タグ別アーカイブ: 津波

「水の惑星」に生きる宿命

13.5億立方kmの水で地表の71%が覆われている惑星は、天文学上、知る限りでは地球のみである。 人間はもとより、地球上の全ての生物は水によって育まれているのだ。 人間が宇宙から地球をこの眼で見た最初(1961年4月12日)の一声は「地球は青かった」(ガガーリン)とされているが、この青こそ地表を覆う水である。 この地球は「水の惑星」、これ以上に的確な表現があるだろうか。 そしてこの「水の惑星」においても、我々が住む日本列島は周囲を広きに渡って海に囲まれ、且つ奇跡的とも言える地理的条件の下、豊かな降雨量に恵まれた地球上のオアシスと言っても過言ではない。 我々はこの水に全存在を、全存在とは生死であり、その生死を委ねている。委ねるのではなく握られているのである。いや、人間とは水と言ってもいい。 その水がある一定の条件で、津波に転化して凶暴な様相で自らが育んでいる人間を抹殺するのである。この度の東日本大震災の大津波だが、どのような兵器を使用したところで、これほどまで広範囲に渡り、完璧に破壊の限りを成し遂げることが出来るだろうか。 津波はもとより、幼児の水鉄砲に始まって、巨大な水力発電、果ては原発までが水に関わっている。これほど様々な形態として変化し、不思議で扱いきれない物体が他にあるだろうか。 夢にもこの水を、意のままにコントロールしているような思い上がりに陥ってはならない。人間は水に共存して頂いているのである。 ましてやこの水の惑星を、日本列島という地球のオアシスを核物質で汚染するなど許されない。「低濃度」のロジックで、福島第一の事故を誤魔化してはならないし、これは原発の是非を問う以前の問題である。   (↑クリックにて拡大)  戒めのごとく止まる一本の松は 襤褸(らんる)の姿さらして    一本の松は記憶す跡形もなき六千本の白砂青松   ※襤褸:ボロ切れ、あて布     推薦音楽: 宮城道雄『水の変態』 ラヴェル『水の戯れ』   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法

 主権回復を目指す会の活動に参加している児島謙剛君が説得力ある論考を述べているので紹介したい。  読後の感想を一首にしたためて見た   易水の壮士を気取るますらをの悪酒に憑(つ)かれし酔ひのかなしさ        ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………       【参考】『史記・刺客列傳』        風 蕭蕭(せうせう)として 易水(えきすゐ) 寒く ,壯士 一たび去りて 復(ま)た還(かへ)らす   <阿Qも絶賛! 櫻井よしこ女史の精神的勝利法>   「日本賛美論」に酔い痴れる保守派の恍惚  平成23年5月3日  主権回復を目指す会 児島謙剛  「酔い痴れる(よいしれる)」とは、良くできた本質を突く日本語である。 確かに、これだけ「日本賛美のフルコース」を並べ立てられれば、「保守」は嬉々として酔い痴れるであろう。彼らには「痴」の文字こそが相応しい。 4月27日に開かれた「大震災復興支援『正論』講演会」(産経新聞社主催)における櫻井よしこ女史の講演の書き起こしを拝読した。 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723000025-n1.htm (→関連リンク:http://megalodon.jp/2013-0824-1333-26/photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/04/0427seiron/) ここから見て取れるものは、まさしく今般の大震災によって浮き彫りになった「保守」の欺瞞、まやかし、ごまかしに他ならない。 櫻井女史の誤謬として、以下の3点を挙げることができる。 【1.盲目的な日本人賛美】 女史曰く、大震災を通じて見えてきた日本人の姿は、この上なく立派であり、絶望してもおかしくない中で、沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿を見せてくれた、とのことである。 果たして、そうであろうか? 被災地で横行した数々の姑息な「火事場泥棒」「コソ泥」、人々の善意に付け込んだ悪質な募金詐欺、自分さえ助かれば後はどうでも良いと言わんばかりの身勝手な買い占め騒動・・・これらの一体どこが「沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿」なのだろうか? 人の不幸に付け込む輩は何処の国にも存在する。「火事場泥棒」なる言葉は歴とした日本語ではないのか。日本人が他の外国人に比べて格段に優れているわけではないのだ。 海外メディアがいかに日本を「絶賛」しようともそれは勝手であるが、日本人自身がそれに酔い痴れている場合でないことだけは確かである。 【2.盲目的な自衛隊賛美】 女史曰く、菅首相は自衛隊に「感謝する」と言ったが、それだけでは足りず、さらなる栄誉を与えなければならない、とのことである。 現場の最前線で、自衛隊の人たちが誠実に任務を果たしてくれているというのは、確かにその通りだろう。我々日本国民一人一人が内心で彼らに感謝の心を持つことには何の異論も無い。 しかし、他でもない産経新聞の報道によってもたらされた自衛隊の姿とは、以下のようなものであった。  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm 災害とは、すなわち「戦争」であり、被災地とは、すなわち「戦場」である。 戦場で戦う兵士にとって、遺体の収容とは避けて通れない任務であり、車座で痛みを共有しなければそれを遂行できないほどの脆弱なメンタリティーであれば、我々はそこにプロ集団としての矜持を見出すことができず、「国軍」の称号を与えることなど到底できはしない。 過酷な言い方に聞こえるかもしれないが、遺体の収容に従事した自衛隊員は、プロとして当然の職務を遂行したまでのことであり、それ自体が特別な賞賛に値するわけではない。 … 続きを読む

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手放しで喜んでいいのか日本

※主権掲示板/主張欄<手放しで喜んでいいのか>なぜ暴動、略奪が起きない日本・オリジナル原稿   突然の海もりあがる夢うつつ瓦礫と化したる真昼の暗黒      震災犠牲者に黙祷     自然科学、また社会科学においてもそうだが、事物とか物事の概念はある一定の条件で反対の側へ転化する。哲学用語ではこれを対立面の統一ともいう。  この観点から、今回の震災に遭遇した日本人のメンタリティーを考えてみたい。 
 海外メディアは震災時における日本人の規律正しさ、整然とした行動、暴動、略奪に走らない民度の高さを「驚き」をもって報道した。それを受けて多くの日本人、特に「保守」派がこれをしきりに自画自賛しているが、手放しで悦に入っていいものだろうか。これを民度の高さなどで説明できるだろうか。  暴動、略奪が起きない、又は起こせないのには理由がある。起こす理由、必要、さらには起こす気力がないということでもあり、道徳律が他国に比べて特段高いからで説明できるだろうか。 
 ありとあらゆるインフラが破壊される未曾有の災害にも関わらず、被災者はそれぞれの避難施設に落ち着きさえすれば、基本的な衣食住は国家が保証してくれ、テレビや入浴などを除けば、生命を維持する最低限は整っている。少なくとも、この点において暴動、略奪を起こす理由、必要がない。危険を冒して、他人を押しのけてまで命の糧を争う必要がないのである。 
 こうした救済の形は奈良時代の光明皇后までさかのぼれる。夫である聖武天皇に強く進言して東大寺、国分寺の建立に大きな存在を示された方で、各所に救護施設にあたる「悲田院」、医療介護施設に該当する「施薬院」を設けて慈善活動を積極的に行った。  この時代は、主権回復を目指す会が推薦する図書の『穢土荘厳』(杉本苑子・文春文庫) に詳しいので是非読んで頂きたい。  古来、救護施設に収容して貰えさえすれば、当分の生命の維持は保証されるのである。これらは江戸時代まで、地震などの災害に幕府は「罹災者救恤」の特例でもって庶民の救援に関わってきた歴史がある。  集団飼育される家畜小屋の草食動物が先のことさえ考えなければ、生命を維持するエサに困ることはないように、特段の不平、不満を生じない。 
 早い話が、従順に躾られて来た日本人は特別なにも倫理観が高いとか、民度が高いのではなく、災害時に暴動を起こす必要がないからとも言える。生活、生きることに躾られた日本人は他民族に比べて、危機の際に極端に生命力が貧弱ともいえる。  被災地で頻発するこそ泥の類の窃盗事件・・・、災害のどさくさに紛れた窃盗事件の多発は現地の警察が報告するように明らかである。  ◆宮城、震災後の窃盗被害1億円 被災地で多発290件 ガソリン盗増加  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110330/crm11033011510003-n1.htm  上記の報道のように、ここの何処に我が国が他国に自慢する民度の、倫理観の高さがあるのか、人の不幸につけ込んだ火事場ドロボー、最も卑怯な行いではないか。これを演じている卑劣漢が他でもない日本人なのである。この類いの日本人、恥を知れ!と言いたい。  なぜ、こそ泥か。集団で白昼堂々と暴動、略奪できない精神の弱さにある。だから、ただのこそ泥しかできない。暴動、略奪は善悪の是非如何を抜きにすれば、とてつもない膨大なエネルギーの発散であり、情念の爆発である。日本人には、危険を冒してまでの気力、エネルギー、情念がないといえる。他民族と比較して生命力を支える力が極端に弱いのであるが、特に「保守」を自称する側がこの点を全く自覚できていない。  民度の高さ、道徳律なる概念は民族、社会のおかれている環境(一定の条件)で対立面へ転化するものであり、右か左を選択するような単純なものではない。   定まらぬ軌跡のままに落下舞ふ わが皇国の行く末なぞらひ 国のため 生命(いのち)捧げし ひとのあり まことのこころ 映す春の灯 さくら満開の千鳥ヶ淵にて        (平成23年4月8日)     参考文献: 毛沢東『実践論・矛盾論』 杉本苑子『穢土荘厳』   … 続きを読む

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三つの論点から原発を考える

 原発に関して、自分は核拡散防止条約に絡む軍事上の事柄のみに関心を寄せて来ただけであり、「反」「推進」いずれの立場を論ずるだけの勉強がなかった。今回初めて双方の見解などを一通り学んだ。  世上、「反」「推進」さらに「脱」が原発をめぐる大まかな立場を表しているように思える。「コスト」「環境(安全)」「安全保障」という三つの観点から考えて見たい。 【原発のコストは安いのか】  一つ目の「コスト」について言えば、ウラン1グラムの発熱量は石炭3トン分に相当するとか、エネルギー別の発電コストは原子力が5~6円と一番安いこととかになっているが、本当だろうか。  各電力会社の工事建設費並びに誘致対策費、国による巨額の交付金、見掛け倒しの事故対策費、原子力関係予算、さらには核廃棄物処理費などなど、これらが発電コストに厳密に算入されているか全く明らかにされていない。「コスト」の実体は、はなはだ信憑性に欠けると言わざるを得ない。  核廃棄物処理に関しては、青森県六ヶ所村にある日本原燃株式会社(にほんげんねん)が、一切の使用済み燃料の再処理を請け負っている。再処理を目的に設立された政府肝いりの国策会社であるが、この存在も甚だ不透明である。 【技術に絶対はない】  二つ目の「環境(安全)」だが、科学はあくまで未知の客観世界を認識する研究分野であって、科学が抽象的に万能などはあり得ない。その科学という未だ研究分野の原子力を扱いコントロールするのが技術であり、その技術に時空を越えた絶対などもあり得ない。それはあくまで現時点での限定された絶対である。安全(環境)を著しく損傷した今回の福島第一の「想定外」で、「絶対」が如何に当てにならないか証明してくれた。 【無に等しい原発の安全保障】  三つ目の「安全保障」こそ最も深刻に考えなければいけない。各地の全原発が海岸縁に建設された津波の“好餌(こうじ)”とも言える立地条件にあることだ。さらにこの原発が軍事上から見たとき、無防備のまま晒されており、戦時の場合は真っ先に攻撃の矢面に立たされる。  その結果の事態は言うまでもない。想像を絶する核汚染物質が全土を覆いつくす。国家の安全保障上、「想定外」などで済まされない。さらに忘れてならないことは、ウランの輸入は反日のオーストラリアとカナダで、全輸入の60%を占めている。燃料の自給率ゼロで、輸入に頼っている原子力がどうして「貴重な電力」に成り得るのか。 【条件的「脱原発」】  以上三つの論点からして、我が国は条件的な「脱原発」が望ましいと考える。条件的とは全発電量の一割程度とし、原子力研究は進めていく。これはシナ、ロシアなどが更なる原発推進の方向であることからして、この研究分野で遅れをとってはならないからである。 【追記】  なお、西村真悟の時事通信(平成 23 年 4 月 26 日号)は、ウランが石油と違い禁輸の恐れがないとしたうえで、「原子力による発電が必要だ」としている、しかし、そのウランという化石燃料は100%海外に依存している。現実を知らないか、故意に無視しているか分からないが、事実を挙げた道理を説きたいものである。  六ヶ所村の核廃棄物処理だが、プルトニウムを大量に含む高レベル放射性廃棄物の減衰期間は約二万年とされている。その廃棄物はガラスに封じ込め、ドラム缶で地下三百メートルに貯蔵される。二万年後のガラス、ドラム缶の存在を誰が確かめることの出来ようか。  今現在を原子力の利便につかりながら、後世にとてつもない負債を残していくことが許されていい訳がない。原発をめぐる立場の相違を越えた深刻な問題であり、誰もが避けて通ってはならない。  先人が我々に残してきたこの日本列島、地球を放蕩親父のように食い潰してはならないのである。    虫や鳥 人間さえも見かけざる 春は沈黙FUKUSHIMA第一   春の日の明るさのみを照り返す 瓦礫の上に無情の碧空        ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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