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「けだもの」扱いされた日本人とユダヤ教のホロコースト

「けだもの」(トルーマン大統領)扱いされた 日本人とユダヤ教のホロコースト  令和8年8月15日  主権回復を目指す会  西村修平  灼けるような季節8月、終戦の15日を迎えた。歴史の記憶は敗戦そのものよりも膨大な非戦闘員の死者である。その典型が日本列島への無差別爆撃と8月の原爆投下である。米軍の空襲は軍事施設の破壊よりも一般国民を殺戮の対象にした。その手段は通常の空爆ではなく、木造住宅である日本の家屋を焼き払うことで人命に多大な損失を与えるという戦術だ。焼夷弾による空襲、つまり人間を生きたまま焼き殺すということである。この究極が高温で生命体を蒸発させる原爆である。戦史においても特筆すべき残虐さは、いかなる口実、手段を以ってしても日本民族の記憶から払拭できない。 1945年8月9日、米国キリスト教団体はトルーマン大統領宛に電報で「見境のない破壊行為」だとして深刻かつ深い憂慮を表明した。これに対して何と答えたか。大統領は書簡で「けだものを相手にせねばならないときは、けだものとして扱うべきだ」として恐るべき暴言を吐いた。米国は日本人という人間を相手ではなく、「けだもの」を相手に戦争をしたのである。ゆえに宜なるかな、あれほどの殺戮行為を躊躇なく敢行できた。焼夷弾による日本列島への無差別爆撃、原爆投下こそ第二次大戦における文字通りの大虐殺、悪魔の所業に他ならない。 浅草側から見た言問橋炎上 (クリック拡大) 世界はナチスによるユダヤ人虐殺をホロコーストと形容しているが、ここで「ホロコースト」とは何かを問い直そうではないか。ホロコーストの本来の意味は、ユダヤ教の儀礼における生贄ならぬ焼き物の供物を言う。ならば、米国の焼夷弾による無差別爆撃、原爆投下こそホロコーストと呼ぶに最もふさわしいのではないか。米国は日本人を「けだもの」(トルーマン大統領)として焼き殺したからである。 ナチスによるユダヤ人虐殺は毒ガスで行われたが、日本人は生きたまま焼き殺されたのである。正真正銘の「ホロコースト」とは米国が行なった日本列島大空襲と原爆投下である。米国・ワシントンにはユダヤ人の虐殺を記念する「米国・国立ホロコースト記念博物館(USHMM)」があり、ヒットラーの犯罪を鋭く追及して己の人道主義を賛美している。 米国に課せられた戦後の最大使命とは何か。それは己が自画自賛する人道主義に基づいて、「米国・国立ホロコースト記念博物館」に原爆投下と日本大空襲の展示を常設することにある。トランプ大統領とアメリカ国民に進言するが、この展示を世界が絶賛するのは間違いないと。そうでなければ、余りにも片手落ちで整合性がつかない。 灼けるような熱さが続く8月、どうしても同胞が受けた81年前の無慈悲な惨状に思いを馳せざるを得ないのである。 鎮魂の祈りは絶えず幾夏も靖国神社に蝉泣き止まず 合掌 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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敗北は喪失と異なる

 「失って得る」 敗北は喪失と異なる ワールドカップ日本チーム  令和8年7月18日  主権回復を目指す会  西村修平  日本列島はワールドカップで朝から晩まで大いに盛り上がった。日章旗を掲げ、国民一丸となって日本チームを応援する国際試合ならでの光景である。日の丸を殊のほか嫌う朝日新聞さえも、サムライジャパンの活躍と創意工夫を凝らした日の丸のデザイン、日本人の応援風景を微に入り細に入り報道した。オールドメディアの日頃からの「反日」「国旗嫌い」などどこ吹く風とその豹変ぶりに空いた口が塞がらない。 祝日においても日章旗など滅多に目にしない昨今、ある意味“異様”な光景とも映る。国民が自らを日本民族として、また国家の一員である事を意識する場がスポーツのみに限定されている。「スポーツ・ナショナリズム」とい言っていい。国際試合の場でしか自覚、発揮できない民族意識は角の立たない穏やかな健全なナショナリズムとも言えるが淋しくも歪である。 日本チームはリーグ戦を突破したが、トーナメントでは初戦のブラジル戦を1−2で逆転負けを喫した。ワイドショーなどで僅差の敗北を、力量が同等の様に取り上げ日本チームをヨイショしていた。しかし誰が見ても実力のほど(差)は如何ともし難いほどレベルに差があった。ボクシングの10ラウンド制で判定を下せば、日本が取ったのはせいぜい数ラウンドもあったかどうか。以前であれば簡単にKOされていたが最終ラウンドまでクリンチで凌ぎ、「よもや」の期待を抱かせた。登るべき階段がいくつも頭上にある現実が突きつけられた。しかし負けたとは言え、日本が進化した成長ぶりを世界に示したのは間違いない。 ここで「失う」と「得る」について考えたい。 我々の日常生活において、ともすれば「失う」より「得る」ことが最優先の課題に置かれる。しかし矛盾論の観点から見ればこの二つは手の表と裏の関係、つまり一体として捉えられる。人は得る事で失うものがあれば、同時に失う事によって得るものがある。「得」「失」は一心同体である。サムライジャパンの敗北も勝利を失うことで、勝利するための何が足りなかったかを得たのである。試合終了後、森保監督をはじめ各選手らが敗北の要因をそれぞれ語っていたが、全て納得のできる事ばかりであった。つまり、彼らは勝利を失うことで、勝利に欠けていた要因の何かを得たのである。「失って得る」に発想の基点を据えれば、敗北は単なる「喪失」と異なり生ずるものがある。得る事で失う、失って得る事の何と多いかに気付かされる。 この観点は何もスポーツの世界ばかりではない。我々の思想・政治運動においても、日々の日常生活、さらに人生そのものにも通じていくのである。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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