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国軍とは何か

朝日新聞も“認める”自衛隊の存在          共産党員を“転向”させた自衛隊の貢献 国軍(自衛隊)の圧倒的存在を示したこの度の大震災である。  その前に「国軍とは何か」を考えたい。 国軍とは 自衛隊員は国家主権の確保と共に、国民の生命、財産、安全且つ国家の名誉を守るため、自身の全存在を任務に捧げることを本分とする。 したがって、思想信条の如何に関わらず、彼らは国家の命に従い、その本分とする任務を全うするのである。ここにこそ、国軍である自衛隊の全存在がある。 全存在、つまり究極的に死をもって国家から与えられた使命を全うすることにこそ、自衛隊員の最高の名誉がある。あるのではなく、与えられなければならないのである。 下記は、朝日新聞も“認める”自衛隊の存在 朝日新聞『声』(5月22日) 「自衛隊員の献身的作業に感謝」 主婦 松村 真紀(東京都杉並区 45)   今回の大震災被災地での自衛隊の働きはメディアで見聞きしていたが、先日、テレビで改めてその献身ぶりを目の当たりに見て、言葉に尽くせないほどありがたく感じた。  毎日毎日、黙々と作業を続ける隊員たちはみな、一様に「被災者の目線に立った仕事を」と言う。そしていまだに温かい食事を取れない人々を思い、昼食は目立たぬよう、トラックの荷台でかき込むように食べている。町の人はみな感謝し、通り過ぎる自衛隊のトラックに手を合わせ深々とお辞儀する人もいるという。本当に頭が下がる。  実質的には軍隊と言える自衛隊が憲法解釈上、微妙な存在なのは事実だし、その是非は私にはわからない。しかし、リーダーシップも実行力もない政治家より、指揮系統が確立し、圧倒的な実行力を持つ自衛隊の方が今、よほど存在意義があるのではないか。自衛隊がなかったら、もっと復興作業は遅れていたに違いない。自衛隊の皆さん、ありがとう。心と体を大切に。応援しています。 もう一つ、5月7日に書かれた児島謙剛君の論考   <筋金入りの共産党員を“転向”させた自衛隊>     自衛隊員は「自衛公務員」ではない 今般の大震災および福島原発の事故を通じて、我々日本国民は、良きにつけ悪しきにつけ、改めて自衛隊の持つ圧倒的な存在感を認識するに至った。  自衛隊が逃げた! 深夜の避難所で大パニック起きていた  2011年3月17日(日刊ゲンダイ)  http://gendai.net/articles/view/syakai/129464  自衛官、原発怖くてパニック・逃走…懲戒免職  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110419-OYT1T01266.htm  2011年4月20日(読売新聞) 上記のような目を覆い、耳を塞ぎたくなる惨状があったことは確かであり、むやみやたらと自衛隊を賛美する風潮に対して、我々は自戒を求める警鐘を鳴らしてきた。 だが、未曾有の大災害という「戦争」状態の中で、多くの自衛隊員による獅子奮迅の働きがあったこともまた事実である。 講談社発行の雑誌『g2』第7巻に興味深い記事があるので、紹介したい。 佐野眞一氏によるルポ「東日本大震災と日本の希望1」の中で、日本共産党中央委員会の元文化部長の山下文男氏(87)に関する記載がある。山下氏は、岩手県陸前高田市の病院に入院中、東日本大震災の大津波に遭遇し、九死に一生を得て救出されたのだという。 その山下氏が、自衛隊に関して言及している一部を以下に引用する。 「僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。やさしさが身にしみた。僕は泣いちゃったな。鬼の目に涙だよ。」 87歳といえば、時代が大正から昭和へと移り変わる頃の生まれである。山下氏は自身でも「鬼」と自称されているが、明治の世を生きた先人たちの薫陶を受けた、まさに筋金入りの、バリバリの共産党員であろう。 記事では、山下氏に関して、最後にこう結ばれている。 「自衛隊配給の毛布の暖かさに自衛隊は憲法違反だと言ったのは間違いだったと主義主張をかなぐり捨てて「転向」した元日共文化部長の率直すぎるほどの率直さ」 齢(よわい)87にして、自らの信念を捨てあっけなく「転向」してしまった。この山下氏の不甲斐なさを責めることもできるが、ここでは敢えてやめておこう。 それよりも、これまで散々憲法違反と言われ、時には「暴力装置」とも呼ばれ、いわゆる「冷や飯を食わされる」状態が続いてきた自衛隊にとって、鬼の共産党員である山下氏を「転向」させたことは、まさしくこの上ない最高の“勲章”に値すると言えるのではあるまいか。 我々日本国民は今、改めて自衛隊の存在価値を噛み締めている。だからこそ、私は自衛隊を「叱咤激励」したい。 自衛隊員は国家公務員であるが、くれぐれも国民の血税を貪るだけの「自衛公務員」に成り下がってはならない。今回のような自然災害を含めた「戦争」時において、国民の生命と財産を守る最後の砦としての国軍は自衛隊を置いて他に無いのである。 このことを強く自覚し、日々の任務に邁進して頂くことを切に願う次第である。   衛兵の軍靴の響き戛戛(かつかつ)とわが優柔のためらひ切り裂く   … 続きを読む →

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愛国「保守」よ何処へ

愛国「保守」と称される組織に「頑張れ日本!全国行動委員会」と「たちあがれ日本」の大きな組織があり、尖閣諸島や竹島などでは街頭で大勢の動員をかけて領土問題を訴えている。著名人を代表者に据えているところが、両組織に共通しており、動員の最大の武器となっている。 頑張れ日本!全国行動委員会(会長・田母神俊雄、幹事長・水島 総) たちあがれ日本(代表・平沼赳夫、幹事長・園田博之、参議院幹事長代理・中山恭子) この度のKKRが強行したシナ大使館への土地売却に、全く反応を示さなかった事について、両組織の代表は然るべき釈明をしなければならないだろう。 両組織はそれぞれ会則を設け、会費を徴収し、さらに領土問題のデモや集会ではカンパまで行っていると聞く。 今回、KKRの抗議に参加した人たちから、この組織に「抗議行動」を訴えてもあやふやな返事で無視されたと怒りの声が上がっている。「領土問題のデモや集会ではカンパまで行っている」のであれば、これは“鷺”行為ではないかとの声も。 会長ら著名人は舞台で言えば俳優、動員されたデモ参加者らは観客といえる。俳優を含めた舞台制作者は、観客に納得のいく舞台を見せなければならないのは当たり前のこと。 観客らが舞台に納得がいかなければ、「金返せ!」と野次られるのは、これまた当然である。 抗議行動の要請まで受けているのだから、両組織の代表並びに幹事らは「知らなかった」でスルー出来るはずはないと思う。 現実の問題が目の前に提起されたら、日頃の国士ぶりを一変させ、腰を引くのは今に始まったことではないが・・・。 思はざる裏と表の言の葉にほとほと褪(あ)せし夜会の薄衣 ※夜会の薄衣 パーティドレス      KKRの土地売却破棄で、この間の抗議行動を共にした児島謙剛君から論考が寄せられている。 そのタイトルは <愛国「保守」よ何処へ>。 <愛国「保守」よ何処へ> ~組織的抵抗なき戦闘の終結~ 主権回復を目指す会では、計5日間にわたり、KKRが入居する九段合同庁舎→財務省→再び九段合同庁舎と場所を変え、冷たい雨が降りしきる中、真夏の日差しが照りつける中、限られた人数ではあったが、早朝から夕刻まで力の限りの抗議活動を展開した。 しかしながら、力及ばず、最終期限であった5月25日(水)の午前中に、KKRとシナ中共大使館との間で正式な売買契約の締結に至ったことは周知の通りである。 言い表しようのない“虚しさ”の余韻が漂う同日夜、私はこの問題に関する所感を述べた際、ある方から「そのように(保守を一括りにして)総括するのをやめて頂けませんか」との反発を受けた。 「保守」に対する批判の言葉が癇に障ったのだろうか? 定かではないが、いずれにしても、私は事あるごとに「保守」派や「自民党応援団」への批判を繰り返しているので、そういった方々から感情的な反発を受けることには慣れている。理性的な反論でなければ、特に意に介することは無い。 聞くところによれば、その方は、25日の午後、KKR前での抗議活動に参加されたのだという。愛国「保守」を自任する一員として、たとえ1名や2名でも抗議を敢行されたのであれば、それは評価に値する。少なくとも、何もしなかった人たちに比べれば格段に立派だ。 しかし、以下のことには言及せざるを得ない。 日頃から愛国を訴え、「中国の侵略阻止」「尖閣諸島の死守」を声高に叫ぶ著名な「保守」系の団体であれば、たとえ平日でも、その気になれば、300名~400名を動員することはできたはずだ。パイプを持つ国会議員に働きかけて、売却を阻止するために奔走することもできたはずだ。 だが、最後まで、そのような組織的な動きは見られなかった。これでは、「保守が何もしなかった」と言われても仕方あるまい。 これは感情的な好き嫌いの問題ではない。具体的かつ客観的な事実である。 上記の方もまた、この事実を受け止めなければならない。 かくして、日本人が組織的な抵抗を見せることなく、この領土の死守、奪還は完敗で終結を迎えたのである。 絶滅を免れた日本人、殲滅を免れたゲリラを自負する我々に今できることは、“虚しさ”に耐え、この現実を受け入れることに他ならない。   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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三つの論点から原発を考える

 原発に関して、自分は核拡散防止条約に絡む軍事上の事柄のみに関心を寄せて来ただけであり、「反」「推進」いずれの立場を論ずるだけの勉強がなかった。今回初めて双方の見解などを一通り学んだ。  世上、「反」「推進」さらに「脱」が原発をめぐる大まかな立場を表しているように思える。「コスト」「環境(安全)」「安全保障」という三つの観点から考えて見たい。 【原発のコストは安いのか】  一つ目の「コスト」について言えば、ウラン1グラムの発熱量は石炭3トン分に相当するとか、エネルギー別の発電コストは原子力が5~6円と一番安いこととかになっているが、本当だろうか。  各電力会社の工事建設費並びに誘致対策費、国による巨額の交付金、見掛け倒しの事故対策費、原子力関係予算、さらには核廃棄物処理費などなど、これらが発電コストに厳密に算入されているか全く明らかにされていない。「コスト」の実体は、はなはだ信憑性に欠けると言わざるを得ない。  核廃棄物処理に関しては、青森県六ヶ所村にある日本原燃株式会社(にほんげんねん)が、一切の使用済み燃料の再処理を請け負っている。再処理を目的に設立された政府肝いりの国策会社であるが、この存在も甚だ不透明である。 【技術に絶対はない】  二つ目の「環境(安全)」だが、科学はあくまで未知の客観世界を認識する研究分野であって、科学が抽象的に万能などはあり得ない。その科学という未だ研究分野の原子力を扱いコントロールするのが技術であり、その技術に時空を越えた絶対などもあり得ない。それはあくまで現時点での限定された絶対である。安全(環境)を著しく損傷した今回の福島第一の「想定外」で、「絶対」が如何に当てにならないか証明してくれた。 【無に等しい原発の安全保障】  三つ目の「安全保障」こそ最も深刻に考えなければいけない。各地の全原発が海岸縁に建設された津波の“好餌(こうじ)”とも言える立地条件にあることだ。さらにこの原発が軍事上から見たとき、無防備のまま晒されており、戦時の場合は真っ先に攻撃の矢面に立たされる。  その結果の事態は言うまでもない。想像を絶する核汚染物質が全土を覆いつくす。国家の安全保障上、「想定外」などで済まされない。さらに忘れてならないことは、ウランの輸入は反日のオーストラリアとカナダで、全輸入の60%を占めている。燃料の自給率ゼロで、輸入に頼っている原子力がどうして「貴重な電力」に成り得るのか。 【条件的「脱原発」】  以上三つの論点からして、我が国は条件的な「脱原発」が望ましいと考える。条件的とは全発電量の一割程度とし、原子力研究は進めていく。これはシナ、ロシアなどが更なる原発推進の方向であることからして、この研究分野で遅れをとってはならないからである。 【追記】  なお、西村真悟の時事通信(平成 23 年 4 月 26 日号)は、ウランが石油と違い禁輸の恐れがないとしたうえで、「原子力による発電が必要だ」としている、しかし、そのウランという化石燃料は100%海外に依存している。現実を知らないか、故意に無視しているか分からないが、事実を挙げた道理を説きたいものである。  六ヶ所村の核廃棄物処理だが、プルトニウムを大量に含む高レベル放射性廃棄物の減衰期間は約二万年とされている。その廃棄物はガラスに封じ込め、ドラム缶で地下三百メートルに貯蔵される。二万年後のガラス、ドラム缶の存在を誰が確かめることの出来ようか。  今現在を原子力の利便につかりながら、後世にとてつもない負債を残していくことが許されていい訳がない。原発をめぐる立場の相違を越えた深刻な問題であり、誰もが避けて通ってはならない。  先人が我々に残してきたこの日本列島、地球を放蕩親父のように食い潰してはならないのである。    虫や鳥 人間さえも見かけざる 春は沈黙FUKUSHIMA第一   春の日の明るさのみを照り返す 瓦礫の上に無情の碧空        ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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