タグ別アーカイブ: 自民党

「人徳」を問われるべきは谷垣自身である

谷垣自民党総裁自身が首相を名乗り出よ! 菅直人首相に「人徳、力量がない」と、首相の退任要求を言い放つのであれば、なぜ谷垣自民党総裁自身が首相を名乗り出ないのか。「先ず隗より始めよ」(戦国策)と言いたい。 「人徳」までに言及するのであれば、谷垣自身が野党党首として菅首相の代わりを名乗り出なければならない。 それをしないのは卑怯の限りで、「人徳」を問われるべきは谷垣自身である。 なぜ、「人徳、力量」のある首相に相応しい人物を具体的に推すことが出来ないのか。 しきりに自民党と小沢一郎に同調する民主党の議員にしても、菅首相の力量をあげつらうだけだ。 あげつらうだけあげつらうが、それに代わる具体論を提起するものが誰一人としていない。 提起できない、する者もいない。つまるところ、菅首相のいす取りにしかその目的がないのは明白の限りである。 震災直後、菅首相は自民党に対して「挙国一致内閣」への協力を打診した。しかし、谷垣がこれを拒絶した経緯を国民と被災者は忘れていない。 未曾有の危機の渦中において、被災者の心情を思えば、あきれ果てたを通り越し、おぞましさの限りを国民に見せつけた。利権分配集団の行き着くところの醜態だ。 「菅降ろし」に狂奔する利権分配集団とその取り巻き「保守」に朝日新聞は正鵠を射た見解を述べている。謙虚に耳を傾けようではないか。 抜粋だが 朝日新聞(6月2日)「現実見ぬ政治の惨状」 編集委員:根本清樹  政治が小さい。  日本はなお前代未聞の非常時にある。一時は「挙国一致」といった美辞もうたわれたが、行き着いた先はむき出しの政争である。大所高所からの賢慮を踏まえた大きな政治を望むのは、お門違いということか。  日本が直面する事態の深刻さと、政治家たちのふるまいに見える日常感覚との巨大な落差に目がくらむ。われらが選良の思考回路は、3・11前の平時に戻ってしまったようだ。 (略) 当然ながら、総辞職した場合に後継をどう速やかに選ぶのかという絵図もない。自民、公明両党にもシナリオがあるようには見えない。現実を直視しない政治の惨状というほかない。 主権回復を目指す会は震災直後の3月14日、声明文で、菅直人政権は挙国一致内閣として思想信条などの見解の相違は副次的問題として棚上げすべきと訴えた。これは今も変わらない。今なお、我が国は戦争状態であるから。 【緊急声明】 <災害は挙国一致体制で挑む戦争 ━ 菅内閣は挙国一致内閣である> 国難を民主党批判にすり替える知性の堕落 平成23年3月14日 主権回復を目指す会 災害という国難は、挙国一致体制で挑む戦争である。我が国は死者数万に上るであろう未曾有の国難におかれている。 この事態に直面しながら、国難を民主党批判にすり替える知性の堕落に唖然とするばかりである。 民主党批判を混乱の最中に持ち出し、自民党・「保守」の支持運動を展開するならば、阪神淡路大震災の時、旧社会党の村山を傀儡政権にし、火災炎上中に朝食会を開きながらテレビに見入っていた自民党をなぜ徹底的に批判できないのか、ダブルスタンダードも甚だしい。 自民党の無為無策のため、16年前の震災で生存するべき如何に多くの国民が圧死、焼き殺されたのか分からない。この自民党の犯罪ともいえる無能を意図的にスルーする言動は欺瞞極まりなく、見苦しくてならない。 海外メディアが報道する「世界が日本人を絶賛」なる災害時の日本人の“行儀”の良さを紹介し悦に入りながら、一方では政府、東電の情報の混乱をまるで鬼の首を取ったかのように糾弾しているが、戦闘時における情報の混乱は必ずつきまとうものではないか。思い上がるなと言いたい。 戦争時における混乱に乗じて、無い物ねだりをする欲望民主主義はまさしく幼児的な知の劣化である。それどころか、非国民と言っても差し支えない。どさくさに紛れて民主党批判に問題をすり替える醜態は、まさしく言論の「火事場泥棒」そのものだ。 我々に課せられている最大の課題は被災者の救援と安全の確保、被災地のインフラ復旧である。この最大の喫緊課題を遂行する前に、政治思想信条などあらゆる見解の相違は二次的・三次的、副次的な問題として対処しなければならない。 主権回復を目指す会は現菅内閣を挙国一致内閣として、国民がこの体制の下で被災者救援、災害復旧に全力を尽くすべきと考える。 ※声明・主張 INDEX#51 より 【参考】↓行動・活動記録 INDEX#429  http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2011/110315.html 国民は菅首相の東電叱咤を断固支持する … 続きを読む

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

愛国「保守」よ何処へ

愛国「保守」と称される組織に「頑張れ日本!全国行動委員会」と「たちあがれ日本」の大きな組織があり、尖閣諸島や竹島などでは街頭で大勢の動員をかけて領土問題を訴えている。著名人を代表者に据えているところが、両組織に共通しており、動員の最大の武器となっている。 頑張れ日本!全国行動委員会(会長・田母神俊雄、幹事長・水島 総) たちあがれ日本(代表・平沼赳夫、幹事長・園田博之、参議院幹事長代理・中山恭子) この度のKKRが強行したシナ大使館への土地売却に、全く反応を示さなかった事について、両組織の代表は然るべき釈明をしなければならないだろう。 両組織はそれぞれ会則を設け、会費を徴収し、さらに領土問題のデモや集会ではカンパまで行っていると聞く。 今回、KKRの抗議に参加した人たちから、この組織に「抗議行動」を訴えてもあやふやな返事で無視されたと怒りの声が上がっている。「領土問題のデモや集会ではカンパまで行っている」のであれば、これは“鷺”行為ではないかとの声も。 会長ら著名人は舞台で言えば俳優、動員されたデモ参加者らは観客といえる。俳優を含めた舞台制作者は、観客に納得のいく舞台を見せなければならないのは当たり前のこと。 観客らが舞台に納得がいかなければ、「金返せ!」と野次られるのは、これまた当然である。 抗議行動の要請まで受けているのだから、両組織の代表並びに幹事らは「知らなかった」でスルー出来るはずはないと思う。 現実の問題が目の前に提起されたら、日頃の国士ぶりを一変させ、腰を引くのは今に始まったことではないが・・・。 思はざる裏と表の言の葉にほとほと褪(あ)せし夜会の薄衣 ※夜会の薄衣 パーティドレス      KKRの土地売却破棄で、この間の抗議行動を共にした児島謙剛君から論考が寄せられている。 そのタイトルは <愛国「保守」よ何処へ>。 <愛国「保守」よ何処へ> ~組織的抵抗なき戦闘の終結~ 主権回復を目指す会では、計5日間にわたり、KKRが入居する九段合同庁舎→財務省→再び九段合同庁舎と場所を変え、冷たい雨が降りしきる中、真夏の日差しが照りつける中、限られた人数ではあったが、早朝から夕刻まで力の限りの抗議活動を展開した。 しかしながら、力及ばず、最終期限であった5月25日(水)の午前中に、KKRとシナ中共大使館との間で正式な売買契約の締結に至ったことは周知の通りである。 言い表しようのない“虚しさ”の余韻が漂う同日夜、私はこの問題に関する所感を述べた際、ある方から「そのように(保守を一括りにして)総括するのをやめて頂けませんか」との反発を受けた。 「保守」に対する批判の言葉が癇に障ったのだろうか? 定かではないが、いずれにしても、私は事あるごとに「保守」派や「自民党応援団」への批判を繰り返しているので、そういった方々から感情的な反発を受けることには慣れている。理性的な反論でなければ、特に意に介することは無い。 聞くところによれば、その方は、25日の午後、KKR前での抗議活動に参加されたのだという。愛国「保守」を自任する一員として、たとえ1名や2名でも抗議を敢行されたのであれば、それは評価に値する。少なくとも、何もしなかった人たちに比べれば格段に立派だ。 しかし、以下のことには言及せざるを得ない。 日頃から愛国を訴え、「中国の侵略阻止」「尖閣諸島の死守」を声高に叫ぶ著名な「保守」系の団体であれば、たとえ平日でも、その気になれば、300名~400名を動員することはできたはずだ。パイプを持つ国会議員に働きかけて、売却を阻止するために奔走することもできたはずだ。 だが、最後まで、そのような組織的な動きは見られなかった。これでは、「保守が何もしなかった」と言われても仕方あるまい。 これは感情的な好き嫌いの問題ではない。具体的かつ客観的な事実である。 上記の方もまた、この事実を受け止めなければならない。 かくして、日本人が組織的な抵抗を見せることなく、この領土の死守、奪還は完敗で終結を迎えたのである。 絶滅を免れた日本人、殲滅を免れたゲリラを自負する我々に今できることは、“虚しさ”に耐え、この現実を受け入れることに他ならない。   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

カテゴリー: つれづれ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

【KKR続報】恥辱極まる敗北【シナへの領土売却】

目前の領土侵略に目を瞑った保守派の偽善 抵抗せずに奪われた日本領土 平成23年5月25日、正午、国家公務員共済組合連合会(KKR)の土地1,700坪余りがシナ大使館へ、正式に“売却”された。 KKRが組合法を無視して、震災のどさくさに紛れてシナへ都心の一等地を落札させたのだが、これに対する日本人の、特に日頃から領土の死守、奪還を叫ぶ保守派の抵抗が皆無に等しかった。 年金目減りに汲々とする国家権力(KKR)が金に目が眩んで我が国領土をシナに差し出した。 シナは何の抵抗をも受けず、都心の一等地を手中にした。見事なまでの侵略であり、日本にとって無惨な恥辱極まる敗北であった。 河野談話などと並んで、平成23年5月25日、これは日本の歴史に銘記される恥辱の記念日の一つとなるだろう。 無惨極まる屈辱の現実、つまり虚しさにも繋がるのだが、覚悟を決めて受け入れるばかりである。我々の闘いとは、いかにこの虚しさに耐え得るかに行き着くのだ。 「尖閣諸島死守」「竹島奪還」などなどの愛国用語が、尖閣諸島や竹島に対して死守とか奪還なる抽象を叫び語るのは、ある意味とても簡単で便利な用語である。 我々一国民が尖閣諸島死守、竹島奪還を叫んだとしても、尖閣も竹島も洋上遠く近づくことすら出来ない。死守しようにも、奪還しようにも出来ない。つまり不可能なのである。この現実を直視すれば、愛国保守にとって、これほど便利で簡単な用語もない。 だが今回はどうだろう。シナが手中にした領土は東京のど真ん中である。東シナ海や南シナ海の洋上に浮かぶ孤島ではない。毎日、東京都民が目の前に歩いている領土である。 都心の一等地は洋上遠くの離れ島ではない。幾らでも命を賭けて守り、奪還が出来る目の前の“領土”ではないか。 目前に命を賭ける領土が存在する。まさに愛国保守の出番だった。日頃の死守、奪還を叫ぶ真実性が愛国陣営に問われたのだが・・・。 その真実性を証明する絶好の場に、今回は日頃から領土を守れと叫んでいたこれら保守派の姿が、KKRとそれを監督する財務省前に見い出せなかった。 (↑詳しい解説は画像をクリック) 洋上遠くの離れ島なら、幾らでも人は命をかけて奪還を叫べる。なぜ叫ぶことが出来るか、それは命を賭けようにも現実、目前にないから命の賭けようがない。 しかしながら目前の都心の一等地ならば、人は具体的に己一つの命を賭ける現実に向き合わされる。 そうなのだ。 人は簡単に威勢のいい言葉を乱発して悦に入る。しかし、後日、彼らは口にしたその言葉の証明を求められる。まさに今回は死守、奪還を証明する好機だったが、最高の舞台をボイコットしたのである。 保守派を名乗る組織は目の前で行われたシナの領土侵略に全く抵抗を示さなかった。 ボイコットしたのである。 国会議員、こと領土議連などは、「国民の生命・財産・安全・国家の名誉を守る」ことが使命の筈だが・・・目前の侵略に目を瞑った。 領土の売却を危惧する国民の呼び掛けに、彼ら国会議員はとうとう応じなかった。税金で生計(たつき)を立てていることからして、不作為ともいえる犯罪行為ではないか。 しかしながら、10名そこそこの人々は財務省とKKR前に座り込んだ。また心ある遠方の方々がそれぞれの手段で、領土の切り売りに反対を叫んだ。彼らは国会議員の使命と義務を見事、その代わりに務めたのだ。 領土奪還、死守を日頃叫ぶ保守派の組織は、目の前で行われるシナの領土侵略をただ見守るだけであった。   平成23年5月25日、我が民族はこの日を、恥辱として歴史に銘記しよう。 力及ばずして倒れるは辞さないが、力尽くさずして倒れるを拒否する   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

カテゴリー: お知らせ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法

 主権回復を目指す会の活動に参加している児島謙剛君が説得力ある論考を述べているので紹介したい。  読後の感想を一首にしたためて見た   易水の壮士を気取るますらをの悪酒に憑(つ)かれし酔ひのかなしさ        ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………       【参考】『史記・刺客列傳』        風 蕭蕭(せうせう)として 易水(えきすゐ) 寒く ,壯士 一たび去りて 復(ま)た還(かへ)らす   <阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法>   「日本賛美論」に酔い痴れる保守派の恍惚  平成23年5月3日  主権回復を目指す会 児島謙剛  「酔い痴れる(よいしれる)」とは、良くできた本質を突く日本語である。 確かに、これだけ「日本賛美のフルコース」を並べ立てられれば、「保守」は嬉々として酔い痴れるであろう。彼らには「痴」の文字こそが相応しい。 4月27日に開かれた「大震災復興支援『正論』講演会」(産経新聞社主催)における櫻井よしこ女史の講演の書き起こしを拝読した。 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723000025-n1.htm (→関連リンク:http://megalodon.jp/2013-0824-1333-26/photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/04/0427seiron/) ここから見て取れるものは、まさしく今般の大震災によって浮き彫りになった「保守」の欺瞞、まやかし、ごまかしに他ならない。 櫻井女史の誤謬として、以下の3点を挙げることができる。 【1.盲目的な日本人賛美】 女史曰く、大震災を通じて見えてきた日本人の姿は、この上なく立派であり、絶望してもおかしくない中で、沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿を見せてくれた、とのことである。 果たして、そうであろうか? 被災地で横行した数々の姑息な「火事場泥棒」「コソ泥」、人々の善意に付け込んだ悪質な募金詐欺、自分さえ助かれば後はどうでも良いと言わんばかりの身勝手な買い占め騒動・・・これらの一体どこが「沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿」なのだろうか? 人の不幸に付け込む輩は何処の国にも存在する。「火事場泥棒」なる言葉は歴とした日本語ではないのか。日本人が他の外国人に比べて格段に優れているわけではないのだ。 海外メディアがいかに日本を「絶賛」しようともそれは勝手であるが、日本人自身がそれに酔い痴れている場合でないことだけは確かである。 【2.盲目的な自衛隊賛美】 女史曰く、菅首相は自衛隊に「感謝する」と言ったが、それだけでは足りず、さらなる栄誉を与えなければならない、とのことである。 現場の最前線で、自衛隊の人たちが誠実に任務を果たしてくれているというのは、確かにその通りだろう。我々日本国民一人一人が内心で彼らに感謝の心を持つことには何の異論も無い。 しかし、他でもない産経新聞の報道によってもたらされた自衛隊の姿とは、以下のようなものであった。  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm 災害とは、すなわち「戦争」であり、被災地とは、すなわち「戦場」である。 戦場で戦う兵士にとって、遺体の収容とは避けて通れない任務であり、車座で痛みを共有しなければそれを遂行できないほどの脆弱なメンタリティーであれば、我々はそこにプロ集団としての矜持を見出すことができず、「国軍」の称号を与えることなど到底できはしない。 過酷な言い方に聞こえるかもしれないが、遺体の収容に従事した自衛隊員は、プロとして当然の職務を遂行したまでのことであり、それ自体が特別な賞賛に値するわけではない。 … 続きを読む

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

節電に思う 玉音放送を忘れるな!

忘れるな!玉音放送「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」 産経新聞は自民党と電力業界のご用聞きか  6日の記者会見で、首相は浜岡原発が東海地震の震源域内にあることを指摘し、「文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫している。防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要だ」と強調した。その上で、中部電力へ停止要請すると述べた。  これを受けて中部電力は9日、臨時取締役会を開き、菅首相から要請を受けていた浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面停止を受け入れることを決めた。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110509-OYT1T00803.htm(2011年5月9日17時22分 読売新聞)  工事詳細、日程などは既に報道されているとおりで、国民に対して情報は伝達されている。  地震予知をはじめ防災など政府肝いりの各機関が口を揃えて警告を発しているのが東海地震である。静岡県~御前崎沖を震源域とする巨大地震で何時来てもおかしくないと断定している。「何時来てもおかしくない」、つまり今日でも明日にでも、今この時間に来ても不思議でないことを指している。  今来てもおかしくない、その震源地の真上に位置するのが、菅首相が停止要請した浜岡原子力発電所である。  今回の東日本大震災よりも確実に、しかも早くこの浜岡の地を襲うと国が予知しているのが東海地震、この度は順序が逆になったのである。  福島第一の事故処理さえ未だ定かでない時期に、東海地震が襲ったら正しく日本沈没そのものとなる。こうした状況を踏まえた上で、菅総理は停止要請を判断したのである。  「危ない、危ない」と言い続けられ、自民・公明の連立政権は危機への対応を何ら施さないまま、政権は民主党へと代わって今に至って来た。この度、民主党の菅総理が初めて「停止」の決断を下した。  この首相の決断に、大阪府の橋下徹知事はいち早く、「停止要請は大英断、関西の電気を融通したい」と支持を表明した。さらに特筆すべきなのが鈴木修・スズキ会長兼社長の見解である。これは国民全員で熟読したい。 【原発停止要請「正しかった」…スズキ会長】  http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866922/news/20110508-OYT1T00051.htm  菅首相が中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の運転停止を要請したことについて、鈴木修・スズキ会長兼社長は7日、報道陣の取材に応じ、「(東日本大震災後の)福島第一原発の状況を見れば、浜岡原発が受ける被害はもっと大きくなるだろう。国の最高決定権者として正しかった」と、一定の評価を示した。  自社の生産活動などへの影響については「仮定の問題なので答えられない」とした上で、「大きな問題にならないようにみんなで協力してやっていけばいい。生活を切り下げ、質素、倹約をしていくべきだ。首相は記者会見の時に、国民に生活様式を変えてくださいと広く訴えるべきだった」と持論を展開した。 (2011年5月8日10時43分 読売新聞)  これぞ企業の社会的責任ではないのか。我々国民は見習うべきだ。  原発事故の目途すら立たない今、平時ではない。国民の生命と国土が危険に晒さらされている戦時である。目に見えない巨大な自然という敵を相手に戦争をしている。民主主義(多数決)的手法は平和時に最も理想とする政治形態だが、今は一刻を争う緊急時である。議論を費やしている時間はなく、小田原評定で災難を拡大・深化させてはならない  徳俵にかろうじて乗っているのが日本だとすれば、悠長な手続きとか根回し(利権の調整)に一国の総理が拘束されてはならない。民主主義で選任された首相は国民の信任を受けている。戦時において、国民が総理に望むのは確固とした信念に基づく決断である。決断に基づく結果は、全て総理と信任を与えた我々国民が受け入れるのである。それが民主主義ではないのか。  従って、民主主義という政治形態はある条件において、とてつもないコストを有権者は負担するのである。  自民党を利権分配集団の本家(兄貴)とすれば、分家(舎弟)に当たるのが民主党だ。どっちもどっちで、その歴史認識や外交等々、いずれに亘っても同調するところなど欠片もない。欠片どころか、真っ向から糾弾してきたが、今は平時ではなく、国民の生命と国土が危険に晒さらされている戦時である。目に見えない巨大な自然という敵を相手に戦争をしている。政争に明け暮れ、敵と戦わない国民、政治家は非国民に値する。  その「非国民」とも思われるのが保守派とされる産経新聞、8日朝刊の一面が菅総理の停止要請に、「百出する難問 拙速要請鮮明」と題して批判記事を載せた。中部電力が停止要請を受け入れれば「予想も出来ない大停電が起こる」とか、業績悪化で株主訴訟を起こされるなどと脅迫めいた内容でさえある。  「力なくこう漏らした」とする電力社員の不安に同情を示して、この記事はこう締めくくる。「唐突要請の影響は、今後さらに広がる恐れがある」と!  先の大戦、大東亜戦争を我が国民はどう戦ったのか。挙国一致体制の下、各家庭や個人は鍋釜、貴金属類を国家へ供出し、米英支蘇相手に総力戦を戦ったことを忘れはしない。国家が東日本大震災で強烈なダメージを受け、今更に東海地震という敵が牙を剥いて襲いかからんとしている。  今は戦時である。国家が貴金属の代わりに「節電」を国民に呼び掛けている。灯火管制ではなく、照明を抑えて欲しい。冷房を切るのではなく、温度を調節して欲しい、扇風機ではどうか、等々・・・。  たかが節電ではないか。その節電すら協力出来ないとする産経新聞は欲望民主主義の権化、「非国民」に値する。  産経新聞とこれに同調する日本人よ!玉音放送「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」を忘れたかと言いたい。  「今後さらに(不安が)広がる恐れがある」ともっともらしい理屈を並べているが、他でもない、産経新聞が警鐘を鳴らす「風評被害」を己自身で煽っているのではないのか。自民党と電力業界のご用聞き新聞に成り下がるな。 山あひの鄙(ひな)びた駅舎に風霜の華やぎ添ふる薄墨桜     ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。
75 / 75« 先頭...102030...7172737475