武器をペンに軍需産業だった朝日新聞 |
吉川勇一事務局長)を忘れてはならない
朝日新聞は阪神支局が襲われ、小尻智博記者が射殺されて30年目を迎えるにあたり、この事件を「言論の自由への挑戦であり、断じてゆるされない」(5.2社説)との見解を社説などで展開している。
同日の『天声人語』も社説に右ならえの趣旨で、「『反日』が相手を攻撃する言葉として広がる」との危惧を述べている。
事件当日にあたる3日は神戸市で、朝日新聞労組の主催でパネルディスカッション『言論の自由を考える5・3集会』が開かれた。朝日はこの模様をパネラーで作家・高橋源一郎の言葉として、「著名な人でさえ『反日』という言葉を平気で使うようになってきた。以前なら許されなかったはずなのに社会が『あの人ならしょうがない』と違和感をもたずに受け止めてしまっていることが怖い」と警鐘を鳴らしたと伝えた。
高橋が前日2日の『天声人語』を見てこの「反日」をことさら強調したかどうかはわからないが、朝日は事件30年目を迎えるにあたり、同事件を取り上げるに際して「反日」という言葉をしきりに取り上げ、ヘイトスピーチの象徴であるかのように印象づけをおこなっている。
朝日が反日を対象に、「意見の交換を前提にしない」(5.2社説)とした暴力又はテロは何も赤報隊事件ばかりではない。
70年代初頭に始まる日本人極左によるハイジャック、空港内での銃乱射、成田闘争にまつわる警官殺害と空港公団社員への自宅放火、土田国保・警視庁警務部長宅への小包爆弾による家族の死亡などなど・・・、極左暴力集団のテロは数え上げたらきりがない。
なかでも連中のテロで特筆すべきは、三菱重工爆破事件(1974.8.30)だろう。死者8人、降り注ぐガラス破片を浴びた重軽傷者は358人にも上り、その後も被害者は深刻な後遺症に悩まされ続けている。
この年は企業への爆破テロは収まるどころか、三井物産本館、帝人、大成建設、翌年は間組など止まることを知らなかった。
しかしこれら連続企業爆破事件の容疑者らは、75年5月に警視庁に逮捕され、全容が明らかになった。マスコミの報道は三菱重工・大成建設・間組など11件の爆弾テロは、「東アジア反日武装戦線」なる組織の犯行だったことを伝えた。つまり、「反日」を掲げての爆破テロだった。
日本そのものを敵視・標的にした本格的な反日テロ組織で、「反日」なる言葉でオチャラケを遊ぶネトウヨ連中とは次元が異なり、ましてや彼らの造語でも何でもない。「反日」を題目にしたテロの元祖は彼ら「東アジア反日武装戦線」であった。赤報隊による朝日への襲撃は、極左暴力集団による企業テロに比べたら時系列から言って後塵の後塵にすぎない。
高橋はこの「反日」を、言論封じのヘイトスピーチとして「以前なら許されなかった」と言い切っているが、よもや大道寺将司(主犯・死刑確定)らによる一般市民を巻き込んだ「反日」無差別テロを知らなかったは言えまい。相当な勘違いか事実を意図的にスルーパスしているのではないか。
『新聞と昭和』(朝日新聞刊 2010年6月)で朝日は、この大道寺の言い分を紹介までしている。
「日本のアジアの人々に対する搾取など、戦前・戦後を通じて加害者であるという認識は薄く、後に続く思想や運動を生み出せなかった」
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(『新聞と昭和』387頁) |
なんのことはない。戦後戦争責任を追及する朝日自身の「反日・虐日史観」を、大道寺にそのまま代弁させているのだ。
三菱が最初のテロ標的にされたのは、同重工が日本における軍需産業の中核と認識されたからであろう。
軍需産業で言えば何も武器・弾薬を製造するばかりではなく、戦争を鼓舞、煽るマスコミ、朝日新聞とて例外ではない。朝日が満州事変直前(1931年5月)に約140万部の発行が大東亜戦争翌年には満州・朝鮮などの外地を併せて何と370万部に達していた。朝日は戦争のお陰で巨大マスメディアに成長したのである。新聞こそ戦争を煽り、戦争で財を築く軍需産業の軍需産業、武器をペンに置き換えた「武器商人」といって差し支えない。朝日は巨大な軍需産業だったとも言える。
この卑劣極まる暴力テロに、朝日新聞がいかに寛容且つ無批判あったか、同爆破事件の報道で如実に理解できる。
事件の翌日8月31日の夕刊で「背景に抑圧社会」「様々な反応」との見出しで、朝日新聞はベ平連の吉川勇一事務局長に、同新聞社の“本音”を代弁させている。
三菱重工がやられたというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、三菱重工が三菱重工だからにほかならない。こんなことをやった人間が悪いといってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない (1974.8.31 朝日夕刊 吉川勇一)
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事件の全容も、爆破犯が何者かも全く定かでない翌日の夕刊で、無差別テロを批判するのではなく、早くも三菱重工を名指しして、やられて当然、それよりも実行犯の「背景」に理解を示すべきとの驚くべき論調を展開した。現場はまだ血痕が生々しく残り、硝煙がくすぶる爆破の残骸が散乱しているその最中にである。
「愛国無罪」ならぬ、「反日無罪」を今から50年前に、朝日は既に振りかざしていた。ヘタレのネトウヨ連中が、ヘマを持て余して叫ぶ昨今の「反日」を、朝日が大仰に批判する資格など欠片もない。
では、三菱重工を朝日新聞に置き換えたらどうなるのか。
「朝日新聞がやられたというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、朝日新聞が朝日新聞だからにほかならない。こんなことをやった人間が悪いといってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない」
さらに、もっと簡潔・露骨に言い換えれば
「朝日新聞の小尻記者が射殺されたというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、朝日新聞が朝日新聞だからにほかならない。こんなことをやった赤報隊が悪いといってしまえば簡単だが、やはり朝日新聞の記者が射殺がされた背景を考えなければならない」となるのだ。
朝日新聞が国家を戦争に導き扇いだ軍需産業であり、日本民族を敵視する「反日」と認識されたゆえ、テロの標的にされた。赤報隊は、朝日が寛容を示した大道寺将司らを手本にしたのだ。ただし無差別テロではなく、朝日新聞のみを対象にした。
以下は赤報隊による犯行声明文である。
●「戦後41年間、この日本で日本が否定されつづけてきた。占領軍政いらい、日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮が、世の隅々までいきわたっている。およそ一人殺せば死刑となる。まして日本民族全体を滅亡させようとする者に、いかなる大罰を与えるべきか」(東京本社銃撃)
●「本当の暴力は暴力の形をしていない。うその言論で、日本民族全体をほろぼそうとしてきた朝日は、ぼうりょくでないのか」(名古屋本社寮襲撃) ●「朝日は、日本人の心から大和だましいをとってしまった」(静岡支局爆破未遂事件) ●「貴殿は総理であったとき靖国神社参拝や教科書問題で日本民族を裏切った。英霊はみな貴殿をのろっている」(中曽根元首相への脅迫文) |
5月3日に開かれた朝日新聞労組の集会で、ジャーナリストの池上彰は事件を忘れてはならないとし、「改めて原点を確認したい」と締めているがその言やよし。
朝日は自身が攻撃された赤報隊事件について、30年立って時効を迎えた今も専従の記者が「『みる きく はなす』はいま」と打ったタイトルで、熱の入った連載を続けている。しかも、一方的な被害者を装うばかりで朝日が「やられた背景」には触れようともしない。
それでいて、世紀のねつ造・でっち上げ報道で有名な朝日による「サンゴ事件」(朝日新聞珊瑚記事捏造事件)だが、この事件は今年で28年目を迎えるにもかかわらず、事件を起こした4月20日の朝日新聞に、「サンゴ事件」に関しては一行たりとも触れられていない。
池上彰にジャーナリストとしての矜持がいささかでもあったなら、朝日の論調に従い、犯行声明文に照らし合わせてやられた背景を「改めて原点に立ち返って確認」すべきと集会で物申すべきであった。
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【参考文献】 『偽善に狂う朝日新聞』(酒井信彦 日新報道) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
【参考】『シャルリー・エブド』、風刺と冒涜は異なる |
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