作成者別アーカイブ: 西村修平

正鵠を射た朝日新聞の『素粒子』

 誰でも分かる原子力用語解説、それは『素粒子』(平成23年5月17日)    朝日新聞の『素粒子』☆原子力村用語辞典☆とかけて、メルトダウンと説く    その心は    どんな難解な用語も溶(解)かしてしまう。    正鵠を射た朝日新聞の『素粒子』  ☆原子力村用語辞典☆  (朝日新聞『素粒子』平成23年5月17日)  安全 = 危険が発覚しないこと   科学的合理性 = 学者が理解できる範囲   核燃料サイクル = 原発を永続させる呪文   想定 = 限界強度に収まること   送電網 = 電力会社の縄張り   損傷 = 溶けて崩れ落ちること   定検 = 隠れてする修理や交換   爆発的事象 = ようするに爆発   保安院 = 広報担当の協力会社   放射線 = 健康を増進するもの   立地 = 土地に金を注ぐこと  … 続きを読む

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シナ大使館への土地売却を阻止せよ【告知】

  第一弾 5月25日の売買契約の破棄を!! <シナ大使館への土地売却を阻止せよ>  国家公務員共済組合連合会(KKR)の土地売却は許し難き売国行為だ 日時:平成23年5月18日(水) 15:00集合 場所:国家公務員共済組合連合会 千代田 区九段南1-1-10 九段合同庁舎 ↓ http://www.kkr.or.jp/all/access.htm 03-3222-1841(代表) 国家公務員共済組合連合会(KKR)が公告した港区南麻布の私有地5677平方メートルを、シナ大使館が一般競争入札(約60億円)した。 それも大使館隣の都心一等地を。外交上シナ大使館はシナの領土だ。それに隣接する土地を取得することは紛れもない“領土”の拡張である。 現行のシナ政府はわが日本民族とは敵対関係、シナは我が国にとっては侵略国家、この度の“領土”の拡張を侵略と言わずして何と言えばいいのか。 目先の金に目が眩み、領土を売り渡した国家公務員共済組合連合会(KKR)は売国奴の誹りを免れ得ない。今月25日の売買契約を粉砕して我が国領土を死守しよう! 呼び掛け:主権回復を目指す会 金子吉晴 排害社 ※雨天決行 連絡:西村(090-2756-8794)   シナ人による日本侵略の三段階論 酒井信彦の日本ナショナリズム (2005.11.25記事) 【ほぼ完成した第一段階の精神侵略】 シナ人による日本に対する侵略には、三つの段階があると私は考えている。それは第一段階が精神的侵略すなわち間接侵略であり、第三段階が軍事的侵略すなわち直接侵略であるが、その中間に第二段階として人口侵略を想定すべきであると考えるからである。  以下本稿では、現時点において第一段階はほぼ完成し、今後第二段階が本格化すると判断する私に見解を、なるべく簡略に説明することにしたい。  本年はシナ人による日本に対する精神侵略が一応完成した記念すべき年でる中共による対日精神侵略は、国交成立以前は共産党・社会党の左翼勢力、マスコミ、友好商社などを利用し、さらに公明党・自民党も取り込んで、1972年の日中国交成立に至った。この時の田中角栄という外交音痴拙速人間を騙して、日中共同声に歴史問題を盛り込んでおいた。そして、10年後侵略を進出に書き直したという、捏造されたデマによる第一次教科書事件で、それを爆発させることにより、近隣諸国条項を獲得した。さらに4年後、新編日本史の第二次教科書事件と靖国神社参拝問題で、腰抜けナショナリスト・中曽根康弘を屈服させ、日本人の民族的自尊心を抑圧・抹殺する戦略を強化し、以後ずっと対日精神攻撃を拡大・続行してきたのである。 【事実が示す精神侵略の実態】  特に近年は、日本の外交主権や領土・領海を脅かすとともに、日本人に対して直接暴力を振るうようになってきた。それが02年の瀋陽領事館事件・03年の西安寸劇事件・04年の尖閣諸島上陸事件・サッカーアジア杯暴力事件・原潜侵入事件などであり、その目的とするところは、日本人にどれくらいまともな民族意識・民族的自尊心が残存しているかのテストであった。そしてその最終仕上げが、本年(05年)四月の「反日文革」とも言うべき官製反日大暴動であり、日本の公館を毀損し日本人商店を破壊し、日本人の身体を傷つけた。 この国家権力が直接行ったあからさまな暴挙に対し、日本政府は抗議らしい抗議も出来ず、中共政府が行うべきしゃざい・補償は雲散霧消した。首相の靖国参拝に、エコノミック・アニマルたる財界のみならず、歴代首相まで雁首を並べて反対し、読売新聞は見事に変節した。首相自身も、暴動直後のアジア・アフリカ会議の演説及び終戦記念日の談話で、反省・謝罪の上塗りをし、大勝した総選挙後の参拝ですら、超略式参拝でお茶を濁すに過ぎなかった。  これほどの恥辱を受けながら、民族は陣営ですら反撃行動派微弱であった。かくて日本人が精神的腑抜け民族に成り果てたことが証明され、それによって対日精神侵略が一応の完成を見たために、シナ人の靖国神社参拝への抗議はトーンダウンしたのである。世界歴史上最も成功した精神的侵略と言って過言ではない。  したがって今後は第一段階の成果の上に、第二段階の人口侵略が本格化するのである。シナ人は本格的な侵略民族であるが、その侵略の特徴は単なる軍事的侵略ではなく、人口侵略にある。つまりシナ人という人間そのものが、侵略の凶器なのである。  現在、中共という国家の内部でチベット、東トルキスタン、内モンゴルなど軍事的に併合した地域に、シナ人を大量に移住させて人口侵略を行っているが、それは当然中共国外へも溢れ出してくる。現にわが国へも、合法・非合法を問わずシナ人が流れ込んでいるが、それは今後拡大の一途を辿るであろう。つまり、チベットなどと日本とでは、軍事的侵略と人口侵略の順序が逆になると考えれば良いのである。 この場合特に問題なのが、日本政府がシナ人の人口侵略を積極的に助長する政策を、既に取り始め、今後一層推進しようとしていることである。 【進行・深化する人口侵略】 例えば本年七月、日本への団体観光ビザを発給する地域を、中共全土へ拡大することを決定した。これによって不法滞在の道が大きく開けた。また、外国人参政権は定住外国人を対象に考えられているが、小渕内閣当時に作られた「二十一世紀日本の構想」では、外国人留学生には自動的に定住権が与えられることが提言されている。留学生の内、圧倒的に多数を占めるのはシナ人であるから、それが実現されれば、シナ人定住者は簡単に韓国、朝鮮人定住者を追い抜くのである。 また東アジア共同体なるものが出来上がれば、ますますシナ人の日本流入は容易になる。この外国人参政権問題及び東アジア共同体問題と、シナ人の流入に関して、私は以前に『國民新聞』(平成17年4月、同16年7月)に述べたので詳しくはそれをご覧いただきたい。 中共においては例えば、経済発展が続いたとしても、絶大な貧富の差は決して解消されず、中共政府は膨大な貧乏人を、対外警戒心皆無な外国人天国・日本に押し付けてくるだろう。反日・逆日教育を叩き込まれたシナ人が大量に入り込んできたら、歴史問題で民族意識を骨抜きにされ、精神的に去勢されたままの日本人が対抗できるわけがない。あらゆる場面であらゆる意味で、徹底的にやられてしまうだろう。最悪の外来生物こそシナ人なのである。 人口侵略の恐ろしさは軍事的侵略と異なるから、いくら日米安保条約があっても防げないことである。それは既に開始されているが、これからますます本格化することは、疑問余地がない。そしてその先には軍事的侵略が待っている。アメリカがアジアから出て行けば、シナ人の軍隊が直ちに乗り込んでくるだろう。太平洋を支配するには、日本を戦略拠点として絶対に必要だからである。その時、朝日新聞に代表される逆日日本人は、侵略軍に抵抗するどころか、それを大歓迎するに違いない。   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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自粛と三越劇場の品位

(※写真はクリックで拡大表示されます) 自粛と三越劇場で思ったこと この度の大震災で東京都の石原知事が、「桜が咲いたからって一杯飲んで歓談するような状況じゃない」「少なくとも夜明かりをつけて、お花見なんていうのは自粛すべきだ」(3月29日)と発言したことで物議を醸した。 被害状況の深刻さが把握されていく状況でもあり、各地の花見名所の人出は惨憺たる様相だった。 上野、千鳥ヶ淵、谷中霊園と行く機会があったが、人出はいずれも普段の年の3割くらいではなかったか。おかげで満開の、そして散りゆく華麗な桜吹雪を満喫できた。 都知事の自粛発言は、肩書きもあって花見の自粛も一気に拡大したかも知れないが、都知事の発言だけでああも自粛が浸透するとは思えない。 他人の不幸をよそに、行楽にふけるある種の“後ろめたさ”という感情を背景にしていると思われる。他人への思い遣りという道徳観念だが、この観念は日本民族に共通するいわばサブカルチャーである。 都知事とはいえ、歴とした誇り高き日本人、「自粛発言」はその日本人としてのアイデンティティーから免れ得なかった。彼も日本人なのである。 しかしながら都知事は市井の一市民ではない。一国の首相に比肩する立場にあるわけだから、その発言は重すぎる。 政治家であれば、発言の主旨を明快に述べた上で、震災復興援助の花見を訴えれば良かった。石原知事が、上野公園の花見会場に募金箱を持って回ったら、どれだけの支援が集まったことか。各地の花見名所にも同様な募金箱の設置をして見たらと。 自粛を固定的ではなく、柔軟な発想で捉えたいものである。 そうした自粛ムード最中、4月25日、日本橋の三越劇場で観劇する機会があった。知人が公演に関わっているので出かけた。余震も収まらないなか、案の定、日本橋界隈は人出もまばら、店内も各階がそれこそガラガラだった。店の話では耐震工事を徹底しているので、この度の地震では何一つ商品の落下などの損傷事故はなかったとのことである。 10数年ぶりの三越劇場、これまで気がつかないことが目に見える。 特に内部だが、レトロモダンというか和洋折衷式の装飾は贅を尽くしながら、決して華美にならない節度は成金趣味と異なる品位を醸し出している。それは三越様式と言っていいかも知れない。 舞台は『イヴ・モンタン 彼を憎んだ女と男』 (演出:野崎美子 監督・脚本:大輪茂男) 出演:安奈 淳(シモーヌ・シニョレ) 大鳥れい(エディット・ピアフ)  南海まり(マリリン・モンロー) 井上 順(ボブ) 宝塚のトップ女優に井上 順と芸達者がそろった演技は、歌唱力とあわせて見応え十分の舞台で飽きさせなかった。 舞台は脚本が命、いくら芸達者がそろったとはいえ、然るべき脚本がなければ役者はその力を発揮できない。 今回はその脚本が意表を突いた。タイトルロール(主役)のイヴ・モンタンは一切登場せず、モンタンの公私に深いつながりのあった専属ピアニスト・ボブをタイトルロールに設定してモンタンの人物像を描くのである。同様に、各三人の女優もそれぞれのモンタンを回想していく。 そして、観る側もそれぞれのモンタン像をイメージするのである。 舞台も十分楽しめたが、この観劇でもっとも感銘を受けたのはカーテンコールで挨拶した井上 順であった。通常はカーテンコールで挨拶などしないのだが・・・。 井上は 大震災の影響で、世の中が自粛、自粛で停滞しきっています。そのなかを、わざわざ三越まで芝居を観に来て頂くことを、私たちは本当に有り難く、うれしくてなりません。 出演者と共に、客席に向かって深々と頭を下げた。考えて見ればどうと言うこともないのだが、井上は政治に絡むことには触れず、舞台俳優の立場から自粛で停滞しきっている社会状況をさらり述べたのだ。演技での明快な口調とは違い、とつとつと語る言葉がそれ故に真実重く伝わった。   推薦映画(シモーヌ・シニョレ出演):『嘆きのテレーズ 』(監督マルセル・カルネ) 『天井桟敷の人々』(監督マルセル・カルネ) 『悪魔のような女』(監督アンリ・ジョルジュ・クルーゾー) 推薦図書: 『わが愛の讃歌 ― エデイット・ピアフ自伝』(エデイット・ピアフ)     ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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「水の惑星」に生きる宿命

13.5億立方kmの水で地表の71%が覆われている惑星は、天文学上、知る限りでは地球のみである。 人間はもとより、地球上の全ての生物は水によって育まれているのだ。 人間が宇宙から地球をこの眼で見た最初(1961年4月12日)の一声は「地球は青かった」(ガガーリン)とされているが、この青こそ地表を覆う水である。 この地球は「水の惑星」、これ以上に的確な表現があるだろうか。 そしてこの「水の惑星」においても、我々が住む日本列島は周囲を広きに渡って海に囲まれ、且つ奇跡的とも言える地理的条件の下、豊かな降雨量に恵まれた地球上のオアシスと言っても過言ではない。 我々はこの水に全存在を、全存在とは生死であり、その生死を委ねている。委ねるのではなく握られているのである。いや、人間とは水と言ってもいい。 その水がある一定の条件で、津波に転化して凶暴な様相で自らが育んでいる人間を抹殺するのである。この度の東日本大震災の大津波だが、どのような兵器を使用したところで、これほどまで広範囲に渡り、完璧に破壊の限りを成し遂げることが出来るだろうか。 津波はもとより、幼児の水鉄砲に始まって、巨大な水力発電、果ては原発までが水に関わっている。これほど様々な形態として変化し、不思議で扱いきれない物体が他にあるだろうか。 夢にもこの水を、意のままにコントロールしているような思い上がりに陥ってはならない。人間は水に共存して頂いているのである。 ましてやこの水の惑星を、日本列島という地球のオアシスを核物質で汚染するなど許されない。「低濃度」のロジックで、福島第一の事故を誤魔化してはならないし、これは原発の是非を問う以前の問題である。   (↑クリックにて拡大)  戒めのごとく止まる一本の松は 襤褸(らんる)の姿さらして    一本の松は記憶す跡形もなき六千本の白砂青松   ※襤褸:ボロ切れ、あて布     推薦音楽: 宮城道雄『水の変態』 ラヴェル『水の戯れ』   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法

 主権回復を目指す会の活動に参加している児島謙剛君が説得力ある論考を述べているので紹介したい。  読後の感想を一首にしたためて見た   易水の壮士を気取るますらをの悪酒に憑(つ)かれし酔ひのかなしさ        ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………       【参考】『史記・刺客列傳』        風 蕭蕭(せうせう)として 易水(えきすゐ) 寒く ,壯士 一たび去りて 復(ま)た還(かへ)らす   <阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法>   「日本賛美論」に酔い痴れる保守派の恍惚  平成23年5月3日  主権回復を目指す会 児島謙剛  「酔い痴れる(よいしれる)」とは、良くできた本質を突く日本語である。 確かに、これだけ「日本賛美のフルコース」を並べ立てられれば、「保守」は嬉々として酔い痴れるであろう。彼らには「痴」の文字こそが相応しい。 4月27日に開かれた「大震災復興支援『正論』講演会」(産経新聞社主催)における櫻井よしこ女史の講演の書き起こしを拝読した。 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723000025-n1.htm (→関連リンク:http://megalodon.jp/2013-0824-1333-26/photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/04/0427seiron/) ここから見て取れるものは、まさしく今般の大震災によって浮き彫りになった「保守」の欺瞞、まやかし、ごまかしに他ならない。 櫻井女史の誤謬として、以下の3点を挙げることができる。 【1.盲目的な日本人賛美】 女史曰く、大震災を通じて見えてきた日本人の姿は、この上なく立派であり、絶望してもおかしくない中で、沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿を見せてくれた、とのことである。 果たして、そうであろうか? 被災地で横行した数々の姑息な「火事場泥棒」「コソ泥」、人々の善意に付け込んだ悪質な募金詐欺、自分さえ助かれば後はどうでも良いと言わんばかりの身勝手な買い占め騒動・・・これらの一体どこが「沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿」なのだろうか? 人の不幸に付け込む輩は何処の国にも存在する。「火事場泥棒」なる言葉は歴とした日本語ではないのか。日本人が他の外国人に比べて格段に優れているわけではないのだ。 海外メディアがいかに日本を「絶賛」しようともそれは勝手であるが、日本人自身がそれに酔い痴れている場合でないことだけは確かである。 【2.盲目的な自衛隊賛美】 女史曰く、菅首相は自衛隊に「感謝する」と言ったが、それだけでは足りず、さらなる栄誉を与えなければならない、とのことである。 現場の最前線で、自衛隊の人たちが誠実に任務を果たしてくれているというのは、確かにその通りだろう。我々日本国民一人一人が内心で彼らに感謝の心を持つことには何の異論も無い。 しかし、他でもない産経新聞の報道によってもたらされた自衛隊の姿とは、以下のようなものであった。  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm 災害とは、すなわち「戦争」であり、被災地とは、すなわち「戦場」である。 戦場で戦う兵士にとって、遺体の収容とは避けて通れない任務であり、車座で痛みを共有しなければそれを遂行できないほどの脆弱なメンタリティーであれば、我々はそこにプロ集団としての矜持を見出すことができず、「国軍」の称号を与えることなど到底できはしない。 過酷な言い方に聞こえるかもしれないが、遺体の収容に従事した自衛隊員は、プロとして当然の職務を遂行したまでのことであり、それ自体が特別な賞賛に値するわけではない。 … 続きを読む

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