何故?堂々と碑を「建立」できないのか 朝鮮人に遠慮する腑抜けは領土問題を汚す
「竹島の碑」が港区南麻布の韓国大使館領事部(民団本部)前の植え込みに建てられたと、動画などで紹介されているが、どうして白昼に行わなかったのか、または出来なかったのか。ただ動画で紹介しているだけで、実行者は自らを名乗らないので不明であるが、こんなもの愛国運動でも何でもない。 「竹島の碑」を電車で運び、民団前で白昼、職員が監視する前で、鍬とスコップを使い、堂々と設置作業を行えばいい。それこそ真の愛国運動だと、拍手喝采を浴びるのではないか。「竹島はわが国固有の領土」と記した大義があるなら、その大義を陽の光のもとで行えばいい。民団職員ら朝鮮人が見守る中で鍬入れ式を行って欲しかった。 竹島は歴としたわが国領土、民団前も歴としたわが国領土、韓国の領土ではないぞ! ソウルの町中だったらいざ知らず、「竹島はわが国固有の領土」との棒杭を民団前に打ち立てるのに、何を朝鮮人にそれほどまで遠慮し恐れるのか。これでは実行者が愛国を騙(かた)るただの腑抜けモンにしか過ぎないと見なされる。ドッキリカメラの真似事パフォーマンス、それも出来損ないだ。ドロボー猫のようなコソコソ見苦しい真似をして、何がそんなにうれしいのだろうか。 夜陰に紛れての行為を「建立」などと動画を流して悦に入っているが、笑止千万、ドロボー猫といわれてもかえす言葉がないだろう。行為自体は何処の馬の骨とも分からない浮浪者が、民団前にゴミを置いたのと同じである。折角の碑も、民団職員の手によってただの粗大ゴミとして扱われた。否、日の丸を描いた“竹島”が敵の手によって没収、無惨にも処分されたのだ。 中途半端な愛国に名を借りた鬱憤晴らし、ストレス発散は日の丸と領土問題を真面目に考える運動を汚すだけである。実行者並びにこれを賛美する方々へ自戒を強く促すが、この行為によって思想的、人格形成において何か有益な結果が得られたのか。得られているなら是非とも教えて頂きたい。 国家の不作為を糾す政治・思想運動であるならば、今回の件を警察権力は夜陰に紛れたテロ行為と断定する。「竹島の碑」と称した棒杭は、そのまま凶器並びに爆発物と同様に認識される。是非はともかくとして、同じ“テロ”を演ずるならば、朝日新聞に懲罰を与えた『赤報隊』に準じて貰いたいものである。 意見があるならば、ネット上でご託を論ずるのではなく、直接、主権回復を目指す会または西村修平まで議論に来ればいい。 西村修平 |
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