何故?促される「猛省」

<忘れるな!玉音放送「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び』>に対し、下記のコメントが寄せられた。このコメントは「百人の会」の増木重夫さんから、小生宛に転送されて来た。

以下コメント

西村っ修平氏へ(まま)
 いつも自民党と産経を屁理屈をこねて槍玉に挙げている西村修平氏の論説には、異議あり、不快に思う者がいることを知ってほしい。その論拠展開の時間が惜しいし、生産的ではないのであえてやらない。
 今は中学校教科書採択時期が切迫していて、反日・自虐・日本断罪史観にあふれた、折角の教育基本法をあざけるような教科書が検定を通過してしまっている現実と戦っている最中である。
 特に、産経を貶めるのに躍起になっているようだが、産経が勢いを失い朝日、毎日が勢力を増すようなことを望んでいるのか。西村氏の猛省を促したい。
                                      
田村元男

よって、田村元男さんへお答えする。

>屁理屈をこねて

屁理屈とは論理に整合性を欠くことであるが、西村修平のどこが欠けているか具体的に指示されたい。

>異議あり

どんな異議か論理的に展開されたい

>不快に思う

突かれると痛いから、論理的に反論できないから不快なのでは

>あえてやらない

情けない、腑抜けではないか。西村修平は逃げも隠れもしない。「やらない」のではなく、出来ないと言えばいい。

田村さん、批判された位でびびって敵とどうして戦えるんだ!これを世間では腑抜けという。

小生はこれまで産経新聞のトンデモ記事には、本社に乗り込んでの抗議街宣を何回もやっている。産経批判は今に始まったことではない。そして、それ以上に朝日、毎日新聞へ乗り込み抗議している。

産経にまともな記事を書け!と叱咤している。この私が何で!産経を「貶め」ているんだ。「貶め」られているのなら、問題は西村修平ではなく、産経新聞だろう、明後日を言うモンじゃない。

あなたが産経に対して、「西村からガタガタ文句を言われるような記事を書くな」とどやしてやればいい、それが筋だろう。産経新聞にそれほど愛着があるなら、態度で産経に忠誠を示すべきだ。

この西村修平は教科書問題で言えば、十年以上前に朝日本社のロビーに二回座り込み抗議をして、築地署に強制排除されている。そうした抗議で朝日は一時、反扶桑社キャンペーンを中断した。あんた以上に、この西村修平が産経に“愛着”を示しているんだ。

その直後、女性国際戦犯法廷の件で神奈川県警に逮捕(平成13年11月14日)され、朝日への座り込みが中断してしまった。僕の後を継いで誰かが、朝日本社への抗議を継続していればと、今でも残念に思っている。

そん時、保守の誰が、扶桑社版の教科書を攻撃する朝日に乗り込んで抗議した。 田村元男さんよ、あんたそん時、何をしていました。

教科書採択で、西村修平にガタガタ文句の言える奴は、あの時、朝日本社に乗り込んで座り込みした連中だけだ。もう一度言う、あんたそん時、何をしていましたか?

批判・相互批判は論理と論理の対峙である。

論争とは事実を挙げて道理を説くことである。双方が主張する意見並びに理念を闘わせることによって、お互いがそれぞれ鍛え上げられていく。従って論争に好き嫌いの感情論を持ち込んだり、ましてや実体のないレッテルなどをはりつけるものではない。

「事実を挙げて道理を説く」、この作法に従えば、いくら口角泡を飛ばしても感情の対立など生じないし、論争は競技終了のスポーツのように、爽やかさは残るが後味の悪さなど残らない。

あなたが「猛省を促したい」なら、直に論争をして、西村修平の言い分を木っ端みじんに粉砕すればいい。公の場で西村修平の主張を論理的に破綻させればいい。西村修平は何時でも、何処でもその論争に応ずる。
西村修平(090-2756-8794)

因みに下記は増木重夫さんの紹介文。彼とは、あるところではことごとく対立ばかりしているが、今回は何故か同調を示してくれた。

<忘れるな!玉音放送「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び』>によせて。

今回の菅発言に関しては西村氏と全く同感で、「生活を切り下げ、質素、倹約をしていくべきだ。
首相は記者会見の時に、国民に生活様式を変えてください」と広く訴えるべきだった。
原発停止と生活切り下げはペアでないとおかしい。
原発は停止し生活は今のまま。このような夢のような世界があるようにも聞こえる
菅の今回の発言。ペテンと紙一重ではないか。

昔、梶山静六と言う政治家がいた。戦時の梶山である。日本は首相制で大統領制ではない。
すべて内閣の連帯責任である。そのようなことは百も承知している。
しかし戦時において、国民が総理に望むのは確固とした信念に基づく決断である。決断に基づく結果は、全て総理と信認を与えた我々国民が受け入れるのである。

それが民主主義ではないのか。従って、民主主義という政治形態はある条件において、とてつもないコストを有権者は負担するのである。」まさにこれが民主主義における正論ではないのか。

「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」を今一度思い出そう。 マスキ

 

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