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「的はずれ」な国会議員の署名

「的はずれ」な国会議員の署名 地方議員ならぬ 「痴呆議員」が相応しい知の劣化  ここに一枚の自慢げな写真がある。米国グレンデール市に韓国人が建立した慰安婦の少女像、その前で記念写真に映る訪米した日本の地方議員らである。 glendalenewspress January 16, 2014 「子供たちの心が暖かくなる・・・」??これって何!こんなもの、「日本人を貶める歴史捏造を撤去しろ!」だろう。「アメリカは韓国の反日に加担するな!」ではないのか、少女像の撤去のために訪米したのではないのか! 一体、この地方議員らは何を考えているのだろうか。最初見たとき、てっきり米韓友好を喜ぶ韓国の議員たちと思った。まともな日本人なら、怒り心頭で顔が引きつる筈だ。大和魂をどこに投げ捨てた! これではどう見ても観光目的の物見遊山にしか見えない。本来なら逮捕・拘束を覚悟の上でこの少女像を蹴飛ばしてもいいはずだ。 少女像は日本に、強姦魔の冤罪を擦り付ける途轍もない人権侵害だ。この像の前で慰安婦像が、如何に捏造に満ち満ちた反日かを徹底糾弾する絶好の機会だった。君たち地方議員らはその冤罪を晴らすために、カンパを募るまでして訪米したのだろう。何とも情けない限りである! 上記写真はオチャラケにしか見えず、地方議員ならぬ、「痴呆議員」が相応しい表情、到底まともな日本人には見えない。知の劣化にただただ溜め息しか出てこない。 【河野談話「見直し」というまやかし】 http://nipponism.net/wordpress/?p=26496 安世鴻と捏造の少女像を糾弾! (平成22年6月26日 新宿ニコンサロン前) ところで、テキサス親父と最も親交の深い知人が、上記のブログ記事を目にした感想を寄せてきた。本人の承諾を得て掲載する。ご本人は実名で構わない、さらに政治家の名前もそのままにと述べられたが、私の一存で伏せることにした。なお、西村修平まで問い合わせがあればお答えします。 主権回復を目指す会 西村様 ご無沙汰しております。 今回の西村様の主張は私にも関係が深い為に一言、思ったことを書かせて頂こうと思いました。 この中山成彬議員や維新の署名活動の話を初めに聞いた時には正直に言うと「ジョーク」かと思いました。西村様が書かれている通り、『国会議員が署名活動』なんて全くもっておかしな話です。 しかし、何もしないよりはするべきだと思い私の方でも拡散はしました。 国会議員が我々市民団体が行うような署名活動をする事は、まともに見れば完全に「的外れな行為」であると評するしかありません。 私も西村様のお考えの通りに政治家は、政治を行うべきであると思いますし、この問題を国会でしつこく質問するのが政治家の役目だとも思っています。おまけにこの署名活動には何の戦略も戦術もないままに10万署名を集めると豪語しています。 それに1度だけ国会質問に立った杉田水脈議員を気持ち悪い程に持ち上げる保守論客陣の情けなさ。(質問の内容は当然、中山議員その他の議員や識者の入知恵がありますので悪くないと思います) 調べたところによると、この両名とも比例代表で当選したんですね。 中山成彬議員に至っては、37,198票での比例で復活です。 自分の支持者の3倍近い数の10万署名を完全に甘く見ているとしか思えません。 それか、単なるジェスチャーなのかとも思います。 中山議員には、他の議員が扱いたがらない慰安婦問題を以前より取り扱っておられますので、頑張って貰いたいとは思いますが、参謀役に優秀な人材がいないのではないかと思っています。 慰安婦問題にある程度の地位にある方が触れるとプラスに働く事は無く、ほとんどの場合は朝日新聞等に揚げ足を取られるリスクが常につきまといます。その中では、突出してこの問題を取り上げている同議員には政治家として頑張って頂きたいのですが、今回の件は残念でなりません。 国会議員は国会議員の使命を全うして頂きたいと思います。 現在、大きく分けて「河野談話」に関する署名が3つ上がっています。 1.河野談話を撤回する為の署名活動 →新しい歴史教科書を作る会  (既に6万署名を集めています)       2.河野談話を見直す為の署名 →維新の会 3.河野洋平を国会招致する為の署名 →地方議員連盟 この中で、一番まともに動いているのが「新しい歴史教科書を作る会」で、政治家ではありません。 タチが悪いのが頭の悪い地方議員連盟です。S区の○○区議と言う何にも知らないおばさんがしゃしゃり出て来て、米国に行って相手にされずに戻って来ました。完全に売名に走っています。 先日、外国人記者クラブでこの議員ともう1人が、帰国報告会を行いましたが、その後の発言が「今後は、この外国人記者クラブを中心に活動しようと思う」でした。記者に囲まれてご満悦って話です。 … 続きを読む

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河野談話「見直し」というまやかし

国会議員が署名運動の怪! 国民を惑わす「見直し」 「河野談話」は白紙撤回あるのみ! 見直しはまやかしである 各方面から、以下のメールが頻繁に送付されてきていたので要請に応じて拡散にいささかであるが協力した。 【「慰安婦問題」に関する河野談話の見直しを求める国民運動(署名活動)  日本維新の会 中山成彬】    http://nakayamanariaki.com/pdf/20140220.pdf 【“流行り”に飛びつくいやしさ】 しかしながら、なぜいま政治家が、しかも国会議員らが急に署名の国民運動などを提唱するのか、首を傾げざるを得ない。同時にふと『土佐日記』を思い出す。 私たちが親しむ古典に紀貫之(866年ー945年)の『土佐日記』がある。筆者を女性に仮託し、千年以上前に仮名を主体に綴った日本最古の日記、紀行文で以下冒頭の一節は特に知られている一文である。 男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとて、するなり(土佐日記 紀貫之) 現代語にすると、「いま巷で流行している日記を女の私もやってみようかな」とでもなるだろうか。 これをさらに、男を市民に、日記を署名運動に、女を政治家に例えればどうなるだろうか。 市民(男)がすなる署名運動(日記)といふものを、政治家(女)もしてみむとて、するなり 市民に流行っている署名運動を、国会議員の私もやってみようかな なにやら、“流行り”に飛びつく政治家のいやしさがもろに浮かび上がって仕方がない。 【国会議員の使命を忘れた署名運動】 我々は小泉訪朝数年前から、首都圏に於いて拉致究明の署名運動を展開していた。署名運動とは政治家が見向きしない課題を、国民世論に事態を浸透、認識させる市民運動である。国民世論の膨大な署名を背景に、当該課題を国政レベルから外交レベルへと、政治家と国会議員らを動かすことにある。拉致究明の署名運動がその典型例で、600万人に及ぶ署名簿の後押しを受けて小泉首相は訪朝したのであった。 遅きに失したとはいえ、署名運動にケチとか言い掛かりをつける気などは毛頭ない。しかし、政治家が表に出て来て音頭をとるものではないだろう。本末転倒といったところだ。 政治家がやる仕事は署名などの市民運動ではなく国会における政治活動であろう。国権の最高機関において、「河野談話」の白紙撤回のための論議をすることこそ、国会議員らに与えられた使命だ。そのために我々国民は多大な税金を負担している。国会議員はその税金による歳費を貰って生計(たつき)を立てている。 【敗北を総括・反省しない無責任】 「河野談話」は平成五年の産物、自民党は慰安婦強制連行を教科書にまで記載し、これに政治家らは沈黙しつつ、既に21年間を経過している。結果、海外において米国、オランダ、カナダやEUなどで日本政府を批判する慰安婦決議が採択されてしまっている。心ある日本人の一部が史料に基づき、慰安婦強制連行を否定したとしても、もう世界に定着してしまっている。ソウルの我が国大使館前と米国内に少女に模した慰安婦像が建立されて世界に受け入れられてしまって、その勢いは止まらない。 つまり、慰安婦問題は 敗北で「決着」しているのが現実である。この冷酷な現実を直視できるなら、何を今さら国会議員らが初めて事態に気づいたかのように署名などと不可解でならない。21年間、今日に至る無惨な結果を招いた無為無策の過去を、まずは総括・反省しなければ、どうしてその人となりの言動を信じられようか。 【なかったものを「見直す」まやかし】 しかも、日本維新の会は「河野談話」を撤回するのではなく、「見直し」と言っている。元々、存在しないのが慰安婦強制連行であり、ないことを謝罪したのが「河野談話」だ。「見直し」は単なる“リセット”にしか過ぎず、こんなもの撤回しかあり得ない。「見直し」はまやかしである。日本維新の会は国民を惑わしてはならない。  【参考】籾井NHK会長、為す術のない敗北   http://nipponism.net/wordpress/?p=26083 第104〜105回 アンチ「水曜デモ」 朝日新聞社前、自民党本部前 (↓ 画像クリック拡大) 第115回 アンチ「水曜デモ」 朝日新聞は慰安婦強制連行の発信元であり、未だに発信し続けている。その捏造責任を徹底追及 … 続きを読む

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「撤回」は政治を貶める無責任!

政治に横行する「撤回」という免罪符を許すな! 政治家は藤尾正行の爪の垢を煎じて飲め マルクスの共産党宣言を模すれば、今の政界には妖怪が徘徊している。「撤回」という名の妖怪が・・・。 慰安婦問題でマスコミなどから批判を浴びたことに、橋下徹大阪市長がその発言を撤回して謝罪を表明したが、騒動は収束したわけではない。政治家が己の発言に対する撤回は何も今に始まったことではないが、これほど自分ばかりか世間を、そして政治を貶め世を欺く無責任もない。撤回でもって責任が抹消されるなら、まるで無法と言っても良く、言いたい放題のやりたい放題、どれだけ政治に対する信用を失墜させることか。こんな「撤回」という免罪符を政治世界に横行させてはならない。 イジメを止めない、または嫌悪に満ちた暴言を吐き散らす子供に、教師が厳しい措置を講じたとする。彼らが教師らに対して、橋下市長ら政治家を例に挙げ、「スミマセン、『撤回』します」と反撃したら、教師は対応できないだろう。子供らによる「撤回」が横行し、学校が無法と化する。教師が、「あれは政治の世界だから、子供は真似してはいけません」とでも強弁するのだろうか。撤回で、自らの責任が追及されないのであれば、世の中に警察などいらない。 そうした最中に、自民党の高市早苗政調会長が原発再稼働に意欲を示した自身の発言について「撤回し、おわび申し上げる」と陳謝した。↓  『原発再稼働関連発言、高市氏が撤回し陳謝』   http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130619/stt13061914120004-n1.htm ここでは原発推進の是非、又は福島第一原発事故に伴う「死者」の判別基準の是非を問うものではない。問うことは政治家の信念である。高市氏は批判を浴びた途端に、自己の信念を語る前に発言の「撤回」でもって責任の回避を図った。つまり、保身を図ったのである。政調会長という要職を、自民党議員というステイタスを。 政治家とは己が実現を目指す政治を言葉で語ることであろう。政治家の信念だが、高市氏は選挙においてこの信念を語って来た筈である。信念を語らず、事実を挙げた道理でもって、批判に対して真面目に対応せず、一方的に無条件降伏をしてしまった。余りにも惨めではないか。 ここで思い出すのは藤尾正行、自民党の政治家である。1917年(大正6年)の生まれ、2006年(平成18年)に89才で他界された。第3次中曽根内閣時(1986年)に、 第109代 文部大臣に就任した。 入閣直後、1982年に始まる歴史教科書問題に関連して「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」などの論考を『文藝春秋』(1986年10月号)に掲載、己の歴史観と信念を明らかにした。 マスコミや進歩的知識人、社会党など野党から「放言大臣」と轟々たる批判を浴びたが一切動じなかった。ところが、韓国やシナが反発を示したことに中曽根首相は、藤尾の自発的な閣僚辞任を求めた。しかし、藤尾は自らの発言は間違っていないとして辞任を拒否、「発言を問題にするのであれば罷免すればよい」と主張、とうとう罷免された。藤尾は「罷免」という勲章を手に、政治家としての信念を見事貫き通したのである。 参考→ 『韓国は中共による日本侵略の手先となる』(酒井信彦)  http://sakainobuhiko.com/2012/08/post-204.html (↓ 画像クリック拡大) 都議選の最中だが河野談話の白紙撤回を求めて (自民党本部前 6月19日) 公約反故に追及の手を緩めないぞ (自民党本部前 6月19日) 第77回アンチ「水曜デモ」 (四谷四丁目交差点 6月19日) 韓国大使館前で「朝鮮人弱虫論」を支持するぞ! 【動画】 『西村修平』慰安婦強制連行「朝鮮人弱虫論」を支持するぞ! youtube http://www.youtube.com/watch?v=OxarUA6vSBA ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21156854 【告知】次回からのアンチ「水曜デモ」は 麻布の韓国大使館前で行います。 地図   駐日本大韓民国大使館 … 続きを読む

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「朝鮮人弱虫論」を支持する

中山発言を批判、『羮 (あつもの) に懲りた』橋下徹大阪市長 中山成彬議員(日本維新の会)に 反論できない朝鮮人の歴史捏造! 『羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く』という言い回しがある。一度やってしまった失敗に懲りて、用心深さが過剰となり、取り組む課題の全てが消極的又は否定的になるメンタリティーをいう。 日本維新の会の中山成彬代議士会長は7日の党代議士会で、朝鮮人元慰安婦らが日本軍によって拉致連行されたのが事実なら、朝鮮人らはそれを黙認していたのかと疑念を指摘、「そんなに朝鮮人の親は弱虫だったのか」と正鵠を射た発言をした。 これは慰安婦強制連行を言い張る朝鮮人らへ、歴史捏造を否定するか又は「朝鮮人弱虫論」のいずれを選択するかの問いとなっている。 これこそ元慰安婦や強制連行を煽る輩にとって最大のアキレス腱であり、泣き所でもあり、返答が出来ないのである。これこそ、国民から信任を託された国会議員らが議会ばかりではなく、あらゆる場で発言しなければならないこと。国民の生命・財産・安全と並んで国家の名誉を守る国会議員の使命、中山議員はこの使命を遂行した。 参考 【維新・中山氏「朝鮮人は弱虫だったのか」】産経新聞 6月8日(土)7時55分配信  http://www.shukenkaifuku.com/url/130607sankei  日本維新の会の中山成彬代議士会長は7日の党代議士会で、韓国が慰安婦問題で旧日本軍の強制性を主張していることについて「自分の子や近所の娘が連れて行かれるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人の親は弱虫だったのか。このことは日本人をおとしめ、彼らの祖先もおとしめている。こういうのはやめようというのが私の率直な気持ちだ」と述べた。  中山氏は、朝鮮半島の人口は当時2000万人余りとした上で「(一部で主張されている)20万人強制連行するということは100人に1人」とも指摘した。  中山氏の発言に対し、維新共同代表の橋下徹大阪市長は「歴史家がやるような発言は控えないといけない」と述べた。 余りにもっともな趣旨に、本来なら問題キャンペーンを激烈に展開するあの朝日新聞ですら、「朝鮮人の親は弱虫」とまで言われながら沈黙しきっている。 ところが「沈黙」する朝日新聞に代わって、橋下徹大阪市長が「歴史家がやるような発言は控えないといけない」と述べ、中山成彬議員(日本維新の会)に対してトンデモナイ説教を垂れた。 『羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く』。橋下徹大阪市長が、慰安婦問題に関する稚拙な対応で朝日新聞などによって叩かれたことが身に堪え、恐れをなしたのかは知らない。しかし、これではまるで、橋下徹大阪市長は朝日新聞の代理人ではないか。正鵠を射た中山議員の足を引っ張る発言は許されない。 許されないのは何も橋下徹大阪市長ばかりではない。「橋下ファンクラブ」を名乗る保守派が、この橋下市長による「中山批判」に沈黙し、知らない振りを演じていることだ。いくらファンとはいえ、まあまあ主義の馴れ合い、無節操にもほどがあるのではないか。 (↓ 画像クリック拡大) 篠(しの)突く雨の中で第76回目アンチ「水曜デモ」を決行(6月12日 四谷四丁目交差点) 同胞婦女子の拉致・連行を黙認した輩は民族を越えた売国奴だ! 「そんなに朝鮮人の親は弱虫だったのか(中山成彬議員)」(同) 【動画】 毎週決行!韓国大使館へアンチ「水曜デモ」H25.6.12 第76回 youtube http://www.youtube.com/watch?v=65KVzvK5Ggg ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21104170 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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「橋下無罪論」を糾す

「百人の会」理事並び役員殿 公益法人として通らない「橋下無罪論」 <「百人の会」は橋下市長の無法を煽るな> 【論争とは「事実を挙げて道理を説く」こと】 「百人の会」は私的な任意団体ではない。政治家を理事長、顧問に仰ぐNPO法人である。税制上も特段の優遇処置を受ける公益法人である。彼らは国民の税金で生計(たつき)を立てる公職者、ただの市井の一般人ではない。その法人を事務局長(増木重夫)が私物化してはいけない。 このことは辻淳子・理事長並びに中山成彬・最高顧問らへ申し述べているが、未だ返答はない。 下記は橋下大阪市長の風俗発言を批判した論考である。 ※参考  『冤罪を受け入れた橋下大阪市長』(6月4日)   http://nipponism.net/wordpress/?p=22507  『橋下発言(風俗)を支持する愚かさ』(5月14日)   http://nipponism.net/wordpress/?p=22471 論考の趣旨は橋下市長の批判を始め、市長の風俗発言を支持する「百人の会」をも厳しく批判している。これが事務局長(増木重夫)にとって、相当気にくわないらしい。見解を異にすることであれば、それはそれで論争すれば良いだけだ。 主権回復を目指す会は論争を歓迎する。論争とは「事実を挙げて道理を説く」ことであり、この前提に立てば議論を重ねることで、自らの誤謬を正し、相手の見識に触発され、お互いの理念並びに認識能力は一段と飛躍する。論争はレッテルを貼り付けたり、好き嫌いの感情を闘わす場ではない。 「事実を挙げて道理を説く」手法に従えば、口角泡を飛ばす激論であっても、感情のもつれや後味の悪さなど残らない。残るのは競技スポーツ終了時の爽やかさである。 【公益法人を私物化する「百人の会」】 そうありたいと思うなか、「百人の会」からトンデモナイ通信が会員らへ送られている。通信の中身は論点の粗さと感情論が突出して意味不明、判然としないが、主権回復を目指す会と西村修平が公開した橋下批判に対する反論であるのは間違いない(↑※参考)。 重複するが、論争とは「事実を挙げて道理を説く」ことであり、この前提から逸脱してはならない。あの人が好きとか、この人が嫌いとかの感情を闘わす場ではないのである。 この事務局長(増木重夫)は「百人の会」を何処までが個人で、何処までが公益法人なのか区別せず、法人としてあるまじき公私混同をしている。つまり、ごちゃ混ぜである。NPOを隠れ蓑にし、又は政治家を人寄せパンダにする公益法人の私物化とも言える。こんなものに、政治家らが名を連ねては見苦しいこと限りがない。 ↓【参考】「百人の会」通信(June 08, 2013 3:34 PM) ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 百人の会は橋下ファンクラブ? 先日某氏より、「百人の会は橋下ファンクラブ」と指摘された。 ハイ、そうです。と返答しよう。「百人の会というより、私個人は」の方が正確だろう。 百人の会は橋下ファンクラブであり、安倍ファンクラブであり、中山成彬、ひげ>の隊長、山谷さん、赤池さん、江藤さん・・・・・・等々のファンクラブの集合体である。少なくとも福島瑞穂のファンクラブではない。これは地球が三角になっても間違いない。会員各位、それぞれ応援する人がいる。「〜派」とでも呼ぼうか。私は96条改革派! だから、維新も自民も応援する。 今回は故あって、維新のN氏を担いでいる。それぞれ支持する方々の情報をどんどん送ってほしい。 我々が支持する政治家の些細な粗探しをし、誹謗中傷をし、悦に入っている人もいるが、「じゃああなたは共産党か」と言いたい。我々に近い思想を持つ政治家を応援する、もっと具体的な案を出していただきたい。 反対意見にはみんなが納得いく代案を。独善的意見や、代案のない反対意見は 単なる「いちゃもん屋」「ケチツケ屋」に過ぎない。   マスキ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 【政治家を芸能人扱いする堕落】 上記の増木重夫の論点は相変わらず支離滅裂で意味不明だが、まず初歩的認識においてズレている。この点を正さなければ、議論は成立しない。 彼が挙げる橋下、安倍、中山、ひげの隊長、山谷、赤池、江藤は政治家であって芸能人ではない。何回も言うが、彼ら政治家は国民の税金で禄を食む公職者である。断じて一般人ではない。 政治家という公職者は、常に24時間に亘り選挙民、納税者という国民の監視下におかれ、批判に晒される。これも厳然たる職務の一つである。これを受け入れることが出来ないなら、政治家を辞めれば良いだけだ。批判に耐えられなければ、自称ファンクラブも解散すれば良いだけだ。 批判が納得できず、気にくわなければ「事実を挙げて道理を説く」でもって反批判を加えれば良い。そうした相互批判の応酬で、互いの政治理念なるものが鍛え上げられる。 論理(事実を挙げて道理を説く)でもって相手を批判できなければ、単なる好き嫌いの感情論の応酬に行き着くだけで、極めて低次元に陥る。至極当然の結末だが、相手を「些細な粗探し、誹謗中傷」という一括りでしか対応できなくなる。実に短絡的で、新大久保デモで「殺せ」を連発する連中に相通ずる発想がある。 … 続きを読む

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