巡る顛末

何処へ失せたか!愛国保守派の威勢 数という民主主義に頼る自己満足を嘲 (あざけ) る 当ブログでも紹介した森 敬惠さんの独唱会『第12回 国分寺・日本のこころ音楽祭』が9日に行われたが、「海ゆかば」を巡って主催者側と森さんたちとで、歌うべきかどうかで騒動があった。 このことに関して ↓ 【平河総合戦略研究所メルマガ■☆☆甦れ美しい日本☆☆□□(2012年2月11日 NO.1126号 )】は『茂木弘道通信』を引用して当日の模様を伝えている。(※末尾参照) 不特定多数の読者に公開されたものであり、当ブログでも独唱会の案内をした。事の顛末は、「海ゆかば」の独唱に会場から反対の声があったが、多数決で独唱を決めたことである。これを聞いて保守の腑抜けぶりにほとほと呆れ果てた。 従って、受け手の当方もメルマガの手紙形式にならって・・・。 森 敬惠 様 ほか関係各位 『海ゆかば』の顛末を聞いてがっくりしました。なぜ?多数決で決めたのでしょう。その発案は誰だったのでしょう。 聞きたくない人には帰って貰えばいい、退出を命じても良い。多数決に委ねた判断は数を有利と見込んでのことであれば卑しい判断であります。 独唱家としての矜持があるならば、全員退出してもあなたは一人で歌わなくてはならない。それが独唱家としての誇り、思想というものではありませんか。 反対する連中がいたのだから、独唱会とは別に、「政治と文学」又は「戦争と芸術」で討論会を設ける絶好のチャンスであった。 反対派を数で“制圧“して勝った勝った、良かった良かったで悦に入っているのならば愚かとしか言い様がありません。保守派の独りよがりではありませんか。 数で否定されたら、森さんは独唱家としての理念を捨て去り、これから歌わないのですか。 また側聞するに、入口で「女系反対、男系絶対、万世一系」のパンフレットを配っていたとのこと、これは森さんが許可したのですか、余りにも場違いではありませんか。これは日本会議のパンフでしょう。彼らの音楽会を政治集会と混同する知の劣化は醜悪この上ありません。これに許可を与えた方も同様に見られても致し方がないでしょう。 さらに、同公演のチケットを西国分寺の駅前で、当日券の購入を呼び掛けていたと聞いています。 会場には、保守とか愛国などとは何の関係も無い一般の聴衆もいたはずであり、その眼前で、『海ゆかば』の歌唱をめぐる「ドタバタ劇」を繰り広げてしまったことは、極めてマズかったと言わざるを得ません。関係者にその自覚のほどの有りや無しや・・・。 音楽会は政治を語る場ではありません。日本の童謡、唱歌が日本の世界に誇る文化であり、大いに誇りを持つべきと一倍自負していますし、そのためのコンサートで全国をまわっているその姿勢を誰よりも知っています。 しかしながら、それを言葉で語ってはなりません。音楽で、森さんの歌唱力で語って頂きたい。童謡、唱歌の魅力は万、億の言葉を以てしても、歌の表現に到底敵うものではありません。ご自身の歌唱力で万、億の言葉を超越する感動を聴衆に与えて頂きたい。圧倒的な歌唱力で思想云々、戦争云々をぬかす輩の口を塞いだらいいのです。 西村修平 ◆日頃敵対する「左翼」が眼前に現れたのである。殲滅すべき、打倒すべき敵が向こうからやって来た。まさに千載一遇のチャンスではなかったのか。 なぜ、改めて彼らとの対決する場、つまり「政治と文学」「戦争と芸術」を巡る討論・対決の場を設けなかったのか残念でならない。 当日、愛国保守派の方々で会場を埋めていながら、連中と対峙することなく、ホールという限定された数に頼る民主主義で「勝った、良かった」と自己満足に陥っている。単に、敵をみすみす逃したのではない。不倶戴天の敵と戦うことを回避したのである。これは敵前逃亡ではないのか。 愛国を唱える保守派よ!「左翼」を罵倒・こき下ろす日頃の威勢の良さは何処へ行った。腑抜けモンと言われても返す言葉がないだろう。 【参考】 ◎茂木弘道通信 ☆☆甦れ美しい日本☆☆(2012年2月11日 NO.1126号)から ↓ 「日本のこころ音楽祭」をご案内させていただきましたところたくさんの方が当日ご参加くださり、また多くの方々が、メールの拡散にご協力くださりました。 お陰さまで、会場は満員の盛況でした。又一つのハプニングがありましたが、我々にとって画期的な勝利となりました。心より御礼申し上げます。  なお森敬恵さんからお礼のメールをいただいております。皆様にお伝えいただきたいとありますので、以下の通り転送いたします。 平成24年2月11日 茂木弘道 茂木様 昨日は大変お世話になりまして、本当にありがとうございました。 … 続きを読む

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