「百人の会」理事並び役員殿 |
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公益法人として通らない「橋下無罪論」 | |
<「百人の会」は橋下市長の無法を煽るな> |
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【論争とは「事実を挙げて道理を説く」こと】 このことは辻淳子・理事長並びに中山成彬・最高顧問らへ申し述べているが、未だ返答はない。 下記は橋下大阪市長の風俗発言を批判した論考である。
論考の趣旨は橋下市長の批判を始め、市長の風俗発言を支持する「百人の会」をも厳しく批判している。これが事務局長(増木重夫)にとって、相当気にくわないらしい。見解を異にすることであれば、それはそれで論争すれば良いだけだ。 主権回復を目指す会は論争を歓迎する。論争とは「事実を挙げて道理を説く」ことであり、この前提に立てば議論を重ねることで、自らの誤謬を正し、相手の見識に触発され、お互いの理念並びに認識能力は一段と飛躍する。論争はレッテルを貼り付けたり、好き嫌いの感情を闘わす場ではない。 「事実を挙げて道理を説く」手法に従えば、口角泡を飛ばす激論であっても、感情のもつれや後味の悪さなど残らない。残るのは競技スポーツ終了時の爽やかさである。 【公益法人を私物化する「百人の会」】 この事務局長(増木重夫)は「百人の会」を何処までが個人で、何処までが公益法人なのか区別せず、法人としてあるまじき公私混同をしている。つまり、ごちゃ混ぜである。NPOを隠れ蓑にし、又は政治家を人寄せパンダにする公益法人の私物化とも言える。こんなものに、政治家らが名を連ねては見苦しいこと限りがない。
↓【参考】「百人の会」通信(June 08, 2013 3:34 PM)
百人の会は橋下ファンクラブ? 【政治家を芸能人扱いする堕落】 彼が挙げる橋下、安倍、中山、ひげの隊長、山谷、赤池、江藤は政治家であって芸能人ではない。何回も言うが、彼ら政治家は国民の税金で禄を食む公職者である。断じて一般人ではない。 政治家という公職者は、常に24時間に亘り選挙民、納税者という国民の監視下におかれ、批判に晒される。これも厳然たる職務の一つである。これを受け入れることが出来ないなら、政治家を辞めれば良いだけだ。批判に耐えられなければ、自称ファンクラブも解散すれば良いだけだ。 批判が納得できず、気にくわなければ「事実を挙げて道理を説く」でもって反批判を加えれば良い。そうした相互批判の応酬で、互いの政治理念なるものが鍛え上げられる。 論理(事実を挙げて道理を説く)でもって相手を批判できなければ、単なる好き嫌いの感情論の応酬に行き着くだけで、極めて低次元に陥る。至極当然の結末だが、相手を「些細な粗探し、誹謗中傷」という一括りでしか対応できなくなる。実に短絡的で、新大久保デモで「殺せ」を連発する連中に相通ずる発想がある。 更にまたまた、驚くべき通信が「百人の会」から送られているのが分かった(June 08, 2013 11:34 PM)。
↓ 今日、維新サポーター会議なるものがあった。私もM氏に誘われ参加した。冒頭から松井大阪府知事は「覚悟」の連発。それはそれでいい。当然だ。後半質疑があった。その中である人が、「今、我々は重要な会議をしている。ところが橋下市長がまった 【公務中の私的活動は御法度、無法を煽るな】 そんなことあり得ない。それこそ、「何を考えているんだ!」と怒るのが常識というもの。何も高尚な政治論議をする次元の話ではないだろう。 教師が授業中に、市バスの職員が運転中に、医師が診察中に、消防士が出動中に、警察官が、裁判官が職務中にツイッターを・・・、公の場がまるで無法、大阪市が無法地帯と化する。愛国無罪ならぬ、ツイッター無罪論である。もっと敷衍(ふえん)すれば「橋下無罪論」に行き着く。 >一般企業で、社員が汗水たらして働いている。ところが社長は酒を飲んでいる。当たり前だ。それが分相応の仕事だから(増木重夫)。
上記の事務局長(増木重夫)の言い分に従えば、橋下大阪市長(社長)は「分相応の仕事」の為なら飲酒のみならず、職務中にパチンコだろうが、風俗だろうが遊んでも良いことになる。 【石原慎太郎の正鵠を射た警告】 法人としての認定資格を取り消されてもおかしくない話で、理事並び役員らは物事を軽く考えてはならない。 いやしくも税金で禄を食む公職者が、ツイッターごときネット(仮想空間)上のオチャラケ遊びに興じ、耽(ふけ)り、中毒患者に成り果てている。だから、石原慎太郎が名古屋市内で橋下市長に、「ツイッターを止めて論文を書け」と言ったのはそのことであり、正鵠を射た警告であった。異常事態を「サポート」と称し、「合理化」する“モドキ”こそ出てけ!ではないのか。 以 上
平成25年6月9日 〒101-0065東京都千代田区西神田2−3−18 |
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