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生に執着する日本人

日本を滅ぼす長寿信仰 人間、命長ければ辱(はじ)多し お盆の帰省は高速の無料化などと相俟って例年以上の渋滞が各地で起きていた。 特にUターンラッシュはとりわけ激しい様相を呈していたが、それぞれが田舎で祖先の御霊をお迎えし、送り火でお見送りした充足感は得難いものであったに違いない。 物事はある一定の条件で対立面に転化、また対立面が統一する。八月お盆ということもあり、この観点から死生観を考えてみたい。 我々は何を前提にして生きているかといえば、来るべき死を前提にして生きている。来たるべきとは、逃れられないと言うことである。万人に等しく与えられた必然である。 生と死は手でいえば表と裏、生と死は文字通り表裏一体である。我々の存在は生と死で構成されており、死ぬために生きているともいえる。 と言うことは、生と死は異なる概念ではなく、一体として捉えることが出来る。 事実、死ほど我々の日常に密着している必然はない。しかしながら、一方では死ほど人間一般にとって受け入れがたく且つ関わりが忌避されるものはない。 「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅っせぬもののあるべきか」 『敦盛』(幸若舞)  「命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ」 『徒然草』第七段 (吉田兼好 1283年 -1352年) 『敦盛』(源平合戦)の時代が平安時代、吉田兼好が鎌倉末期だから、それぞれ800年から600年前の日本人の死生観が述べられている。 下記は シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』からの一節、暗殺の情報を入手した側近らが、シーザーに元老院への登院を諫(いさ)めるシーン。 諫める側近へシーザーは 臆病者は現実の死を迎えるまでに何度でも死ぬものだ。勇者にとって、死の経験は一度しかない。世の不思議はいろいろ聞いてきたおれだが、何が解らぬといって、人が死を恐れる気もちくらい解らぬものはない。死は、いわば必然の終結、来るときにはかならず来る。それを知らぬわけででもあるまいに <『ジュリアス・シーザー』(シェイクスピア・福田恆存 訳)> シェイクスピアが『ジュリアス・シーザー』を上演したのが約400年前(1600年)だが、『敦盛』や吉田兼好らの死生観と見事に重なっている。 この夏は節電キャンペーかどうか知らないが、やたら熱中症による死者、それも高齢者の死亡報道が目に付いた。特に65歳以上の高齢者が死亡する割合は季節の変わり目、特に2月と8月に高く集中することは知られている。80,90才が熱中症で死を迎えるのは悲嘆する悲劇ではないはず、ましてやニュースなどには。 最新の統計でも、日本人の平均寿命は男性が79.59歳 、女性が86.44歳と、世界でも抜きん出ている。自然の摂理として、高齢者の宿命としてその死は誰しもが受け入れなければならないところだが、生に執着する風潮は過剰且つ浅ましくも見苦しい。 国連が、「世界人口推計2010年改定版」を発表した。世界人口は今年10月末に70億人に達し、90年後の2100年までには101億人になるという。地球上の適切な人口は約30億人と言われているので、2050年には百億人近い人間が余剰人口となる。地球がもはや悲鳴を上げているのではないか。 「命長ければ辱(はじ)多し」と記した先人の言葉をよく思い返したい昨今である。 『送り火二題』      新盆の送り火消へてしんしんと母亡き家の寂寥(せきりょう)深し      家々の送り火消へてふる里を包む暗やみ昔も今も 下記はシナとの比較文化の視点から「長寿」を考察した投稿、日本人の死生観を今一度考えてみたい。 投稿      日本を滅ぼす「長寿信仰」 「長寿」という支那思想から脱却せよ 平成23年8月20日   こだまともはる     周知のとおり日本は長寿大国である。長くこの世にいることを「長寿」というらしい。なんだかバカみたいな話だ。人よりも、一年でも長く生きることが、いつしか生の目的とされたのである。いうまでもなく、地球という生命体にとって、人類が呼吸しはじめたのはごくわずかな時間に過ぎない。四六億歳である地球の一生からすると、人類は塵芥のようなものだ。一〇〇歳まで生きようが、二〇歳で死のうが、地球や宇宙の摂理でとらえたら微々たる問題である。問題は量より質だろうに。 筆者は、長生きをしたいという願望は支那人に由来するものと考えている。例えば秦の始皇帝。彼は不老不死を目指して、徐福に蓬莱(ホウライ:日本とされる)へいって仙人を連れてこいと命じた。結局皇帝は死ぬが、このとき以前から支那人にはこうした願望があったのだろう。  ← 秦の始皇帝:シナ統一後、不老不死の霊薬を求め方士を重用した。特に、徐福に命じて蓬莱国(日本)へ霊薬採取の船団まで派遣した徐福伝説は有名である。 … 続きを読む

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米倉弘昌宅に抗議

自宅街宣(米倉弘昌・住友化学会長、経団連会長) 経済テロリスト・原発マフィアと化した米倉弘昌の暴走を許すな! 主権回復を目指す会は8月14日、抗議文の受け取りを拒絶している米倉弘昌(住友化学会長・経団連会長)の自宅へ抗議文を届けに伺った。  ←横浜市南区南太田2丁目の自宅 車の渋滞を避けるため、早朝の7時、抗議文を持参して横浜市南区南太田2丁目の自宅へ。米倉は国民の抗議に恐れをなしたか、来訪の目的を告げても一切反応しなかった。 米倉弘昌よ、出て来い!記者会見で机を叩きながら東電擁護を演じたあの勢いはどうした? 「国の全面支援は当然だ」と嘯いた醜悪を我々国民は忘れていない。甚大な被害を受けている福島県民、風評被害を浴びている農業関係者は、米倉の経済道義をかなぐり捨てた暴走をもはや放置できない。 電源三法という血税で成り立っているのが原発、その原発の恩恵に最も与って来た企業が住友化学だ。原発はいわば国策事業、それ一体となって成長した来た住友化学の会長から、経団連会長としての米倉から、我々国民は未だ謝罪の一言も聞いていない。 重大事故に対する反省、お詫びすら出来ないまま、なおこれ以上の原発増設に固執する米倉は経済テロリスト・原発マフィアと断言していい。 尖閣諸島を侵略するシナへの迎合、移民1000万人計画の推進などなど、米倉と経団連の売国・守銭と化した暴走を放置してはならない。 (↓ 画像クリック拡大) 閑静な住宅街の中を抜け米倉宅へ 日本人を切り捨てて我が国をシナ人へ売る移民計画は絶対粉砕だ! 経済道義をかなぐり捨てた子商人(こあきんど)には天罰を祈るしかない 呼び鈴を、米倉さん!お早うございます! 我々を恐れてか反応しないので、思わず「米倉、出て来い!」 仕方がないので、門前で抗議行動を取らざるを得ない 抗議文の投函、米倉が企業の社会的責任を果たすまで何回も来る必要がある 制服警官が運転する怪しい車、我々の到着を確認すると消え去った 【動画】『東電擁護の子商人』経団連の拝金・亡国主義に鉄槌を!  http://www.youtube.com/watch?v=epGkZEm_Tww 【靖国】 終戦記念日活動【本日!】 英霊に汚名を着せるな! <河野、村山談話の白紙撤回署名活動>  本日 8月15日(月) 07:30から  場所:九段下(東京理大前)   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

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保守派の「熱気」とは!

尖閣死守、竹島奪還を叫ぶ保守派の「熱気」とは! 先日11日(木)、文京区民センターで展転社、維新政党・新風などの主催による「新藤・稲田・佐藤の三議員を断固支持する緊急国民集会」が開かれたとのこと。 下記の案内と報告があった。 ↓ 新風による案内 http://shimpuoshirase.sblo.jp/article/47162578.html ↓ 花うさぎさんのブログでの詳細報告 http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/day/20110812/ それによると「会場は満杯」で、「クーラーが効かなかったほどの熱気」に包まれていたそうだが、この「熱気」の異常さを驚かずにはいられない。  つい数ヶ月前の5月、KKRの土地売却がシナに対する領土の切り売りだとして問題になった。 主権回復を目指す会と幾人かの心ある国民は、問題の深刻さを声高く訴え、KKRの土地売却反対を訴えた。一週間に亘る抗議、国会議員らへの売却阻止を呼び掛けたが反応は皆無であった。 契約日が5月25日と判明した当日、KKR前に馳せ参じたのは僅か10人にも満たなかった。韓国まで出向く新藤・稲田・佐藤の三議員も千代田区のKKRには姿を見せなかった。 シナへの領土切り売り糾弾が4人だけとは。 昨日まで尖閣死守、竹島奪還を叫んでいた愛国保守は何処へ(5月23日 財務省前) 日本領土が抵抗せずにシナに奪われた。 平成23年5月25日、これは日本の歴史に銘記される恥辱の記念日の一つとなった。愛国を語る「保守派」が国会議員を含め、シナによる我が国領土侵略を、知っていながら指を銜えて見物した。実に許し難き不作為が公然と行われた恥辱の日だった。 11日(木)、文京区民センターの会場を埋め尽くした「保守派」のうちの一体何人が、『KKR問題』に関心を持って、実際に何らかの行動を起こしていたのか? 会場を埋め尽くした彼らの「熱気」とは一体何なのだ?  下記は主権回復を目指す会の愛国陣営と国会議員への檄だった  ↓         (参考:5月22日投稿記事 http://nipponism.net/wordpress/?p=958) シナ大使館への土地売却は領土の切り売りだ <国会議員に告ぐ!領土を死守する国民を直視せよ> 平成22年5月22日 主権回復を目指す会 国会議員の使命、義務とは何か それは「国民の生命・財産・安全、そして名誉を守る」ことである。ただ守るのではなく、死守するのである。死守、つまり己の命をかけることを指す。そのため我が国民は数千万円の議員歳費、さらには一ヶ月当たり百万円の新聞図書費まで負担している。実に巨額な税金で養われているのが国会議員なのである。 異論はあろうが、国益を担い、使命と義務を果たすのであれば決して高くもないだろう。 外交上シナ大使館はシナの領土、それに隣接する土地を取得することは紛れもない“領土”の拡張である。現有3,300坪に落札した1,700坪が加われば巨大なシナ領土が都心に誕生することになる。 現行のシナ政府はわが日本民族とは敵対関係、シナは我が国にとって侵略国家、この度の“領土”の拡張を侵略と言わずして何と言えばいいのか。シナが落札した物件は土地ではなく、紛れもない我が国領土なのである。 上記の道理を掲げてわずか数人であるが、落札無効と売却破棄を求めて(KKR)に乗り込み、抗議を強行した。落札無効と売却破棄は「国民の生命・財産・安全、そして名誉を守る」ためであった。 国会議員が果たすべき使命と義務を、名もない国民が数人でこれを代行したのだ。 国会議員は何処にいるのか、何処を彷徨っているのか。 この現実を国会議員は直視せよ!売却が成立した後に、知らなかったでは売国奴、税金ドロボーの誹りは免れ得ない。 これは国会議員に対する国民の警告である。 かくすればかくなるものと知りながら男子の本懐示すときあり 5月25日が契約期限日だ。心あるならば日本国民よ、座死するな! 下記は「新藤・稲田・佐藤の三議員を断固支持する緊急国民集会」に寄せられた投稿である。 投稿 … 続きを読む

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『長崎の鐘』は日本人を欺く偽善の鐘である

長崎の恨みを忘れないぞ! 原爆犠牲者へ誓う!原爆を投下される過ちを二度と犯さない 弔意を示さぬままの星条旗へ向かって「ルース大使はこの写真を直視せよ!」 広島への原爆投下三日後、米国は長崎へ8月9日、広島型と異なる原爆(プルトニウム型)を投下した。推定人口24万人の内、約7万4千人が焼き殺され、被爆の後遺症で更に7万人以上が亡くなっているが詳細な数は今もって定かでない。 9日、主権回復を目指す会は政経調査会と共に米国大使館へ抗議行動を実施。管轄の赤坂署は米国大使館一帯を“封鎖”し、3人以上の抗議文提出並びに写真撮影を禁じた。 哀しいかな、これが米国の支配下におかれた屈辱の現実である。 6日同様、この日もまた、我が保守派陣営による米国大使館への抗議行動は皆無であった。8月6日、9日、原爆投下の恨みを忘れて抗議行動さえ出来ず、核武装など笑止千万ではないか。8月6日、9日と愛国保守派は何処をさまようのか。 (↓ 画像クリック拡大) 「長崎の恨みを忘れないぞ!」 米国の言いなりになって、「原爆投下」を糾す声を排除する赤坂警察署 日本人よ!同胞に加えられた米国の残虐を直視せよ 遺体を見せつけられ沈黙する警察 非戦闘員に対する残虐に米国は一分の申し開きも出来ない 原爆犠牲者の恨みを絶対に忘れてはならない 民族の恨みを込めて米国大使宛の抗議文を読み上げる 全ての原爆犠牲者に弔意を示して 広島の原爆死没者慰霊碑の石室碑文に、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されてある。主語の欠けた脈絡のない碑文は偽善であるとして、心ある国民の厳しい批判を浴びて来ているが。 ところで、広く日本人に名曲として親しまれた歌謡曲に『長崎の鐘』があり、被爆地である長崎を歌っている。その歌詞は広島の碑文以上に偽善だが批判を受けないでいる。 下記はその4番目の歌詞であるが、これは広島の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と瓜二つと言っていいのではないか。しかしながら、その歌詞が広島の碑文のように批判されたことを未だ知らない。 『長崎の鐘』(昭和26年) 作詩 サトー・ハチロー  作曲 古関裕而   こころの罪を うちあけて   更け行く夜の 月すみぬ   貧しき家の 柱にも   気高く白き マリア様   なぐさめ はげまし 長崎の   あゝ 長崎の鐘が鳴る 長崎の鐘 ご存知のように古関裕而は作曲家として戦前、『露營の歌』『暁に祈る』『若鷲の歌(予科練の歌)』などで、大東亜戦争の大義を我が日本人に鼓舞してきた音楽家で有名である。戦後も『とんがり帽子』『君の名は』『ひるのいこい』『オリンピック・マーチ』などなど、童謡から歌謡曲、管弦楽曲までとこれほど日本人に親しまれ、また名曲を世に残した音楽家はいない。 炭化した同胞の遺体、性別も分からないまま火傷で苦悶する女子高生・・・、これらを直視せよ! サトーハチローと古関裕而は、何ら科(とが)もなく焼き殺された同胞に対して、一体何の「こころの罪を」うちあけろと言いたいのか。 非戦闘員の殺戮を目的にした原爆投下で同胞は焼き殺された。この犯罪に対して米国には弁明の余地など一点すらない。サトーハチローと古関裕而は、一体誰に対して「こころ罪」をうちあけろと言いたいのか。焼き殺された無辜の民は、誰に罪の許しを乞い願えばいいと言うのか。 『長崎の鐘』、これは広島の碑文と瓜二つだが、サトーハチローの詩を、古関が有り余る才能でもって見事に美しいメロディーで修飾した。偽善に甘美な曲調が修飾され、『長崎の鐘』は名曲として日本国民に定着している。 故に、今に至るまで、この偽善極まるメロディーに日本人は酔い痴れたままでいる。名曲であるからして、その偽善の度合いは計り知れず、日本人を痴呆状態にする効果は広島の碑文どころではない。 『長崎の鐘』は原爆犠牲者をなぐさめ、はげますのではなく、戦後日本人を欺く偽善の鐘である。 … 続きを読む

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閑古鳥が鳴く8月6日の米国大使館前

米国の戦争犯罪を糾弾できない保守派の痴呆 長崎原爆忌日(9日)、愛国保守は米国大使館前に集合を 8月6日、米国が広島に原爆を投下して66年目を迎えた。一瞬にして14万人が殺戮された。その後の原爆後遺症で約6万人が死亡している。 当時の広島市の推定人口が約34万人、人類史上に銘記される米国の犯した戦争犯罪である。 日本軍の軍事的抵抗が無力化した状況下において、米国は日本列島各地に爆撃を繰り返し、非戦闘員の殺戮を目的に無差別な空襲を欲しいままに展開した。東京大空襲に続く8月6日の広島と9日の長崎はその集大成として行われた。 『残忍な人たち ~ なぜ原爆を落としたか』 (週刊新潮●変見自在) 2005年8月11・18日号高山正之(帝京大教授) 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。   真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。   確かに、米軍パイロットはそういうことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。   二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。   教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。   米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は①直径3マイルを超える都市で②かつ有効な損害を与えられる地形をもち③通常爆弾による爆撃をしていないことが条件だった。   これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。   広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。   米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。   鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。   8月6日に考えてみることは多い。 愛国とはわが祖国の同胞を守り、愛することではないのか。その同胞が非道極まる残虐な殺戮をされた。 保守派は映画『凛として愛』を高く評価し、映像空間のお話に陶酔するが、愛するということは抽象ではなく行動を伴う。同胞を殺戮した相手を憎み、殺戮された同胞の無念を晴らすことが愛なのである。 原爆投下は日本人殺戮の集大成、8月6日はその象徴たる忌日、日本人であるならば忘れてはならない日である。そして8月6日の米国大使館は、戦争犯罪を追及する日本人によって幾重にも包囲され、同胞の恨みを晴らす糾弾の声が飛び交うのである。愛国を語る保守派が一堂に会する忌日ではないのか。 しかしながら今年も米国大使館前は穏やかそのもので、土曜日ということもあって閑古鳥が鳴く静けさであった。その静けさは、日本人が死滅したかのような不気味な静寂であった。 そうした中で、主権回復を目指す会は恒例ともなっている8月6日の原爆忌日、米国大使館下に集合し、「広島原爆投下66周年 米国の戦争犯罪を許すな!」の抗議集会を開いた。 【動画】広島の恨みを忘れるな!米国の原爆投下に時効はない youtube http://www.youtube.com/playlist?list=PL05C533FA81756A62 ニコニコ動画 … 続きを読む

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