運動の形は目的に従属し、規制される |
アンチ「水曜デモ」一周年
アンチ「水曜デモ」が、11月7日で一年目を迎えた。風雨のみならず大雪の日もあったが、一度も欠かさずやり遂げた。韓国憎しの感情をコントロールし、常に参加各位が、抗議行動の理念から逸脱しない冷静な対応があったからである。 |
昨年の11月2日開始から一年目を迎えたアンチ「水曜デモ」(平成24年11月7日) |
新登場 「ライタイハンの碑」、韓国の性犯罪を許すな!(同日) |
四谷4丁目交差点ではお馴染みになった光景だ(同日) |
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雪に覆われた韓国大使館前(平成24年2月29日) |
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身体は冷え切っても愛国の心は熱い(同日) |
アンチ「水曜デモ」の主たる抗議目的として、①韓国政府に慰安婦強制連行の歴史捏造を中止させること②ソウル日本大使館前の「少女像」を撤去させることであり、活動の継続または期限も主としてこの二点に集約している。
だとすれば、韓国大使館への抗議活動がどうあるべきかは、この目的にそって活動の形が自ずと形成される。端的に言えば、目的に活動の形態が従属し、規制される。さらに付け加えるならば、活動の形態はわれ彼れとの力関係、社会世論なども深く関与する。 従って、韓国大使館前でのアンチ「水曜デモ」には、奇をてらった服装やエキセントリックな罵詈雑言は必要としない。なぜ、必要としないのか。理性を逸脱しているからであり、理性の逸脱とは感情の盲目的発散であり、アンチ「水曜デモ」の目的は個人的な感情を発散する場ではないからである。 具体的に何を指すか、鶯谷などで「朝鮮人を殺せ!朝鮮人を殺しに来た!」などが良い例だ。徒党を組み、日の丸を肩に担いで練り歩く様は“愛国運動”の面汚し、手ぶらだったらいざ知らず、日章旗を掲げるだけになおさら質が悪い。 徳島日教組で逮捕された事件と瓜二つの光景が執拗に再現されている。なぜ再現されるのか。経験を集約し、そこから法則性を導き出す謙虚さが致命的に欠けているからだ。 感情とは一時的な思いの発露であって、個人の感情などで運動が継続するものではない。アンチ「水曜デモ」の目的はあくまで①韓国政府に慰安婦強制連行の歴史捏造を中止させること②ソウル日本大使館前の「少女像」を撤去させることである。抗議の継続があってこそ目的は実現できる。個人的な感情の鬱憤晴らしで、この目的は達成できない。 以上は、ことさら活動の潔癖性またセクト主義を強調したのではなく、あくまで社会的常識を訴えているにしか過ぎない。なお、この論考に異議があるならば、ネットやツイッターで囁(ささや)かず、主権の事務所 又は 西村修平 (090-2756-8794) まで、直接、名を名乗って話しに来られることを歓迎する。 |
【動画】毎週決行!韓国大使館へアンチ「水曜デモ」11.7 第46回
youtube |
(“サイレントデモ” 昨年の取材記事↓) |
【ニッポンの紛争地帯をゆく:知ってる? 韓国大使館への抗議で、やってはいけないこと】 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1111/22/news004.html 『「5人ルール」を破った画期的デモ?』等々 [窪田順生,Business Media 誠 平成23年11月22日] |
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