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「原発原理主義」を煽る産経新聞

日本列島を原発で食いつぶすな! 原発を巡る議論を概観して思うこと、腑に落ちないことは反・推進双方に幾つかあるが、推進を唱える側に、反原発派から提起された問題にしっかりと向き合う姿勢がなさすぎる。 ←左写真:2008年4月12日、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場前で、核燃再処理に抗議する日仏デモ隊(クリック拡大) 数学の公式も同じであるが、複雑な物事も突き詰めていけば極めてシンプルな論理で説明できる。 推進派に突き付ける問いが 電力の確保に原発が必至ならば、推進派は首都圏のお台場や新宿中央公園に設置すればいい。瀬戸内海の淡路島か小豆島になぜ設置しない。 これらは反原発派が以前から、推進派に突き付けてきた極めてシンプルな問いだが、スルーされて来ている。保守派は、この問いに「あれは左翼」の一括りで、頬被りして来ているが、論争において明らかな敗北である。厭なことは「左翼」で片づける精神的勝利方法、阿Q精神の真骨頂である。 さらに原子力発電所から出る放射性廃棄物だが、廃棄物の最終的な処分対策・技術は未だ完全に確立してはおらず、日本では六ヶ所村に“放置”されたまま、二万年以上にわたって、この猛毒を後世に遺産として残していくのである。   →右写真:六ヶ所村    (猛毒の放射性廃棄物を恐る恐る運び込む作業員たち) 東西に狭く、人口に比して陸地面積の少ない日本列島を核廃棄物に汚させていいのか。今現在を、電気の恩恵に与るだけ与り、「後は野となれ山となれ」でいいのか。先人が築き上げてきたこの日本列島を、放蕩息子のように原発で食いつぶしていいのか。 原発推進の保守派は、「低放射能健康説」のような姑息な詭弁を弄するのではなく、反原発の素朴な問いに真摯に向き合うべきである。事実から目を背け続ければ、「原発原理主義」に陥ってしまう。 因みに、縄文時代の草創期が約一万五千年 から一万二千年前、放射性廃棄物の減衰期間二万数千年。 【参考】産経新聞(7月9日) 日本経済沈没の危機 原発ストレステスト、産業空洞化加速の恐れ http://sankei.jp.msn.com/life/news/110708/trd11070822020015-n1.htm 閣内不一致 経産相は再稼働に筋通せ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110709/plc11070903020003-n1.htm 産経は原発推進派として、今夏、電力不足で国民生活が危機的状況に陥るとして煽っていたが、電力不足は節電や、何よりも休止施設の稼働でほぼ解消している。 夏場でさえ乗り越えられるのに、冬場の「電力不足」を煽るに至っては、もはや強請り、たかりの恫喝と言っていい。産経新聞は「産業空洞化加速の恐れ」よりも、保守派メディアとして己の空洞化こそ危惧すべきだろう。  ←左:産経新聞本社(一面のガラス張りはクーラー代が馬鹿にならないだろう) ストレステストは、欧州連合(EU)が福島の事故を深刻に受け、加盟国の原発を対象に、重要項目を挙げて種種の機能を検査する緊急テストのことをいう。 我が国はどうか。福島の事故は事故の検証・対策はおろか、収束の見通しさえ立っていない。他の五十の原発においても然りである。 菅政権の手続き上の問題や失策は大いに批判を浴びるべきだろうが、ストレステストは国家存続の上で実施しなければならない重要事項である。 主権回復を目指す会の活動に参加されている松本英志さんから、産経新聞(7月9日)の原発推進記事に批判投稿が寄せられたので紹介する。 サンケイの「始めに原発ありき」論法を糾す! 投稿 松本英志   サンケイの論調とは、「始めに原発ありき」というお定まりのお仕着せ論法の繰り返しでしかない。その低レベルな子供騙しの論調にはあきれ返るばか りである。 相も変わらず「資源のない日本は国策として原子力に頼り」とくる。 燃料のウランを100%輸入に頼っている日本の原発が、どうして「資源のない日本の電力・エネルギー問題の打開策」となり得るのか? なる訳があるまい。こんなことは小学生でもわかることである。 要するに、燃料を輸入に頼っているという点で、原発は火力発電(石炭、石油、LNG)と全く同じなのであり、何ら火力発電に代わる「電力・エネルギー資源の自給問題」の解決策にはなりようがない! その上で、これまた相も変わらず「電力=原発」などという使い古された似非論法を性懲りも無く展開している。 原発など発電の一方式にすぎず、「電力=原発」でないことなど常識で考えればわかることである。さらには「火力・水力発電を半数近くも止めて意図的に電力不足を作り出し、それを強引に原発に置き換えてきた」ことなど、もはや周知となりつつある。 要するに、当初から「火力・水力だけでは電力を賄えないから原発が必要」になったのではなく、「原発を推進するために、わざと火力・水力を半分も止めてきた」というのが日本の原発政策の実態である。 その実態を隠して「原発がなくなれば電力が不足する」と、似非プロパガンダで国民を騙し続けてきたに過ぎない。 原発の総コストは莫大な額に上る。そして、その莫大な総コストは「総括原価方式」によって全てが電気料金に反映されるから、原発の電気料金が安かろうはずがない。よって、まともに原価計算をすれば原発の電気料金は火力・水力よりも倍近くも高いというのが実態である。これをイカサマな計算方式を採用することによって、「原発の電気料金は火力・水力よりも安い」と国民を騙し続けてきたのだから、まさに「国策詐欺」である。 すなわち、日本の原発政策というのは、ほとんど全てが嘘で国民を騙して推進してきたもの、と断じて全く差し支えの無いシロモノなのである。 また、「電力=原発」などという似非論法を土台にして、 … 続きを読む

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国軍とは何か

朝日新聞も“認める”自衛隊の存在          共産党員を“転向”させた自衛隊の貢献 国軍(自衛隊)の圧倒的存在を示したこの度の大震災である。  その前に「国軍とは何か」を考えたい。 国軍とは 自衛隊員は国家主権の確保と共に、国民の生命、財産、安全且つ国家の名誉を守るため、自身の全存在を任務に捧げることを本分とする。 したがって、思想信条の如何に関わらず、彼らは国家の命に従い、その本分とする任務を全うするのである。ここにこそ、国軍である自衛隊の全存在がある。 全存在、つまり究極的に死をもって国家から与えられた使命を全うすることにこそ、自衛隊員の最高の名誉がある。あるのではなく、与えられなければならないのである。 下記は、朝日新聞も“認める”自衛隊の存在 朝日新聞『声』(5月22日) 「自衛隊員の献身的作業に感謝」 主婦 松村 真紀(東京都杉並区 45)   今回の大震災被災地での自衛隊の働きはメディアで見聞きしていたが、先日、テレビで改めてその献身ぶりを目の当たりに見て、言葉に尽くせないほどありがたく感じた。  毎日毎日、黙々と作業を続ける隊員たちはみな、一様に「被災者の目線に立った仕事を」と言う。そしていまだに温かい食事を取れない人々を思い、昼食は目立たぬよう、トラックの荷台でかき込むように食べている。町の人はみな感謝し、通り過ぎる自衛隊のトラックに手を合わせ深々とお辞儀する人もいるという。本当に頭が下がる。  実質的には軍隊と言える自衛隊が憲法解釈上、微妙な存在なのは事実だし、その是非は私にはわからない。しかし、リーダーシップも実行力もない政治家より、指揮系統が確立し、圧倒的な実行力を持つ自衛隊の方が今、よほど存在意義があるのではないか。自衛隊がなかったら、もっと復興作業は遅れていたに違いない。自衛隊の皆さん、ありがとう。心と体を大切に。応援しています。 もう一つ、5月7日に書かれた児島謙剛君の論考   <筋金入りの共産党員を“転向”させた自衛隊>     自衛隊員は「自衛公務員」ではない 今般の大震災および福島原発の事故を通じて、我々日本国民は、良きにつけ悪しきにつけ、改めて自衛隊の持つ圧倒的な存在感を認識するに至った。  自衛隊が逃げた! 深夜の避難所で大パニック起きていた  2011年3月17日(日刊ゲンダイ)  http://gendai.net/articles/view/syakai/129464  自衛官、原発怖くてパニック・逃走…懲戒免職  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110419-OYT1T01266.htm  2011年4月20日(読売新聞) 上記のような目を覆い、耳を塞ぎたくなる惨状があったことは確かであり、むやみやたらと自衛隊を賛美する風潮に対して、我々は自戒を求める警鐘を鳴らしてきた。 だが、未曾有の大災害という「戦争」状態の中で、多くの自衛隊員による獅子奮迅の働きがあったこともまた事実である。 講談社発行の雑誌『g2』第7巻に興味深い記事があるので、紹介したい。 佐野眞一氏によるルポ「東日本大震災と日本の希望1」の中で、日本共産党中央委員会の元文化部長の山下文男氏(87)に関する記載がある。山下氏は、岩手県陸前高田市の病院に入院中、東日本大震災の大津波に遭遇し、九死に一生を得て救出されたのだという。 その山下氏が、自衛隊に関して言及している一部を以下に引用する。 「僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。やさしさが身にしみた。僕は泣いちゃったな。鬼の目に涙だよ。」 87歳といえば、時代が大正から昭和へと移り変わる頃の生まれである。山下氏は自身でも「鬼」と自称されているが、明治の世を生きた先人たちの薫陶を受けた、まさに筋金入りの、バリバリの共産党員であろう。 記事では、山下氏に関して、最後にこう結ばれている。 「自衛隊配給の毛布の暖かさに自衛隊は憲法違反だと言ったのは間違いだったと主義主張をかなぐり捨てて「転向」した元日共文化部長の率直すぎるほどの率直さ」 齢(よわい)87にして、自らの信念を捨てあっけなく「転向」してしまった。この山下氏の不甲斐なさを責めることもできるが、ここでは敢えてやめておこう。 それよりも、これまで散々憲法違反と言われ、時には「暴力装置」とも呼ばれ、いわゆる「冷や飯を食わされる」状態が続いてきた自衛隊にとって、鬼の共産党員である山下氏を「転向」させたことは、まさしくこの上ない最高の“勲章”に値すると言えるのではあるまいか。 我々日本国民は今、改めて自衛隊の存在価値を噛み締めている。だからこそ、私は自衛隊を「叱咤激励」したい。 自衛隊員は国家公務員であるが、くれぐれも国民の血税を貪るだけの「自衛公務員」に成り下がってはならない。今回のような自然災害を含めた「戦争」時において、国民の生命と財産を守る最後の砦としての国軍は自衛隊を置いて他に無いのである。 このことを強く自覚し、日々の任務に邁進して頂くことを切に願う次第である。   衛兵の軍靴の響き戛戛(かつかつ)とわが優柔のためらひ切り裂く   … 続きを読む

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