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<企業の“人格”を問う>
~ 会社の看板と肩書きを外して対峙せよ ~
主権回復を目指す会 児島謙剛
我が国・日本では、企業に「法人」という名の“人格”が与えられている。
私は、これが単に法律上の観念に限られたものではないと考えている。すなわち、それぞれの企業は「社風」と称される文字通りの“人格”を身に纏っているのである。
← 住友化学本社ビルと米倉弘昌住友化学・経団連会長 この“人格”とは、無意識のうちに、企業組織を構成する個々の社員の表情、態度、言葉遣い等々に滲み出るものであり、いかに表面を取り繕おうとも、ごまかしが効かないものだ。
就職活動に慣れてきた学生は、会社説明会における人事担当者の話し方や仕草から、いわゆる“ブラック企業”であるかどうかを含めた、その企業の「社風」=“人格”を見抜けるようになったりする。
我々は先日、経団連会長の米倉弘昌が代表取締役会長を務める出身母体の住友化学株式会社に赴き、原発問題を巡る米倉の一連の発言に対する抗議文の手交を申し入れたが、そこで白日の下に晒された住友化学の“人格”は、事前の予想を遥かに超える酷さであった。
受付のロビーに現れた総務の担当者たちは、いきなり何とかの一つ覚えのように「お帰りください! お帰りください!」を連呼。無礼な口調で、目付きも挑発的。横柄極まりない醜悪な態度に終始した。
冷静かつ客観的に考えれば、企業の危機管理(リスクマネジメント)の観点から、我々のような市民団体にアポ無しで訪問された場合、真正面から応対することが難しいのは確かであろう。
しかし、それにしても最低限の礼節を欠いてはならないはずだ。我々とて、初めから喧嘩腰で掛け合っているわけではない。従って、「お引き取りを願う」からには、それ相応の言葉遣いや態度が要求される。だが、住友化学の応対は、そこから掛け離れた傍若無人なものであった。
日頃、消費者と直に接する機会が少ない事業形態(BtoCではなくBtoB)であるから、などという言い訳は全く通用しないが、「顧客に対して、その対応は何だ!」と言えば、 彼らは「あなた方は(当社の)顧客ではありませんから」と揚げ足を取ってくるだろう。だが、今では“ステークホルダー”(Stakeholder、利害関係者)という概念が遍く(あまねく)普及している。
“ステークホルダー”は、投資家(株主)、顧客(消費者)、取引先、社員(従業員)、地域社会、社会・・・といった幅広い関係者を包含しており、それらとの関係の上に企業は成り立っている。そして、各々の“ステークホルダー”と真摯に向き合うことこそが“CSR”(企業の社会的責任)の実践に他ならない。
我々は、企業を取り巻く地域社会、社会の構成員であり、歴とした“ステークホルダー”の一員である。その我々が、企業と(各企業を束ねる)財界の長としての米倉弘昌の有るまじき言動を糺すために訪れた。
我々は断じて、企業に不当なゆすりたかりをして金銭を脅し取ろうとする輩=いわゆる「反社会的勢力」などではなく、そうしたレッテルを貼られる謂れは無い。一切の私心、私利私欲なく、社会の不条理を糾すために行動しているのであり、ぞんざいに取り扱うことは許されないはずだ。
だが、そのような応対に終始した姿勢から、住友化学の“ステークホルダー”への意識の希薄さと、“CSR”の意識の形骸化を、まざまざと見せつけられた気がした。
個は全体を反映し、全体は個に反映される。傲岸不遜な米倉弘昌の“人となり”と総務担当社員たちの粗暴な応対ぶりを見れば、まさしく「この役員(会長)にして、この社員あり」と住友化学の“人格”を咎めざるを得ない。
住友化学の社員諸氏に申し上げたい。
歴史と伝統ある財閥系の大手企業の社員として、さぞかし高い「プライド」をお持ちなのであろうが、一度、会社の看板(ブランド)と肩書きを取り外し、一個人として、 我々の主張と真剣に向かい合ってみてはいかがか。
身内=東電をはじめとする電力会社の目先の利益、既得権益、利権を守ることしか頭に無い米倉弘昌と同様、自分たちの目先の生活さえ安定すれば後はどうでも良い、という態度を決め込むのであれば、余りにも情けないではないか。
皆が皆、米倉の「イエスマン」に成り下がる恥辱を甘受しているわけではないはずだ。
組織の論理(しがらみ)から自らを解き放った時、問われるのは、住友化学の社員である以前の一人の“日本人”としての矜持である。
20年~30年先、50年~100年先を見据え、次世代の我が祖国・日本に思いを馳せる民族の矜持なのである。
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