戦後「保守」こそ国賊

「東京裁判史観からの脱却」を言いつつ親米を謳(うた)う継ぎはぎ

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     戦後保守こそ国賊

-東京裁判史観を利用してきた事実に目をつぶるな-

こだまともはる  

  
 保守派は常套句として、「日本人は戦勝国の東京裁判史観に洗脳されてきた」という。私は父にそう叩き込まれ、そうして育ってきたし、そのことについて疑問を持たずにきたが、最近になって、おかしいのではないかと思うようになってきた。
 東京裁判は白人種による日本への「リンチ」であり、ソ連という「強盗国家」が日本を裁く検事側に回っている時点で、茶番であることは確認するまでもない。筆者の中で、東京裁判に対する答えは出ているのだが、疑問なのは、本当に保守派が言うように、今の日本人がこの裁判の歴史観に洗脳され続けているのかということにある。

  ← 広島への原爆投下(昭和20年8月6日)
      アメリカの戦争犯罪に時効はない

 筆者の見るところ、実際のところ日本人は、この裁判を巧みに利用してきた。「日本は狂気の犯罪国家である」という東京裁判のメッセージを、国民自身そう信じ込むことが、戦後体制の維持にとって都合がよかったからだ。日本はアメリカに「マインドコントロールされた」のではなく、「セルフマインドコントロールしてきた」が正しい。そのことを忘れてはいけない。つまり、戦後体制はアメリカだけに強制されたのではなく、日本人自身が選び取った道であるということを。

   右写真:勝ち誇ったポーズをとりながら厚木空港に
     降り立つマッカーサー(昭和20年8月30日)
     「保守」はこの屈辱を忘れたのか!→

 東京裁判があるおかげで、日本は「犯罪国家」だから、「アメリカ様の監視つきのままでいなくちゃ悪い子になってしまう」と振舞うことができた。だから、自主防衛は検討せず、「日本の米軍駐留は絶対に死守しなくてはならない」というわけだ。その為に、「日米構造協議」(八九~九〇)では、アメリカの「公共投資をやれ」、「土地税制を改正しろ」、「大店法は緩和しろ」といった要求をのみ続けてきた。また、これ以後、提出されるアメリカからの「年次改革要望書」(九三~)にもただ黙って従い続けてきた。「年次改革要望書」はほとんどの新聞社が報道しないので、多くの日本人が知らないが、事実上の「第二次日本占領政策」である。これに手を貸してきたのが、親米保守という名の売国奴であった。
 そのくせ、親米保守派は、「東京裁判史観からの脱却」とぬけぬけという。ということは、今までの日本人の「擬態」をやめるということになるのである。東京裁判があるおかげで、「わが国は、犯罪者国家だから、アメリカ様の言うことには何でも従います」ということができた。東京裁判あってこその、親米であり、戦後保守の利益であった。それを本気で捨てよと教えているのか。本来なら、東京裁判史観を捨てろというのは、アメリカ依存をやめろということだ。随分と人をバカにした話で、東京裁判での大川周明ではないが、「茶番」を見せられているようなものである。
 坂口安吾は『続堕落論』(一九四六)で、「泣いて終戦の詔勅を受けよ」と教える人間に向けて、「嘘をつけ!嘘をつけ!」と吐き捨てた。本当は、国民は「泣く」どころか、「戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか」といいこれは「歴史的大欺瞞」であると記している。安吾にならっていうなら、東京裁判史観に洗脳されてきたという言い方そのものが、戦後の日本人の振る舞い(セルフマインドコントロール)を免罪した、「歴史的大欺瞞」であり、かかる表現は筆者にとって到底是認できないものなのである。 

 

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