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優先席に座る青年と芥川龍之介『蜜柑』

優先席に座る青年と芥川龍之介『蜜柑』 令和8年5月25日  主権回復を目指す会  西村修平  五月晴れのある日、若葉の陰影が車窓を流れる山手線での出来事だった。車内はガラ空きだったが、あえて優先席に座ることにした。数駅通過してふと視線を上げると、目の前の優先席に端正な出で立ちの青年が座っている。パソコンを膝にして脇目も振らず作業に打ち込んでいる。二駅、三駅通過して車内がかなり混んできたが相変わらずパソコンから手を離さない。さらに数駅通過しても悠然と座り続けている。「いい若モンが優先席で何を?」と、いまいましい感情が次第に腹のなかに充満してきたその時である。 作業の手を休めた彼は落ち着いた動作で、右脚のズボンの裾をたくり上げ丁寧に畳んだ。目に飛び込んだのは冷たい光を放つ細長い一本の金属、義足なのだ。痛みを伴う感覚にも似たその光は私の目を鋭く刺激した。同時に、全てを理解せざるを得なかった。青年には推し計れない事情または出来事があって、若くして自らの片足を失う耐え難い現実に遭遇したのである。その状況を受け入れたうえで、躊躇(ためらい)なく自身の義足を人目に晒すことで、優先席に坐る青年への「避けられない、不可避な誤解」を解いているのだと。 上野駅で下車した彼の歩調は不規則で歪である。しかし尚更に、その一歩一歩のゆるりとした足取りは巨人が大地を踏み締めるように力強く、雑踏に紛れゆく背筋を正した後ろ姿に揺るぎがない。一言も言葉を交わさなかった義足の青年、彼の動作と立居振る舞いに生きる自信、強さとは何かを突きつけられた。 とっさに思い出したのが芥川龍之介の『蜜柑』だ。大正18年、28歳の作品で横須賀線での出来事である。 始発の横須賀駅から乗車した二等車に、途中駅で14、5歳の少女が慌しく飛び込んできた。垢じみた着物に油気のない丸めた髪、小さな風呂敷包みを抱える両手は霜焼けでひびだらけ、握られた手には三等車の切符だ。分別の効かないその愚順さと不潔な身なりとが相まって不快で仕方がない。 さらに、トンネルに入るや否や、目の前の席に移動してきた少女はいきなり窓を開けはじめたのである。当然のごとく、車内には煤だらけの煙が充満する事態に。怒り心頭で怒鳴り付けようと思った矢先、列車はトンネルをすべり抜けて目にした光景はみすぼらしい田舎の踏切だった。 すると、少女は窓から半身を乗り出し、「あのひびだらけの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まった蜜柑が凡そ五つ六つ・・・」、踏切で喊声を上げる子供たちの上に降っていった。 芥川はその「刹那に一切を了解した」のだ。何を了解したのか。『羅生門』などに比べ地味な作品かもしれないが、ヒューマニストとしての芥川の人となりを示す名作であり、幾度読み返しても受ける感銘は色褪せない。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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