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『シャルリー・エブド』、風刺と冒涜は異なる

冒涜なる「表現の自由」には“懲罰”が伴う 血を浴びる覚悟がなければ 「表現の自由」を語るな 【許し難い『シャルリー・エブド』の挑発】 以前から風刺画で物議を醸(かも)していたフランスの週刊新聞『シャルリー・エブド』の編集者らが7日、自動小銃で襲撃され襲撃者を含めて多数の死者と重傷者が出た。死という厳然たる事実に哀悼の念を抱きつつ、且つここでは宗教のそれぞれの教義の是非云々を問わない立場から、熱病の如く世情を席巻している「表現の自由」を問い質したい。 『シャルリー・エブド』はこれまでも幾たびか、イスラム教の予言者ムハンマドの風刺画について止めるよう警告を受けており、今回の事件はそれらの警告を無視して挑発を重ねる過程で起きた事件で、何もこのたび突発的に発生したことではない。 欧米白人列強によるアフリカの植民地支配。 フランスは、第二次大戦下アルジェリアなど、 広大なアフリカ大陸で弾圧支配を行なった (※クリック拡大) 襲撃事件後、同新聞は「(表現の自由には)全てが許される」としたタイトルの特別号を発行した。そのなかで、「イスラム風の衣装をまとう女性が下半身や胸をさらす姿も描かれている」(朝日新聞1月15日)と報じられている。さらに、「私達は表現したいものを表現しているだけ」と風刺画家(レナルド・ルジェ)のコメントを載せているが、イスラムを信仰する側にとっては耐え難い屈辱であり、これ以上の侮蔑的挑発もないだろう。異なる宗教にたいする『シャルリー・エブド』の挑発は、「表現の自由」を装った極めて質の悪い独善主義としか言いようがない。宗教から縁遠い者からしても、イスラムを信仰する彼らの心情は察して余りある。 【無法と化した「表現の自由」】 「(表現の自由には)全てが許される」としたら、これはやりたい放題の無法である。「表現の自由」の名で尊厳の犯される側には、この無法から自らを守る然るべき義務・使命が生ずる。従って、彼らに対する反撃は自衛行為としてその正当性が立証される。『シャルリー・エブド』は圧倒的な国家の庇護を受けながら、己らは安全地帯に安住しつつ、他宗教に冒涜・愚弄の限りを尽くすなど、どう考えても許されることではない。 相手を冒涜・愚弄したに値する返礼を風刺画家らは当然甘受すべきである。やりたい放題なる「表現の自由」を行使するなら、冒涜・愚弄された側からそれ相応の懲罰を受けて当然であり、一方的に襲撃されたかのような被害者面は卑劣なる欺瞞と断定して良い。 世界の宗教界に影響力を持つローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は15日、今回の襲撃事件に対して、表現の自由には「限界がある」と述べ、そのうえで、「他人の宗教をばかにするひとにも(襲撃事件と)同じことが起きる」と警告、「他の人の信仰を侮辱してはならない」と戒めた。正鵠を射た、至極真っ当な見解ではなかろうか。  ※参考↓  【アジア歴訪中のローマ法王、「言論の自由にも限度」】   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150116-00000004-jij_afp-int   https://www.afpbb.com/articles/-/3036650 【呆れ果てたフランスの「自由・平等・博愛」】 ところで今回、襲撃射殺された被害者の死体を面白おかしく風刺画されたなら、被害者親族や関係者らはどう思うだろうか。彼らはそれでも「表現の自由」を守るうえで「すべてが許される」というだろうか。彼らにそんな寛容さなどはない。 きわどさがウリのフランスの風刺芸人・デュードネ・エムバラエムバラ氏が、テロを礼賛したとして14日にフランス当局によって拘束された。理由は「俺はシャルリー・クリバリのような気分だ」とフェイスブックに書き込んだことだった。バルス首相は彼を「悪魔の伝道師」と呼び、「容赦しない」と糾弾した。 執拗極まりない『シャルリー・エブド』のイスラム風刺画は、フランスという国家権力の庇護の下で行う白色テロそのものであり、表現の自由を騙った恐るべき暴力である。この暴力に対し、我が身を守る術が他にあるのかと問いたい。 異なる宗教への冒涜・愚弄には国家権力を挙げてこれを擁護するが、襲撃された『シャルリー・エブド』に対する風刺・批判は容赦なく取り締まると。明らかなご都合主義に基づくダブルスタンダードであり、フランスが日頃から標榜する「自由・平等・博愛」が聞いて呆れるというものである。「自由・平等・博愛」なるものはフランス人のみに適用される概念であり、異なる宗教や有色人種には適用しない旨を白状してしまった。 フランスは第二次世界大戦後においても、ベトナムを含むインドシナ半島、アルジェリアなど広大なアフリカ大陸を植民地支配していた。我々はその地の人々にフランスが強いてきた苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)な弾圧支配を忘れてはいない。フランスは異なる宗教と有色人種に「表現の自由」という説教を垂れる前に、アジア、アフリカ諸国に対して行った植民地支配の罪を懺悔すべきである。 植民地支配下の東南アジア (※クリック拡大) ※参考資料 ◆映画『アルジェの戦い』 (フランス・アルジェリア合作 1966年 監督ジッロ・ポンテコルボ 出演ジャン・マルタン 音楽エンニオ・モリコーネ) ◆映画『パピヨン』 (フランス 1973年 監督フランクリン・J・シャフナー 出演スティーヴ・マックィーン、ダスティン・ホフマン 音楽ジェリー・ゴールドスミス) ◆『アルジェリア戦争 … 続きを読む

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第10回名画鑑賞会『日本暗殺秘録』(監督:中島貞夫 )

第10回名画鑑賞会『日本暗殺秘録』 (監督:中島貞夫 )1969年/ (東宝) 永田鉄山を弑逆(しぎゃく)する相澤中佐を演ずる高倉健 桜田門外の変からその後の血盟団事件、二・二六事件に至るまでの100年に及ぶ日本暗殺史を克明に描く。維新の後に頻発する暗殺の事態に憂慮した明治天皇は、異例とも言うべき詔勅を日本国民に発布した。  抑(ソモソモ)維新ヨリ以来 大臣ノ害ニ罹(かか)ル者三人ニ及ヘリ  是朕カ不逮(ふたい・不行届)ニシテ朝憲ノ立タス  綱紀ノ粛ナラサルノ所致(致す所)  朕甚タ(はなはだ)焉(これ)ヲ憾(うら)ム 暗殺は政治変革を促したか、社会革命の触発をなし得たか。暗殺は是か非か、暗殺を越える思想とは。「テロリストのかなしき心」(石川啄木)の何かを問う。  ◆参考【『ココアのひと匙』(石川啄木)】  われは知る、  テロリストのかなしき心を  言葉とおこなひとを分ちがたき   ただひとつの心を、  奪はれたる言葉のかはりに  おこなひをもて語らんとする心を、  われとわがからだを敵に擲げつくる心を  しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり  はてしなき議論の後の  冷めたるココアのひと匙を啜りて、  そのうすにがき舌触りに  われは知る、テロリストの  かなしき、かなしき心を。 監督:中島貞夫 製作:大川博 原作:鈴木正 脚本:笠原和夫 撮影:吉田貞次  音楽:富田勲 出演:若山富三郎(有村次左衛門)菅原文太(朝日平吾)千葉真一(小沼正)    片岡千恵蔵(井上日召)鶴田浩二(磯部浅一)高倉健(相沢中佐) ナレーション:芥川比呂志  日時:3月2日(日)     13:00開場 13:30上映開始   場所:神保町区民館      (千代田区神田神保町2-40 03-3263-0741)   地図:http://www.city.chiyoda.lg.jp/shisetsu/kuyakusho/007.html   アクセス:JR都営三田線水道橋駅から徒歩10分、        東京メトロ半蔵門線・都営三田線・新宿線神保町駅から徒歩5分 会場負担金:500円(任意) ◆主催:主権回復を目指す会 … 続きを読む

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