新大久保デモに見る「百鬼夜行」 送られてきたメールで、「シバキ隊」と称する輩の言動を目にして、怒りを通り越して人としての劣化にただただ溜め息をつかざるを得ない。 槇 泰智は政治・思想運動の傍ら、家族を養うため真面目に仕事を営んでいる。その人と、仕事をオチャラケの道具にして喜ぶとは、何と醜悪且つ腐臭を放つ輩だろうか。 下記に挙げるのはそのメール、パソコンの画面上からさえ、連中の腐臭が漂って来るようでおぞましい。これを槇氏の家族、子供らが見たら一体何と思うだろうか。その心中たるや察するに余りある。 全く関係ない槇 泰智とその家族を貶めて、よくもまあ、この輩は「排外主義反対」とか「レイシズム反対」云々を口に出来るものだ! 人の心に思いを馳せ、公の場所を意識して言動を自制・イマジネイションすることは社会人として基本的な常識だが、それらが欠けたまま成人になった暁には、荒(すさ)んだ、歪(ゆが)みきった人間が形成される実例であろう。
オチャラケを目的にした「在特会」の血縁兄弟が「野間」であり「木野」 、悪のりする安田浩一氏はその同類といわれても致し方ないだろう。 この「木野」なる人物は、常人が感ずる生理的な不快感・嫌悪感に人一倍の愉悦を覚えるらしい。知性と品性を欠き、何の取り柄もない「おちょくり」を皮肉(シニカル)と錯覚したまま、一人で悦に入っている。この人物、外面は人間づらしているが、心の内はゾンビに例えられようか。 槇は、「在特会とその仲間」が集う新大久保デモには一貫して批判的であるが、「シバキ隊」とやらには全く関知していない。にもかかわらず、その槇に「木野」と「野間」たちは何を目的に何をしたいのかさっぱり見当がつかない。あえて詮索すれば、「今日が面白い」(野間)とする刹那的生き方に辿り着くのだろう。だとすれば、彼らは正しく「在特会」と血縁の兄弟そのものである。 人としての信義が欠落し、不誠実かつ不真面目な人間、世間ではこの手の類を 「人間のクズ」とも言う。これらの類に共通しているのは、皆が皆、揃いも揃って重度の“ツイッター中毒患者” であるという点だ。映像で見る限り、新大久保デモ(在特会)とそれに対する「シバキ隊」の様相は、あたかも白昼夢に見る「百鬼夜行」の乱舞だ。 「ミイラ取りがミイラに」「朱に交われば赤くなる」 、両者を眺めつつ、ネットとは適切な距離を置くべきとつくづく自戒する昨今である。
ところで、31日の新大久保デモに「シバキ隊」のカウンターを恐れたのかどうか知らないが、高田誠ら音頭を取ってきた連中らが顔を出さなかったという。つまり、ヤバイと察知して逃げたのである。何とまあ卑怯者か、その稀代の卑怯振りは何回も指摘してきた通りであるが・・・。 |
アンチ「水曜デモ」H25.4.3 第66回
暴風雨の中、慰安婦強制連行の捏造を糾す槇 泰智氏(四谷四丁目交差点、平成25年4月3日) |
|
雨にも風にもマケズ 毎週決行、毎回、必ず抗議文を投函(韓国大使館前、同日) |
【動画】
雨にも風にもマケズ 毎週決行!韓国大使館へアンチ「水曜デモ」 |
|