主権回復を目指す会が今年六月で五年目を迎えた。一つの節目と言うことで、先日、酒井信彦先生(元東大教授)、栗原宏文先生(元愛媛大教授)、古賀俊昭都議ら顧問をお招きし、会立ち上げ時の発起人や活動に関わっている方々と共にささやかな懇親会を開催した。
← 神保町で行われた5周年懇親会
(左から栗原、酒井両先生)
会の発足をたどれば、20数年前に酒井先生が立ち上げていた「自由チベット協議会」の活動にその原点があった。酒井先生は、当時から「今日のチベットは明日の日本」と言う主旨で活動を一貫してきており、十数人に満たない人員で、デモ行進やシナ大使館への抗議を闘っていた。時流を追っかける一つ覚えの「フリーチベット」とはかなり趣はちがう。何が異なるのか、一貫するのはチベット独立とシナ人の侵略主義糾弾である。
シナに侵略されたチベットの酸鼻極まる惨状を取り上げ、「今日のチベットは明日の日本」だとして、日本人へ警鐘を乱打して来ている。「自由チベット協議会」の活動は、弾圧に怯まず抵抗するチベット人への共感にあるのは言うまでもないが、チベット人が「可哀想」などの単純な人道主義ではない。シナ人の侵略に、日本人は立ち上がれ!、シナと闘うチベット人の精神に学べ!の檄を飛ばし続けてきたのだ。
当時のチラシ、会場には小林よしのり氏も応援に駆け付け、この模様を『新ゴーマニズム宣言 (9) 』第110章「見て見ぬふりされてるチベットでの民族浄化」(小学館文庫)で取り上げている。
主権回復を目指す会の運動理念は、このシナ人の侵略と闘うことであり、シナ人の侵略から我が領土を保守することに運動の核を明確に据えている。抽象的な「国体」とか「伝統」の保守を叫ぶ「保守派」とは異なる。
そもそも当会発足の動機は、内弁慶を決め込む保守派のきれい事を打ち破り、勉強会で知識を蓄えるサロンから抜け出すことであった。内輪でシナや反日左翼を罵って互いを慰め合い、一時の溜飲を下げて満足するのが、いわゆる保守派の運動であった。寺山修司ではないが、「書をすてて街に出よ!」だった。
シナ人から奪った“戦利品”の五星紅旗を口に銜え一休み(平成20年4月26日 長野市内) ↑ 画像クリック拡大 |
シナ人へチベット人虐殺の遺体を突き付ける沼山光洋副代表(同じ) |
写真はいずれも『シナ侵略主義の目論見を「台無しにした」(環球時報)戦いに誇りと自信を持て!』から http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2008/080426.html |
脆弱なメンタリティー故、保守派は「デモ行進」が出来ない、「日の丸」を掲げて街にでられない、「辻演説」が出来ない、さらに中国を「シナ」とも呼べなかった。(参考:「シナ」は世界の共通語)
当会が当初掲げていた目標の一つに保守陣営における「4ない」の克服があった。
「4ない」とは
① 「デモ行進」が出来ない ② 「日の丸」を掲げられない ③ 「街宣」が出来ない ④ 中国を「シナ」と呼べない |
上記4つが「出来ない」だったのである。この4つが出来ないということは、保守派は日本人という意識を明確にした愛国運動が出来ないでいたのである。
理由は「右翼にされてしまう、左翼からの妨害が怖い」などであった。保守派は講演会とか懇親会で、意気盛んに愛国を吹聴するが、何か事が生じれば内にこもる書斎・サロン派に徹していた。
会創設5年目にして振り返り、上記4つは保守派も普通に出来る状況になった。当会は、ネットを通じて広がる愛国保守運動において、上記の4つの目標はほぼ成し遂げたと考える。
しかしながら、激烈な思想・理論運動、活動経験などなど、いわゆる左翼運動と比べれば、我々はようやく呱々の声を上げたばかりの赤子と自覚していい。
社会情勢は刻々と変化する。運動はこの変化する情勢に対応できなければ、社会の変革運動となり得ない。でなければ、“愛国”に酔い痴れるエキセントリックな排外主義やストレス発散の自己満足から脱却できないままだ。
因みに当会が主唱したのは、<「語る」運動から「行動」する運動>であって、決して「行動する保守」運動ではない。
そもそも<「語る」運動から「行動」する運動>の標題は、運動の仲間である三輪和雄氏にそのイメージを拝借している。古賀俊昭、土屋たかゆき、田代ひろしの三都議が訴えられた増田みや子の人権侵害を巡る裁判闘争だった。その控訴審第2回口頭弁論が平成19年10月11日、東京高裁で行われた。
その裁判報告集会で、三輪氏は我々の高裁前での街宣を取り上げ、保守派の行儀良さ、きれい事を批判した。「議論を語ってばかりではなく、これからは行動する運動で行こうではないか」と挨拶された。
主権回復を目指す会は<「語る」運動から「行動」する運動>を提唱してきたのである。当会は決して「行動する保守」ではない。
これ以降、当会は<『語る』運動から『行動する』運動へ>を掲げて来た。
<『語る』運動から『行動する』運動へ>を呼び掛け、大江健三郎の人権侵害と彼の著作(沖縄ノート)を出版し続ける岩波書店の反日・売国を糾した。
← 岩波書店前でマイクを握る在特会の桜井誠氏
この流れを受けて、<「語る」運動から「行動」する運動>の激論会が開かれた。
靖国会館で150名が参加、司会・西村修平、討論会には、村田春樹、瀬戸弘幸、桜井誠、有門大輔の各氏がパネラーとして登壇。
↑ ネット上の愛国運動が始まらんとする熱気が溢れかえった会場
瀬戸弘幸氏が『行動する』運動に絶大なる支援をと訴えた →
「行動する保守」としてネット上で流布されているが、主権回復を目指す会はあくまで社会の変革運動体である。誰が、いつ頃か定かではないが、主権回復を目指す会が愛国陣営に檄を飛ばしたのは、<「語る」運動から「行動」する運動>であって、「行動する保守運動」ではない。
(続く)
五周年を祝して 古賀 俊昭 都議