1+1を2と言えば馬鹿と罵り、誰もが否定し得ない原発事故を指摘すれば「サヨク」と決めつけ、撒き散らされる放射性物質は健康に良いとし、地域社会を破壊させた電力会社を守り抜けと叫ぶ、汚染区域が安全だと帰宅させられる住民のモルモット化・・・、何が起きても責任は全て「人災」に転嫁する知の崩落、夢か現(うつつ)か平成日本。
21日の朝日新聞をはじめとした主要五紙に「意見広告」が掲載された。
広告主は「国家基本問題研究所」(理事長 櫻井よしこ 副理事長 田久保忠衛)
http://jinf.jp/wp-content/uploads/2011/10/11.10.%E6%84%8F%E8%A6%8B%E5%BA%83%E5%91%8A.jpg
意見広告の趣旨は「選ぶべき道は脱原発の道ではありません」とある。なぜ明確に推進を主張しないか定かでないが、福島第一事故は「人災」であり、「日本の原発技術は優秀だった」と強調している。事故原因は、人災を引き起こした「管理」にあり、運用する技術は「優秀」だとし、原発の維持(推進)を訴えている。
「技術」と「管理(運用)」は一体であり、不可分の関係である。この二つは分離して発想するものではない。福島第一事故を例にとれば、原発の管理をまともに「運用」できずに、どうしてその「技術が素晴らしい」などと言えようか。論理の乖離も甚だしい。
しかも、「原発の安全性は飛躍的に高まっています」と。それならば、その具体例を示してもらいたい。意見広告の「国家基本問題研究所」に尋ねたいが、再処理施設のある六ヶ所村の現状を真面目に考えたことがあるのだろうか。あそこに、櫻井よしこ女史が自慢する自前の「優秀」な技術があるなら教えて欲しい。
全てをフランスのアレバ社に丸投げしているのではないのか。何らかのトラブル、事故が起きたとしても、日本は強制的な立ち入り検査さえ出来ない。これを一つとっても、「原発の安全性は飛躍的に高まっています」など言えないはずである。
六ヶ所村には我が国の主権が存在しない。フランス領六ヶ所村と言ってもいい。常日頃、愛国を語る保守陣営の「国家基本問題研究所」の方々は、名を連ねて意見広告を出した以上、「保守派」の矜持を持ってこれらの疑念に答えて頂きたい。ましてや、櫻井よしこ女史におかれては薬害エイズ問題で政府の無策・無責任を厳しく追及して、国民の健康を守るために尽力された華々しい実績がある。
レベル7の放射性物質がまき散らされ、成長期の過程にある福島の子供たちが健康を脅かされている。原発維持を訴えるより、この健康問題こそ、薬害エイズで活躍された櫻井よしこ女史が取り組むべき問題ではないのか。
【参考】『阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法』
http://nipponism.net/wordpress/?p=444
「脱原発!愛国デモ行進(10月22日)」ご報告
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=715(ブログ まき やすとも 政経調査会)から |
午後12時30分、渋谷・神宮通り公園にて集会が開催され主催者挨拶連帯声明文、そして決議文朗読に続き、宣伝カーと日の丸先頭にして1時より、40分をかけて渋谷駅周辺をデモ行進した。 沿道の通行人が声援や拍手を送るなど反応は良く、途中からの参加もあり40名程のデモ行進となった。 福島第一原発の放射能漏れに対し、収束の目途も立たぬ状態で、未だ国民の危機感は高い中での脱原発デモ。 集会における私(槇 泰智)の挨拶: 原発を抱える自治体では電源三法の補助金によって、健康・福祉施設や体育施設、娯楽場など立派な公共施設が建設され住民はこれらの恩恵を得て、優雅な暮らしを享受できている。 イスラム教の教えでは「目には目を」「歯に歯を」、という言葉がある。 福島の住民達は今般の原発事故によって、今まで受けていた福祉施設利用等における恩恵を受けられなくなるのは仕方ないというか、当然の帰結である。 |
主催者として挨拶を | |
デモの趣旨を明確にと挨拶する槇 泰智氏 | ジャーナリストの野村旗守氏がデモ隊に激励の挨拶 |
御用学者の思想的堕落を糾弾する松本英志氏 | 統一戦線義勇軍の山口祐二郎氏が連帯の挨拶 |
誰が管理するのか二万年後の核廃棄物 |
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電源三法ならぬ原発悪法だ | 「原発利権の廃止を!」「代替エネルギーの開発に総力を!」 |
【動画】脱・原発!愛国デモ行進
http://www.youtube.com/user/tt22060102#p/u/5/MxhjPlkM2FQ
決議文「脱原発!愛国デモ行進」 |
<電源三法と原発利権の廃止を> <脱原発!代替エネルギーの開発に国家の総力を!!> |
この度の福島第一事故による惨劇は、原発を基軸に推進しようとしたエネルギー政策の欠陥をさらけ出した。原発推進の背景には電源三法に基づく巨大な利権が存在する。再処理技術が未完のまま蓄積される核廃棄物とその対策処理費用、事故に伴う処理費用、これらがコスト参入される原発はどれだけ高価な電力料金か、これらを負担してきたのは他でもない我々日本国民である。原発が、「自然にクリーン」又は「安価な電力料金」などの幻想は木っ端みじんに砕け散った。 原発の安全を監督する立場の経産省は電力各社と癒着し、その建設推進にお墨付きを与えて来ていた。原発施設の安全点検を使命とする原子力安全保安院は経産省のビルに入って、電力各社原発の事故隠しに奔走する。見返りは再就職、おんぶに抱っこで老後の世話まで焼いてもらっている。これぞまさしく「原子力村」、村を支えるのが電源三法に基づく交付金、この利権に群がる政治家・官僚・経済界・御用学者とマスコミ・地元自治体などなど。彼らが一体となって原発を推進してきたのだ。 ここのどこを探しても、国民生活に寄与するべきエネルギー政策の理念など欠片も存在しない。腐敗と癒着の行き着く先はこの日本列島に途轍もない被害をもたらした。 美しい日本の山河を、これ以上、核廃棄物に汚させてはならない。今現在を、電気の恩恵に与るだけ与り、「後は野となれ山となれ」でいいのか。原発の”利便”につかりながら、後世にとてつもない猛毒を残していく無責任が許されていいだろうか。原発をめぐる立場の相違を越えた深刻な問題であり、誰もが避けて通ってはならない。 先人が残してきた日本列島は、原発の”利便”につかる我々だけのものではない。この美しい山河を、後の世代にしっかりと残していく義務を自覚すべきである。これこそ主義主張を超えた国を思う真の愛国ではないのか。 我々は今般の原発事故という大惨事に至るまで、無関心という名の無知によって、この癒着にまみれた利権の構造を一顧だにしてこなかった。電力会社を頂点として己の権益を「保守」したい側が垂れ流し続けたプロパガンダを、ついに大事故が起こるまで見抜けなかった迂闊さを潔く猛省するものである。 「反原発を叫ぶのは国策に従わない反日サヨク」、「サヨクが原発に反対するから、保守は断じて原発推進」などなど・・・、こんな幼稚で不毛な議論は止めにしよう。 原発とは=『発電用の巨大な原子炉』である。脱原発とは、それに依存するエネルギー政策からの脱却を意味する。周辺諸国に対する安全保障の観点から、原発と異にする『実験用の小型原子炉』を維持し、原子力技術の研究・開発を続けていく必要は不可欠であることを強調する。 電源三法と原発利権の廃止を!
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