タグ別アーカイブ: 教条主義

原爆の日に覚える違和感

投稿   原爆の日に覚える違和感 東京裁判史観とは日米安保に依存する精神の堕落だ 外国人犯罪追放運動 小野寺秀一   今から66年前、昭和20年8月に広島と長崎に計2発の原子爆弾が投下され、人類史上最大規模の大虐殺が行われた。 歴史から永久に消え去ることのないこの世紀の大虐殺を実行したのは、中共やロシアではなくアメリカ合衆国であったことは言うまでもない。 私が原爆の日に思うのは、明らかな戦争犯罪に対して恥じぬどころか、むしろ原爆投下を正当化し正義を語るアメリカの欺瞞に対する激しい怒りである。そして、そのアメリカに自国の安全保障(すなわち自らの生存)を委ねて憚らない日本の凋落ぶりに、私は危機感とともに違和感すら覚えるのである。  ← 浦上駅:プラットフォームで黒こげ   となった母子(爆心地から南約1km) 所謂終戦という歴史の大転換期を迎えた8月になると、我が国は独特のムードに包まれ、多くのメディアや言論人達が一斉に、「あの記憶を風化させない為」「あの惨劇を繰り返さない為」あるいは「過去の日本は愚かであった」…等々の発言を繰り返す。 これらの所謂自虐的な言論が幅を利かせるのは毎度のことであり、いまや我が国の夏の風物詩のようでさえある。そういった自虐的刷り込みの繰り返しによるものかは定かでないが、所謂東京裁判史観はいまだ風化することもなく、多くの国民の中で健在である。 しかし、多くの無辜の民が虐殺されてから66年が経った今日、あれほどの殺戮をおこなったアメリカに対する日本国民の怒りは失われているのではないだろうか。 また、これは私の思い過ごしであればよいのだが、現代の日本人がアメリカに対して抱いている感情は、『怒り』ではなく『憧れ』でさえあるように私には思えてならない。 この『憧れ』こそ東京裁判史観ではないのか。断じて風化させてはならないのが民族の怒り、それを喪失した日本の精神的退廃を、無残にも惨殺された方々は何と思うのであろうか。    弟の亡骸 (なきがら) を背に火葬の順番を待つ少年 →              (写真:ジョー・オダネル) たとえ自虐史観に浸った日米安保体制下で毒され、日本がアメリカの精神的奴隷に堕したのだとしても、世紀の大虐殺を行って恥じないアメリカに対する日本民族の怒りは永遠に風化させてはならないはずである。 しかし、我が国の状況は目を覆わんばかりの惨状といえるのではないだろうか。 自虐に染まる『左』の思考の歪さを嘲る保守陣営が、所謂東京裁判史観からの脱却を勇ましく唱えつつも、アメリカ依存の現体制を容認している様はまさに矛盾に満ちており、我が国の抱える病が深刻なレベルにあることを示しているように思える。 いまや日本人は民族の怒りすら失い、自らアメリカに媚を売るまでに堕してしまったのである。愛国を唱える者達ですら愚かな幻想を抱いており、歪んだ日米安保体制の妄信からいまだに脱却することもままならない。 アメリカの戦争犯罪を徹底的に糾弾し、原爆によって無慈悲に殺害された先人の恨みをはらすべき愛国者が、自国の生存をアメリカに委任しつつも、「反日極左」達を罵倒し悦に入る様は醜悪そのものである。この有様では、現代日本を席巻しているのは反吐が出るほどの偽善であると言わざるを得ないが、そうした声はあまり聞こえない。 しかし、私はやはり原爆の日のありように違和感を覚えてならないのである。これほどまでに堕落を極めた民族が挙行する原爆の日の祈りによって、果たして犠牲者の魂が癒されるというのであろうか。 祈りによって救済されるべきが、祈る己の魂であってはならないのである。 原爆の日に祈るのであれば、幻想に漂う心地よさに溺れ自堕落に浸ってはならないし、さらに愛国を唱えるのであれば、受け容れがたい現実であっても正視しなければならない。 同盟関係にある現状でさえ無差別殺戮を正当化し、謝罪意思の欠片すら見せないのがアメリカなのである。 そのアメリカが、怒りを失い精神的に服従した日本との同盟関係を果たして対等と考えるであろうか。我が国固有の領土である尖閣諸島、竹島、北方領土に対する現在進行形の侵略に対して沈黙を決め込むアメリカが、シナやロシアの侵攻から日本を死守するという確証がどうして得られるのであろうか。 対シナには最悪を想定できても、対アメリカには最良しか適用できないのであればそれは妄信以外の何ものでもない。安全保障とは最良を想定せず、最悪を想定してこそというのは基本中の基本であるということを忘れてはならない。 つまり、いざとなればアメリカは日本を切り捨てるであろうというごく自然な発想を、我々はアメリカによる原爆投下という惨劇の記憶から導かなければならない。 愛国者であれば、今日の原爆の日のありように違和感を抱くべきである。 所謂東京裁判史観、すなわち虚構の平和からの脱却を果たし、自主独立を獲得しようとするならば、日本は歪んだ日米安保体制による搾取機構から脱却しなければならないのである。 そうした覚悟を我々が持つことが出来なければ、対等な同盟関係の構築など有り得るはずも無く、アメリカが原爆投下を謝罪することも未来永劫訪れないことを知るべきである。 日本人自身が、原爆の日が持つ意味を風化させてはならない。歴史を忘却した国家が衰退し、怒りを喪失した民族は滅びゆくのが自明の理だからである。 日本人であるならば、非道な原爆投下によって一瞬で焼き尽くされた同胞の無念と、黒い雨に打たれ悶え苦しみ亡くなられた先人の絶望と悲しみを永遠に忘れてはならない。 先人が受けたその苦しみと悲しみ、あるいは絶望を日本民族の不滅の怒りと昇華させ、それを矜持としてアメリカの欺瞞と戦うことこそが生存している日本人の使命なのである。 その戦いを貫徹する国民の宣誓こそ、真の『平和宣言』として犠牲者に捧げるべき日本民族の誓いなのである。   … 続きを読む

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

閑古鳥が鳴く8月6日の米国大使館前

米国の戦争犯罪を糾弾できない保守派の痴呆 長崎原爆忌日(9日)、愛国保守は米国大使館前に集合を 8月6日、米国が広島に原爆を投下して66年目を迎えた。一瞬にして14万人が殺戮された。その後の原爆後遺症で約6万人が死亡している。 当時の広島市の推定人口が約34万人、人類史上に銘記される米国の犯した戦争犯罪である。 日本軍の軍事的抵抗が無力化した状況下において、米国は日本列島各地に爆撃を繰り返し、非戦闘員の殺戮を目的に無差別な空襲を欲しいままに展開した。東京大空襲に続く8月6日の広島と9日の長崎はその集大成として行われた。 『残忍な人たち ~ なぜ原爆を落としたか』 (週刊新潮●変見自在) 2005年8月11・18日号高山正之(帝京大教授) 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。   真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。   確かに、米軍パイロットはそういうことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。   二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。   教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。   米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は①直径3マイルを超える都市で②かつ有効な損害を与えられる地形をもち③通常爆弾による爆撃をしていないことが条件だった。   これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。   広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。   米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。   鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。   8月6日に考えてみることは多い。 愛国とはわが祖国の同胞を守り、愛することではないのか。その同胞が非道極まる残虐な殺戮をされた。 保守派は映画『凛として愛』を高く評価し、映像空間のお話に陶酔するが、愛するということは抽象ではなく行動を伴う。同胞を殺戮した相手を憎み、殺戮された同胞の無念を晴らすことが愛なのである。 原爆投下は日本人殺戮の集大成、8月6日はその象徴たる忌日、日本人であるならば忘れてはならない日である。そして8月6日の米国大使館は、戦争犯罪を追及する日本人によって幾重にも包囲され、同胞の恨みを晴らす糾弾の声が飛び交うのである。愛国を語る保守派が一堂に会する忌日ではないのか。 しかしながら今年も米国大使館前は穏やかそのもので、土曜日ということもあって閑古鳥が鳴く静けさであった。その静けさは、日本人が死滅したかのような不気味な静寂であった。 そうした中で、主権回復を目指す会は恒例ともなっている8月6日の原爆忌日、米国大使館下に集合し、「広島原爆投下66周年 米国の戦争犯罪を許すな!」の抗議集会を開いた。 【動画】広島の恨みを忘れるな!米国の原爆投下に時効はない youtube http://www.youtube.com/playlist?list=PL05C533FA81756A62 ニコニコ動画 … 続きを読む

カテゴリー: お知らせ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

日本人の健忘症を糾す JR福知山線事故を忘れたか

投稿  <浮かれる保守派に警鐘を鳴らす> ~あの大惨事から目を背けるな~ 主権回復を目指す会 児島謙剛   シナ高速鉄道の大事故の報を受けて、相変わらず目に余るものは、予想通りと言うべきか、鬼の首を取ったようにシナを嘲笑し、はしゃぎ、浮かれる「保守」派の姿である。 我々は、そのような「保守」派に警鐘を鳴らす。 あの大惨事を忘れたのか?と。 いや、忘れたのではなく、いつもの通り、分かっていながら目を背けたいだけなのかもしれないが、そのような都合の良い“精神的勝利法”は決して許されない。 我が国・日本では、2000年代に入ってからも、重大な鉄道事故が少なくとも2回発生している。 2000年(平成12年)3月8日に中目黒で発生した営団・日比谷線の脱線衝突事故、そして、2005年(平成17年)4月25日に尼崎で発生したJR・福知山線(JR宝塚線)の脱線事故である。 前者は、死者5名、負傷者64名、後者に至っては、運転士を含む死者107名、負傷者 562名を出す未曾有の大惨事となった。 詳細については割愛するが、両者に共通しているのは、いずれも営団地下鉄(現・東京メトロ)とJR西日本という日本を代表する鉄道事業者の「営利至上主義」が招いた惨禍であるという点だ。 とりわけ後者における、あの忌まわしい「日勤教育」なる言葉の響きは、今でも生々しく我々の耳元に残っている。 何度でも繰り返す。営団もJR西日本も、歴とした我が国・日本の鉄道事業者である。2つの大事故は、紛れもない我々・日本人によって引き起こされた惨劇なのである。 この事実から目を背けてはならない。 そして、我々利用者にとって、新幹線であろうが在来線であろうが、鉄道であることに変わりはなく、事故は事故でしかない、という現実を受け止めなければならない。 福知山線脱線事故では発生当初、「置石説」なるものが真(まこと)しやかに囁かれた。囁かれたと言うよりも、当のJR西日本が囁いたのだ。さらに、今を遡ること約2年前、JR西日本による会社組織ぐるみでの事故調査委員会への接触、情報漏洩の働きかけという卑劣な「工作」が行われたことも記憶に新しい。まさに旧国鉄の亡霊そのものの企業体質ではないか。このような鉄道事業者を抱える日本の一体どこに、シナ中共の大事故を「他山の石」とせず「対岸の火事」としてせせら笑う資格があるというのか。 唯一の救いは、福知山線脱線事故の後、55日間にわたって(尼崎駅-宝塚駅間が)運休となり、現場検証と事故原因の究明が行われたことだ(※それでも、同年6月19日の運行再開は「早過ぎるのではないか」と言われた)。再発防止のために、ATS(自動列車停止装置)の改良も進められた。“教訓”と呼ぶには余りに多くの命が失われ過ぎたが、それを得ようとした姿勢が日本とシナ中共との違いである。 日本の新幹線技術が優れていることは確かだ。新幹線では、最初の開業時からATC(自動列車制御装置)という名の運転保安システムが導入されている。ATCはアナログからデジタル化を経て改良が重ねられており、強固なフェイルセーフ(fail-safe)の設計思想によって支えられているので、シナ高速鉄道のような重大事故が日本の新幹線で発生する可能性が「限りなくゼロに近い」とは言える。 だが、「ゼロである」と断言することはできない。それが人間の手によって開発された技術・システムの宿命だからだ。新幹線でさえそうなのだから、在来線に関しては、なおさら言わずもがなである。 我々は再度、「保守」派に警鐘を鳴らす。 「日本の新幹線技術は世界一優秀だ」という盲目的な賛美に酔い痴れてはならない。 どれほど優れた技術・システムを確立しようとも、それを運用する人間の側に些か(いささか)なりとも慢心が生じれば、「安全神話」など立ち所に崩壊するということを、我々は日本人である以前の「人間」として心に刻み、自戒しなければならないのである。 結びに、改めて福知山線脱線事故に言及しておく。 事故の発生時、脱線した快速列車の至近距離(※下り線)に特急『北近畿』号が接近中であったが、惨状を目撃した近隣住民の咄嗟(とっさ)の判断によって踏切非常ボタンが押されたために緊急停止し、衝突=二重事故という最悪の事態は寸前で回避された。 非常ボタンは自動的に押されたわけではない。人間が押したのだ。 安全そして“命”を、捨て去るのも、守り抜くのも、最後は「人間」なのである。   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

最弱の大関・魁皇

大関の地位を汚した魁皇の「大記録」 魁皇を賞賛する日本の偽善 名古屋場所の話題は大関で優勝した日馬富士ではなく、通算1047の勝ち星を挙げて引退した魁皇だった。マスコミのスポーツ報道は、この通算勝利数で魁皇への賞賛一辺倒だった。 ところで、魁皇の1047勝は“前人未踏”の記録として賞賛に値するのかどうか、1047勝の数値を多面的に考察したなら、浮かび上がるのは偽善である。 唯一、『週刊新潮』(第29号)だけが「不屈の大関 魁皇の不名誉な『大記録』」としてこの偽善を指摘しているだけで、他は一切触れもしない。    ← 写真は、2008年1月場所での37代式守伊之助(当時)       行司の世界だけは今のところ日本人で占めている… 大関とは何か。横綱に次ぐ地位であり、横綱に昇進するに値する関取に与えられた特別な地位である。大関とは昇進か引退しか他に選択がない厳しい地位である。 横綱に値する成績を上げなければ、引退することで大関という地位を守らなければならない。しかし魁皇はどうか、今場所が大関在位65場所、13年目になる。なんと13年間にもわたって、大関の地位に値する成績を残せないで在位していたのである。 なぜ在位できるのか、『週刊新潮』も指摘しているが「角番」という特典である。大関に与えられた特別権利、特権があるから在位できていた。 平成17年9月場所、負け越しと休場を挟んで39勝26敗25休。惨憺たる成績だったが、2場所続けて負け越しを免れたため大関を陥落しなかった。 この角番を免れること歴代2位の13回目、不戦敗数は歴代最多の14回を数える。 大関としての通算成績は524勝327敗119休、勝率はかろうじて6割にやっと手が届くレベルだ。テレビ、新聞は決してこの数字に触れない。魁皇の入門以来の生涯勝敗数を並べるだけで、客観的数字が記録する大関の不名誉に触れないでいる。 あたら地位にしがみついたために、自らの経歴に泥を塗ったのであるが誰も指摘しない。指摘するどころか「名誉」に誤魔化した。この誤魔化しを喜んでいる人間の如何に多いことか。何から何までが偽善、“不滅”の1047勝で魁皇は大関の地位を汚したのである。 魁皇の引退で、相撲界は外人力士に横綱、大関の地位を独占されることになった。上下関係の厳しい社会が角界であるのは言うまでもない。とすれば、角界は外国人力士の下で、日本人力士がアゴで使われる状況となったのである。 これは何も外人力士が強いのではない。日本人力士の弱さに原因があるのだが、史上最弱の大関が残した不名誉を「大記録」として自画自賛する偽善にこそ真の原因がある。 まかり通る偽善は日本列島を貫く宿痾であるが相撲界も例外ではない。例外どころか、社会から隔絶された空間ゆえに偽善も生半可ではない。 万事、日本がそうした風潮ゆえに、なでしこジャパンが恵まれない環境、待遇の中で日本国民に与えてくれた感動は言葉で言い尽くせなかった。 自らを 誇ることなく 慎ましき 笑みこそ美し なでしこジャパン   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

カテゴリー: つれづれ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

発足五周年・主権は「保守」ではない

「主権回復を目指す会」発足五年を回顧する   主権回復を目指す会が今年六月で五年目を迎えた。一つの節目と言うことで、先日、酒井信彦先生(元東大教授)、栗原宏文先生(元愛媛大教授)、古賀俊昭都議ら顧問をお招きし、会立ち上げ時の発起人や活動に関わっている方々と共にささやかな懇親会を開催した。   ← 神保町で行われた5周年懇親会      (左から栗原、酒井両先生) 会の発足をたどれば、20数年前に酒井先生が立ち上げていた「自由チベット協議会」の活動にその原点があった。酒井先生は、当時から「今日のチベットは明日の日本」と言う主旨で活動を一貫してきており、十数人に満たない人員で、デモ行進やシナ大使館への抗議を闘っていた。時流を追っかける一つ覚えの「フリーチベット」とはかなり趣はちがう。何が異なるのか、一貫するのはチベット独立とシナ人の侵略主義糾弾である。 シナに侵略されたチベットの酸鼻極まる惨状を取り上げ、「今日のチベットは明日の日本」だとして、日本人へ警鐘を乱打して来ている。「自由チベット協議会」の活動は、弾圧に怯まず抵抗するチベット人への共感にあるのは言うまでもないが、チベット人が「可哀想」などの単純な人道主義ではない。シナ人の侵略に、日本人は立ち上がれ!、シナと闘うチベット人の精神に学べ!の檄を飛ばし続けてきたのだ。 ▼画像クリック拡大(ほぼ実物大)  当時のチラシ、会場には小林よしのり氏も応援に駆け付け、この模様を『新ゴーマニズム宣言 (9) 』第110章「見て見ぬふりされてるチベットでの民族浄化」(小学館文庫)で取り上げている。 主権回復を目指す会の運動理念は、このシナ人の侵略と闘うことであり、シナ人の侵略から我が領土を保守することに運動の核を明確に据えている。抽象的な「国体」とか「伝統」の保守を叫ぶ「保守派」とは異なる。 そもそも当会発足の動機は、内弁慶を決め込む保守派のきれい事を打ち破り、勉強会で知識を蓄えるサロンから抜け出すことであった。内輪でシナや反日左翼を罵って互いを慰め合い、一時の溜飲を下げて満足するのが、いわゆる保守派の運動であった。寺山修司ではないが、「書をすてて街に出よ!」だった。 シナ人から奪った“戦利品”の五星紅旗を口に銜え一休み(平成20年4月26日 長野市内) ↑ 画像クリック拡大 シナ人へチベット人虐殺の遺体を突き付ける沼山光洋副代表(同じ) 写真はいずれも『シナ侵略主義の目論見を「台無しにした」(環球時報)戦いに誇りと自信を持て!』から  http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2008/080426.html 脆弱なメンタリティー故、保守派は「デモ行進」が出来ない、「日の丸」を掲げて街にでられない、「辻演説」が出来ない、さらに中国を「シナ」とも呼べなかった。(参考:「シナ」は世界の共通語) 当会が当初掲げていた目標の一つに保守陣営における「4ない」の克服があった。 「4ない」とは ① 「デモ行進」が出来ない ② 「日の丸」を掲げられない ③ 「街宣」が出来ない ④ 中国を「シナ」と呼べない  上記4つが「出来ない」だったのである。この4つが出来ないということは、保守派は日本人という意識を明確にした愛国運動が出来ないでいたのである。 理由は「右翼にされてしまう、左翼からの妨害が怖い」などであった。保守派は講演会とか懇親会で、意気盛んに愛国を吹聴するが、何か事が生じれば内にこもる書斎・サロン派に徹していた。 会創設5年目にして振り返り、上記4つは保守派も普通に出来る状況になった。当会は、ネットを通じて広がる愛国保守運動において、上記の4つの目標はほぼ成し遂げたと考える。 しかしながら、激烈な思想・理論運動、活動経験などなど、いわゆる左翼運動と比べれば、我々はようやく呱々の声を上げたばかりの赤子と自覚していい。 社会情勢は刻々と変化する。運動はこの変化する情勢に対応できなければ、社会の変革運動となり得ない。でなければ、“愛国”に酔い痴れるエキセントリックな排外主義やストレス発散の自己満足から脱却できないままだ。 因みに当会が主唱したのは、<「語る」運動から「行動」する運動>であって、決して「行動する保守」運動ではない。 そもそも<「語る」運動から「行動」する運動>の標題は、運動の仲間である三輪和雄氏にそのイメージを拝借している。古賀俊昭、土屋たかゆき、田代ひろしの三都議が訴えられた増田みや子の人権侵害を巡る裁判闘争だった。その控訴審第2回口頭弁論が平成19年10月11日、東京高裁で行われた。  平成19年10月11日   教育正常化裁判(足立16中人権侵害事件)   http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/0710142.html   ← 増田みや子の人権侵害を糾弾する古賀俊昭都議 その裁判報告集会で、三輪氏は我々の高裁前での街宣を取り上げ、保守派の行儀良さ、きれい事を批判した。「議論を語ってばかりではなく、これからは行動する運動で行こうではないか」と挨拶された。 主権回復を目指す会は<「語る」運動から「行動」する運動>を提唱してきたのである。当会は決して「行動する保守」ではない。 … 続きを読む

カテゴリー: お知らせ, つれづれ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。