タグ別アーカイブ: 西村修平ブログ

保守派の「熱気」とは!

尖閣死守、竹島奪還を叫ぶ保守派の「熱気」とは! 先日11日(木)、文京区民センターで展転社、維新政党・新風などの主催による「新藤・稲田・佐藤の三議員を断固支持する緊急国民集会」が開かれたとのこと。 下記の案内と報告があった。 ↓ 新風による案内 http://shimpuoshirase.sblo.jp/article/47162578.html ↓ 花うさぎさんのブログでの詳細報告 http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/day/20110812/ それによると「会場は満杯」で、「クーラーが効かなかったほどの熱気」に包まれていたそうだが、この「熱気」の異常さを驚かずにはいられない。  つい数ヶ月前の5月、KKRの土地売却がシナに対する領土の切り売りだとして問題になった。 主権回復を目指す会と幾人かの心ある国民は、問題の深刻さを声高く訴え、KKRの土地売却反対を訴えた。一週間に亘る抗議、国会議員らへの売却阻止を呼び掛けたが反応は皆無であった。 契約日が5月25日と判明した当日、KKR前に馳せ参じたのは僅か10人にも満たなかった。韓国まで出向く新藤・稲田・佐藤の三議員も千代田区のKKRには姿を見せなかった。 シナへの領土切り売り糾弾が4人だけとは。 昨日まで尖閣死守、竹島奪還を叫んでいた愛国保守は何処へ(5月23日 財務省前) 日本領土が抵抗せずにシナに奪われた。 平成23年5月25日、これは日本の歴史に銘記される恥辱の記念日の一つとなった。愛国を語る「保守派」が国会議員を含め、シナによる我が国領土侵略を、知っていながら指を銜えて見物した。実に許し難き不作為が公然と行われた恥辱の日だった。 11日(木)、文京区民センターの会場を埋め尽くした「保守派」のうちの一体何人が、『KKR問題』に関心を持って、実際に何らかの行動を起こしていたのか? 会場を埋め尽くした彼らの「熱気」とは一体何なのだ?  下記は主権回復を目指す会の愛国陣営と国会議員への檄だった  ↓         (参考:5月22日投稿記事 http://nipponism.net/wordpress/?p=958) シナ大使館への土地売却は領土の切り売りだ <国会議員に告ぐ!領土を死守する国民を直視せよ> 平成22年5月22日 主権回復を目指す会 国会議員の使命、義務とは何か それは「国民の生命・財産・安全、そして名誉を守る」ことである。ただ守るのではなく、死守するのである。死守、つまり己の命をかけることを指す。そのため我が国民は数千万円の議員歳費、さらには一ヶ月当たり百万円の新聞図書費まで負担している。実に巨額な税金で養われているのが国会議員なのである。 異論はあろうが、国益を担い、使命と義務を果たすのであれば決して高くもないだろう。 外交上シナ大使館はシナの領土、それに隣接する土地を取得することは紛れもない“領土”の拡張である。現有3,300坪に落札した1,700坪が加われば巨大なシナ領土が都心に誕生することになる。 現行のシナ政府はわが日本民族とは敵対関係、シナは我が国にとって侵略国家、この度の“領土”の拡張を侵略と言わずして何と言えばいいのか。シナが落札した物件は土地ではなく、紛れもない我が国領土なのである。 上記の道理を掲げてわずか数人であるが、落札無効と売却破棄を求めて(KKR)に乗り込み、抗議を強行した。落札無効と売却破棄は「国民の生命・財産・安全、そして名誉を守る」ためであった。 国会議員が果たすべき使命と義務を、名もない国民が数人でこれを代行したのだ。 国会議員は何処にいるのか、何処を彷徨っているのか。 この現実を国会議員は直視せよ!売却が成立した後に、知らなかったでは売国奴、税金ドロボーの誹りは免れ得ない。 これは国会議員に対する国民の警告である。 かくすればかくなるものと知りながら男子の本懐示すときあり 5月25日が契約期限日だ。心あるならば日本国民よ、座死するな! 下記は「新藤・稲田・佐藤の三議員を断固支持する緊急国民集会」に寄せられた投稿である。 投稿 … 続きを読む

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原爆の日に覚える違和感

投稿   原爆の日に覚える違和感 東京裁判史観とは日米安保に依存する精神の堕落だ 外国人犯罪追放運動 小野寺秀一   今から66年前、昭和20年8月に広島と長崎に計2発の原子爆弾が投下され、人類史上最大規模の大虐殺が行われた。 歴史から永久に消え去ることのないこの世紀の大虐殺を実行したのは、中共やロシアではなくアメリカ合衆国であったことは言うまでもない。 私が原爆の日に思うのは、明らかな戦争犯罪に対して恥じぬどころか、むしろ原爆投下を正当化し正義を語るアメリカの欺瞞に対する激しい怒りである。そして、そのアメリカに自国の安全保障(すなわち自らの生存)を委ねて憚らない日本の凋落ぶりに、私は危機感とともに違和感すら覚えるのである。  ← 浦上駅:プラットフォームで黒こげ   となった母子(爆心地から南約1km) 所謂終戦という歴史の大転換期を迎えた8月になると、我が国は独特のムードに包まれ、多くのメディアや言論人達が一斉に、「あの記憶を風化させない為」「あの惨劇を繰り返さない為」あるいは「過去の日本は愚かであった」…等々の発言を繰り返す。 これらの所謂自虐的な言論が幅を利かせるのは毎度のことであり、いまや我が国の夏の風物詩のようでさえある。そういった自虐的刷り込みの繰り返しによるものかは定かでないが、所謂東京裁判史観はいまだ風化することもなく、多くの国民の中で健在である。 しかし、多くの無辜の民が虐殺されてから66年が経った今日、あれほどの殺戮をおこなったアメリカに対する日本国民の怒りは失われているのではないだろうか。 また、これは私の思い過ごしであればよいのだが、現代の日本人がアメリカに対して抱いている感情は、『怒り』ではなく『憧れ』でさえあるように私には思えてならない。 この『憧れ』こそ東京裁判史観ではないのか。断じて風化させてはならないのが民族の怒り、それを喪失した日本の精神的退廃を、無残にも惨殺された方々は何と思うのであろうか。    弟の亡骸 (なきがら) を背に火葬の順番を待つ少年 →              (写真:ジョー・オダネル) たとえ自虐史観に浸った日米安保体制下で毒され、日本がアメリカの精神的奴隷に堕したのだとしても、世紀の大虐殺を行って恥じないアメリカに対する日本民族の怒りは永遠に風化させてはならないはずである。 しかし、我が国の状況は目を覆わんばかりの惨状といえるのではないだろうか。 自虐に染まる『左』の思考の歪さを嘲る保守陣営が、所謂東京裁判史観からの脱却を勇ましく唱えつつも、アメリカ依存の現体制を容認している様はまさに矛盾に満ちており、我が国の抱える病が深刻なレベルにあることを示しているように思える。 いまや日本人は民族の怒りすら失い、自らアメリカに媚を売るまでに堕してしまったのである。愛国を唱える者達ですら愚かな幻想を抱いており、歪んだ日米安保体制の妄信からいまだに脱却することもままならない。 アメリカの戦争犯罪を徹底的に糾弾し、原爆によって無慈悲に殺害された先人の恨みをはらすべき愛国者が、自国の生存をアメリカに委任しつつも、「反日極左」達を罵倒し悦に入る様は醜悪そのものである。この有様では、現代日本を席巻しているのは反吐が出るほどの偽善であると言わざるを得ないが、そうした声はあまり聞こえない。 しかし、私はやはり原爆の日のありように違和感を覚えてならないのである。これほどまでに堕落を極めた民族が挙行する原爆の日の祈りによって、果たして犠牲者の魂が癒されるというのであろうか。 祈りによって救済されるべきが、祈る己の魂であってはならないのである。 原爆の日に祈るのであれば、幻想に漂う心地よさに溺れ自堕落に浸ってはならないし、さらに愛国を唱えるのであれば、受け容れがたい現実であっても正視しなければならない。 同盟関係にある現状でさえ無差別殺戮を正当化し、謝罪意思の欠片すら見せないのがアメリカなのである。 そのアメリカが、怒りを失い精神的に服従した日本との同盟関係を果たして対等と考えるであろうか。我が国固有の領土である尖閣諸島、竹島、北方領土に対する現在進行形の侵略に対して沈黙を決め込むアメリカが、シナやロシアの侵攻から日本を死守するという確証がどうして得られるのであろうか。 対シナには最悪を想定できても、対アメリカには最良しか適用できないのであればそれは妄信以外の何ものでもない。安全保障とは最良を想定せず、最悪を想定してこそというのは基本中の基本であるということを忘れてはならない。 つまり、いざとなればアメリカは日本を切り捨てるであろうというごく自然な発想を、我々はアメリカによる原爆投下という惨劇の記憶から導かなければならない。 愛国者であれば、今日の原爆の日のありように違和感を抱くべきである。 所謂東京裁判史観、すなわち虚構の平和からの脱却を果たし、自主独立を獲得しようとするならば、日本は歪んだ日米安保体制による搾取機構から脱却しなければならないのである。 そうした覚悟を我々が持つことが出来なければ、対等な同盟関係の構築など有り得るはずも無く、アメリカが原爆投下を謝罪することも未来永劫訪れないことを知るべきである。 日本人自身が、原爆の日が持つ意味を風化させてはならない。歴史を忘却した国家が衰退し、怒りを喪失した民族は滅びゆくのが自明の理だからである。 日本人であるならば、非道な原爆投下によって一瞬で焼き尽くされた同胞の無念と、黒い雨に打たれ悶え苦しみ亡くなられた先人の絶望と悲しみを永遠に忘れてはならない。 先人が受けたその苦しみと悲しみ、あるいは絶望を日本民族の不滅の怒りと昇華させ、それを矜持としてアメリカの欺瞞と戦うことこそが生存している日本人の使命なのである。 その戦いを貫徹する国民の宣誓こそ、真の『平和宣言』として犠牲者に捧げるべき日本民族の誓いなのである。   … 続きを読む

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『長崎の鐘』は日本人を欺く偽善の鐘である

長崎の恨みを忘れないぞ! 原爆犠牲者へ誓う!原爆を投下される過ちを二度と犯さない 弔意を示さぬままの星条旗へ向かって「ルース大使はこの写真を直視せよ!」 広島への原爆投下三日後、米国は長崎へ8月9日、広島型と異なる原爆(プルトニウム型)を投下した。推定人口24万人の内、約7万4千人が焼き殺され、被爆の後遺症で更に7万人以上が亡くなっているが詳細な数は今もって定かでない。 9日、主権回復を目指す会は政経調査会と共に米国大使館へ抗議行動を実施。管轄の赤坂署は米国大使館一帯を“封鎖”し、3人以上の抗議文提出並びに写真撮影を禁じた。 哀しいかな、これが米国の支配下におかれた屈辱の現実である。 6日同様、この日もまた、我が保守派陣営による米国大使館への抗議行動は皆無であった。8月6日、9日、原爆投下の恨みを忘れて抗議行動さえ出来ず、核武装など笑止千万ではないか。8月6日、9日と愛国保守派は何処をさまようのか。 (↓ 画像クリック拡大) 「長崎の恨みを忘れないぞ!」 米国の言いなりになって、「原爆投下」を糾す声を排除する赤坂警察署 日本人よ!同胞に加えられた米国の残虐を直視せよ 遺体を見せつけられ沈黙する警察 非戦闘員に対する残虐に米国は一分の申し開きも出来ない 原爆犠牲者の恨みを絶対に忘れてはならない 民族の恨みを込めて米国大使宛の抗議文を読み上げる 全ての原爆犠牲者に弔意を示して 広島の原爆死没者慰霊碑の石室碑文に、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されてある。主語の欠けた脈絡のない碑文は偽善であるとして、心ある国民の厳しい批判を浴びて来ているが。 ところで、広く日本人に名曲として親しまれた歌謡曲に『長崎の鐘』があり、被爆地である長崎を歌っている。その歌詞は広島の碑文以上に偽善だが批判を受けないでいる。 下記はその4番目の歌詞であるが、これは広島の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と瓜二つと言っていいのではないか。しかしながら、その歌詞が広島の碑文のように批判されたことを未だ知らない。 『長崎の鐘』(昭和26年) 作詩 サトー・ハチロー  作曲 古関裕而   こころの罪を うちあけて   更け行く夜の 月すみぬ   貧しき家の 柱にも   気高く白き マリア様   なぐさめ はげまし 長崎の   あゝ 長崎の鐘が鳴る 長崎の鐘 ご存知のように古関裕而は作曲家として戦前、『露營の歌』『暁に祈る』『若鷲の歌(予科練の歌)』などで、大東亜戦争の大義を我が日本人に鼓舞してきた音楽家で有名である。戦後も『とんがり帽子』『君の名は』『ひるのいこい』『オリンピック・マーチ』などなど、童謡から歌謡曲、管弦楽曲までとこれほど日本人に親しまれ、また名曲を世に残した音楽家はいない。 炭化した同胞の遺体、性別も分からないまま火傷で苦悶する女子高生・・・、これらを直視せよ! サトーハチローと古関裕而は、何ら科(とが)もなく焼き殺された同胞に対して、一体何の「こころの罪を」うちあけろと言いたいのか。 非戦闘員の殺戮を目的にした原爆投下で同胞は焼き殺された。この犯罪に対して米国には弁明の余地など一点すらない。サトーハチローと古関裕而は、一体誰に対して「こころ罪」をうちあけろと言いたいのか。焼き殺された無辜の民は、誰に罪の許しを乞い願えばいいと言うのか。 『長崎の鐘』、これは広島の碑文と瓜二つだが、サトーハチローの詩を、古関が有り余る才能でもって見事に美しいメロディーで修飾した。偽善に甘美な曲調が修飾され、『長崎の鐘』は名曲として日本国民に定着している。 故に、今に至るまで、この偽善極まるメロディーに日本人は酔い痴れたままでいる。名曲であるからして、その偽善の度合いは計り知れず、日本人を痴呆状態にする効果は広島の碑文どころではない。 『長崎の鐘』は原爆犠牲者をなぐさめ、はげますのではなく、戦後日本人を欺く偽善の鐘である。 … 続きを読む

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住友化学の社員へ提言する

君たちから「住友」を取ったら何が残るのか 投稿    <企業の“人格”を問う> ~ 会社の看板と肩書きを外して対峙せよ ~ 主権回復を目指す会 児島謙剛  我が国・日本では、企業に「法人」という名の“人格”が与えられている。 私は、これが単に法律上の観念に限られたものではないと考えている。すなわち、それぞれの企業は「社風」と称される文字通りの“人格”を身に纏っているのである。  ← 住友化学本社ビルと米倉弘昌住友化学・経団連会長この“人格”とは、無意識のうちに、企業組織を構成する個々の社員の表情、態度、言葉遣い等々に滲み出るものであり、いかに表面を取り繕おうとも、ごまかしが効かないものだ。 就職活動に慣れてきた学生は、会社説明会における人事担当者の話し方や仕草から、いわゆる“ブラック企業”であるかどうかを含めた、その企業の「社風」=“人格”を見抜けるようになったりする。 我々は先日、経団連会長の米倉弘昌が代表取締役会長を務める出身母体の住友化学株式会社に赴き、原発問題を巡る米倉の一連の発言に対する抗議文の手交を申し入れたが、そこで白日の下に晒された住友化学の“人格”は、事前の予想を遥かに超える酷さであった。 受付のロビーに現れた総務の担当者たちは、いきなり何とかの一つ覚えのように「お帰りください! お帰りください!」を連呼。無礼な口調で、目付きも挑発的。横柄極まりない醜悪な態度に終始した。 冷静かつ客観的に考えれば、企業の危機管理(リスクマネジメント)の観点から、我々のような市民団体にアポ無しで訪問された場合、真正面から応対することが難しいのは確かであろう。 しかし、それにしても最低限の礼節を欠いてはならないはずだ。我々とて、初めから喧嘩腰で掛け合っているわけではない。従って、「お引き取りを願う」からには、それ相応の言葉遣いや態度が要求される。だが、住友化学の応対は、そこから掛け離れた傍若無人なものであった。 日頃、消費者と直に接する機会が少ない事業形態(BtoCではなくBtoB)であるから、などという言い訳は全く通用しないが、「顧客に対して、その対応は何だ!」と言えば、 彼らは「あなた方は(当社の)顧客ではありませんから」と揚げ足を取ってくるだろう。だが、今では“ステークホルダー”(Stakeholder、利害関係者)という概念が遍く(あまねく)普及している。 “ステークホルダー”は、投資家(株主)、顧客(消費者)、取引先、社員(従業員)、地域社会、社会・・・といった幅広い関係者を包含しており、それらとの関係の上に企業は成り立っている。そして、各々の“ステークホルダー”と真摯に向き合うことこそが“CSR”(企業の社会的責任)の実践に他ならない。 我々は、企業を取り巻く地域社会、社会の構成員であり、歴とした“ステークホルダー”の一員である。その我々が、企業と(各企業を束ねる)財界の長としての米倉弘昌の有るまじき言動を糺すために訪れた。 我々は断じて、企業に不当なゆすりたかりをして金銭を脅し取ろうとする輩=いわゆる「反社会的勢力」などではなく、そうしたレッテルを貼られる謂れは無い。一切の私心、私利私欲なく、社会の不条理を糾すために行動しているのであり、ぞんざいに取り扱うことは許されないはずだ。 だが、そのような応対に終始した姿勢から、住友化学の“ステークホルダー”への意識の希薄さと、“CSR”の意識の形骸化を、まざまざと見せつけられた気がした。 個は全体を反映し、全体は個に反映される。傲岸不遜な米倉弘昌の“人となり”と総務担当社員たちの粗暴な応対ぶりを見れば、まさしく「この役員(会長)にして、この社員あり」と住友化学の“人格”を咎めざるを得ない。 住友化学の社員諸氏に申し上げたい。 歴史と伝統ある財閥系の大手企業の社員として、さぞかし高い「プライド」をお持ちなのであろうが、一度、会社の看板(ブランド)と肩書きを取り外し、一個人として、 我々の主張と真剣に向かい合ってみてはいかがか。 身内=東電をはじめとする電力会社の目先の利益、既得権益、利権を守ることしか頭に無い米倉弘昌と同様、自分たちの目先の生活さえ安定すれば後はどうでも良い、という態度を決め込むのであれば、余りにも情けないではないか。 皆が皆、米倉の「イエスマン」に成り下がる恥辱を甘受しているわけではないはずだ。 組織の論理(しがらみ)から自らを解き放った時、問われるのは、住友化学の社員である以前の一人の“日本人”としての矜持である。 20年~30年先、50年~100年先を見据え、次世代の我が祖国・日本に思いを馳せる民族の矜持なのである。   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

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閑古鳥が鳴く8月6日の米国大使館前

米国の戦争犯罪を糾弾できない保守派の痴呆 長崎原爆忌日(9日)、愛国保守は米国大使館前に集合を 8月6日、米国が広島に原爆を投下して66年目を迎えた。一瞬にして14万人が殺戮された。その後の原爆後遺症で約6万人が死亡している。 当時の広島市の推定人口が約34万人、人類史上に銘記される米国の犯した戦争犯罪である。 日本軍の軍事的抵抗が無力化した状況下において、米国は日本列島各地に爆撃を繰り返し、非戦闘員の殺戮を目的に無差別な空襲を欲しいままに展開した。東京大空襲に続く8月6日の広島と9日の長崎はその集大成として行われた。 『残忍な人たち ~ なぜ原爆を落としたか』 (週刊新潮●変見自在) 2005年8月11・18日号高山正之(帝京大教授) 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。   真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。   確かに、米軍パイロットはそういうことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。   二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。   教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。   米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は①直径3マイルを超える都市で②かつ有効な損害を与えられる地形をもち③通常爆弾による爆撃をしていないことが条件だった。   これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。   広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。   米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。   鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。   8月6日に考えてみることは多い。 愛国とはわが祖国の同胞を守り、愛することではないのか。その同胞が非道極まる残虐な殺戮をされた。 保守派は映画『凛として愛』を高く評価し、映像空間のお話に陶酔するが、愛するということは抽象ではなく行動を伴う。同胞を殺戮した相手を憎み、殺戮された同胞の無念を晴らすことが愛なのである。 原爆投下は日本人殺戮の集大成、8月6日はその象徴たる忌日、日本人であるならば忘れてはならない日である。そして8月6日の米国大使館は、戦争犯罪を追及する日本人によって幾重にも包囲され、同胞の恨みを晴らす糾弾の声が飛び交うのである。愛国を語る保守派が一堂に会する忌日ではないのか。 しかしながら今年も米国大使館前は穏やかそのもので、土曜日ということもあって閑古鳥が鳴く静けさであった。その静けさは、日本人が死滅したかのような不気味な静寂であった。 そうした中で、主権回復を目指す会は恒例ともなっている8月6日の原爆忌日、米国大使館下に集合し、「広島原爆投下66周年 米国の戦争犯罪を許すな!」の抗議集会を開いた。 【動画】広島の恨みを忘れるな!米国の原爆投下に時効はない youtube http://www.youtube.com/playlist?list=PL05C533FA81756A62 ニコニコ動画 … 続きを読む

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