タグ別アーカイブ: Shuhei Nishimura

「死の街」は正しい

鉢呂経産相の見解を支持する 偽善を通り過ぎ、知性の幼児化を進む日本人 大学進学を希望する学生に最も必要なことは、主観を排除した客観的な己の学力を把握することである。己の学力をシビアに評価できなければ、進学校の選定はおろか受験計画すら立てられない。 企業の再建も然りだ。金庫を空ければ借金の証書の山、聞きたくも見たくもない負債を数字として把握する作業は辛い。しかし。この作業をしなければ再建計画が立てられないのである。  ← 福島原発周辺、チェルノブイリ原発事故を上回る危険度“レベル7”高汚染の実態(8月30日文科省発表・放射性セシウムの土壌濃度マップより/クリック拡大) 東日本大震災の復興の足枷がフクシマ第一原発にかかっている。いや日本存立の行方がこの原発事故処理の行方にかかっている。 この行方はひとり我が日本ばかりではなく、世界が固唾をのんで見守っている。 その矢先に新任の鉢呂吉雄経済産業相が、「(原発)周辺の市町の市街地は、人っ子一人いない。まさに死のまちという形だった」と述べたことで辞任に追い込まれた。 ↓ 鉢呂経産相の「死のまち」発言 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100806-849918/news/20110910-OYT1T00543.htm http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110910-OYT1T00622.htm?from=main1 ↓ 「死のまち」発言で、「福島県民の皆さんに大きな不信を抱かせた」ことがその理由としている。 実際、原発周辺は高濃度の放射性物質に汚染され、地域住民の健康を考えれば到底生活できる環境ではない。 震災直後に1から3号機まで、絶対にあってはならないメルトダウンが始まり、水蒸気爆発と共に高濃度の汚染物質が自然界へ放出された。 全て公にされ、皆が知っていることだ。 その量たるや、セシウムで広島型原爆の168倍との試算を経済産業省原子力安全・保安院が公表している。 ↓ 原爆と比較「コメント困難」=「セシウム168倍」試算で-東電 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201108/2011082700222 さらに、日本原子力研究開発機構は8日までに、汚染水の流出に加え、大気中からの降下分などを合わせた海洋への放射能放出総量が1.5京(1京は1兆の1万倍)ベクレルを超えるとの試算をまとめている。天文学的数字に達している。 ↓ 海洋汚染1.5京ベクレル超=東電推定の3倍-原子力機構が試算・福島第1原発 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011090800051  東京電力福島第1原発事故で、日本原子力研究開発機構は8日までに、汚染水の流出に加え、大気中からの降下分などを合わせた海洋への放射能放出総量が1.5京(1京は1兆の1万倍)ベクレルを超えるとの試算をまとめた。東電は4~5月に海に流出した汚染水の放射能量を約4720兆ベクレルと推定しているが、試算はこの3倍以上に達する。  原子力機構の小林卓也研究副主幹(海岸工学)らは、漏えいした汚染水の影響に加え、東電が公表したモニタリング数値などを用いて、大気中に出されたヨウ素131とセシウム137が海に降り注いだ状況をシミュレーション。同原発放水口付近の海水から放射性物質が初めて検出された3月21日から4月30日までの放出総量を試算した。  その結果、海に放出されたヨウ素131は1.14京ベクレル、セシウム137が0.36京ベクレルで、計1.5京ベクレルとなった。セシウム134はシミュレーションでは考慮していないことから、放出総量はこれを超えるという。 (時事ドットコム:2011/09/08-05:50) そうした事実を受けて日本政府は、危険度を最大値のレベル7に設定したのである。 以上から、フクシマ第一原発事故近辺の地域は住民が避難して「死のまち」と化している。この事実は誰もが知っている。だから、鉢呂経産相は実情に即して、これを分かりやすく「死のまち」と言ったまでであろう。 「死のまち」宣言で、「福島県民の皆さんに大きな不信を抱かせた」とするが、フクシマ第一原発事故近辺の地域が安全といえば、福島県民が「不信」ではなく安心すると言いたいのか。 野田首相が言う「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」というのは、深刻極まるフクシマ第一原発事故の収束なくして、元気な福島を再生出来ないとのことを言っている。 再生しなければならない客観的状況を、否が応でもこれを把握して、この状況に即して対応策並びに再生・復興計画が立案できる。 フクシマ第一原発事故近辺の見たくもない、聞きたくもない、言いたくもない厳しい現状を認識しなければならない。ただ認識するだけではなく、この三「ない」を受け入れなければ、再建(再生)計画など立てようもない。 繰り返すが、大学受験生でありながら分数、整数計算はおろか、漢字の読み書きすら出来ず、学力は小学生並みだが、その自らの力量を屈辱として受け入れることが出来なければ、受験計画など立てようもない。放漫経営の果てに倒産した企業を再建する際も同じ、見たくもない、聞きたくもない、言いたくもないデタラメ経営をしっかりと総括しなければ再建計画など立てようがない。 放射能汚染の被害を受けているのは福島県民ばかりではない。原発事故は日本国民全てに、我々が住むこの日本列島の存在そのものがかかっている。 その現状は残念ながら「死のまち」と化している。その現状を受け入れなければ「死のまち」を再生することは永遠に不可能なのである。 真実を言ったことが、「福島県民の感情を傷つける」など偽善を通り越したまやかし、知の劣化を突き進む日本人の幼児化現象といっていい。 … 続きを読む

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「人徳」を問われるべきは谷垣自身である

谷垣自民党総裁自身が首相を名乗り出よ! 菅直人首相に「人徳、力量がない」と、首相の退任要求を言い放つのであれば、なぜ谷垣自民党総裁自身が首相を名乗り出ないのか。「先ず隗より始めよ」(戦国策)と言いたい。 「人徳」までに言及するのであれば、谷垣自身が野党党首として菅首相の代わりを名乗り出なければならない。 それをしないのは卑怯の限りで、「人徳」を問われるべきは谷垣自身である。 なぜ、「人徳、力量」のある首相に相応しい人物を具体的に推すことが出来ないのか。 しきりに自民党と小沢一郎に同調する民主党の議員にしても、菅首相の力量をあげつらうだけだ。 あげつらうだけあげつらうが、それに代わる具体論を提起するものが誰一人としていない。 提起できない、する者もいない。つまるところ、菅首相のいす取りにしかその目的がないのは明白の限りである。 震災直後、菅首相は自民党に対して「挙国一致内閣」への協力を打診した。しかし、谷垣がこれを拒絶した経緯を国民と被災者は忘れていない。 未曾有の危機の渦中において、被災者の心情を思えば、あきれ果てたを通り越し、おぞましさの限りを国民に見せつけた。利権分配集団の行き着くところの醜態だ。 「菅降ろし」に狂奔する利権分配集団とその取り巻き「保守」に朝日新聞は正鵠を射た見解を述べている。謙虚に耳を傾けようではないか。 抜粋だが 朝日新聞(6月2日)「現実見ぬ政治の惨状」 編集委員:根本清樹  政治が小さい。  日本はなお前代未聞の非常時にある。一時は「挙国一致」といった美辞もうたわれたが、行き着いた先はむき出しの政争である。大所高所からの賢慮を踏まえた大きな政治を望むのは、お門違いということか。  日本が直面する事態の深刻さと、政治家たちのふるまいに見える日常感覚との巨大な落差に目がくらむ。われらが選良の思考回路は、3・11前の平時に戻ってしまったようだ。 (略) 当然ながら、総辞職した場合に後継をどう速やかに選ぶのかという絵図もない。自民、公明両党にもシナリオがあるようには見えない。現実を直視しない政治の惨状というほかない。 主権回復を目指す会は震災直後の3月14日、声明文で、菅直人政権は挙国一致内閣として思想信条などの見解の相違は副次的問題として棚上げすべきと訴えた。これは今も変わらない。今なお、我が国は戦争状態であるから。 【緊急声明】 <災害は挙国一致体制で挑む戦争 ━ 菅内閣は挙国一致内閣である> 国難を民主党批判にすり替える知性の堕落 平成23年3月14日 主権回復を目指す会 災害という国難は、挙国一致体制で挑む戦争である。我が国は死者数万に上るであろう未曾有の国難におかれている。 この事態に直面しながら、国難を民主党批判にすり替える知性の堕落に唖然とするばかりである。 民主党批判を混乱の最中に持ち出し、自民党・「保守」の支持運動を展開するならば、阪神淡路大震災の時、旧社会党の村山を傀儡政権にし、火災炎上中に朝食会を開きながらテレビに見入っていた自民党をなぜ徹底的に批判できないのか、ダブルスタンダードも甚だしい。 自民党の無為無策のため、16年前の震災で生存するべき如何に多くの国民が圧死、焼き殺されたのか分からない。この自民党の犯罪ともいえる無能を意図的にスルーする言動は欺瞞極まりなく、見苦しくてならない。 海外メディアが報道する「世界が日本人を絶賛」なる災害時の日本人の“行儀”の良さを紹介し悦に入りながら、一方では政府、東電の情報の混乱をまるで鬼の首を取ったかのように糾弾しているが、戦闘時における情報の混乱は必ずつきまとうものではないか。思い上がるなと言いたい。 戦争時における混乱に乗じて、無い物ねだりをする欲望民主主義はまさしく幼児的な知の劣化である。それどころか、非国民と言っても差し支えない。どさくさに紛れて民主党批判に問題をすり替える醜態は、まさしく言論の「火事場泥棒」そのものだ。 我々に課せられている最大の課題は被災者の救援と安全の確保、被災地のインフラ復旧である。この最大の喫緊課題を遂行する前に、政治思想信条などあらゆる見解の相違は二次的・三次的、副次的な問題として対処しなければならない。 主権回復を目指す会は現菅内閣を挙国一致内閣として、国民がこの体制の下で被災者救援、災害復旧に全力を尽くすべきと考える。 ※声明・主張 INDEX#51 より 【参考】↓行動・活動記録 INDEX#429  http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2011/110315.html 国民は菅首相の東電叱咤を断固支持する … 続きを読む

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正鵠を射た朝日新聞の『素粒子』

 誰でも分かる原子力用語解説、それは『素粒子』(平成23年5月17日)    朝日新聞の『素粒子』☆原子力村用語辞典☆とかけて、メルトダウンと説く    その心は    どんな難解な用語も溶(解)かしてしまう。    正鵠を射た朝日新聞の『素粒子』  ☆原子力村用語辞典☆  (朝日新聞『素粒子』平成23年5月17日)  安全 = 危険が発覚しないこと   科学的合理性 = 学者が理解できる範囲   核燃料サイクル = 原発を永続させる呪文   想定 = 限界強度に収まること   送電網 = 電力会社の縄張り   損傷 = 溶けて崩れ落ちること   定検 = 隠れてする修理や交換   爆発的事象 = ようするに爆発   保安院 = 広報担当の協力会社   放射線 = 健康を増進するもの   立地 = 土地に金を注ぐこと  … 続きを読む

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三つの論点から原発を考える

 原発に関して、自分は核拡散防止条約に絡む軍事上の事柄のみに関心を寄せて来ただけであり、「反」「推進」いずれの立場を論ずるだけの勉強がなかった。今回初めて双方の見解などを一通り学んだ。  世上、「反」「推進」さらに「脱」が原発をめぐる大まかな立場を表しているように思える。「コスト」「環境(安全)」「安全保障」という三つの観点から考えて見たい。 【原発のコストは安いのか】  一つ目の「コスト」について言えば、ウラン1グラムの発熱量は石炭3トン分に相当するとか、エネルギー別の発電コストは原子力が5~6円と一番安いこととかになっているが、本当だろうか。  各電力会社の工事建設費並びに誘致対策費、国による巨額の交付金、見掛け倒しの事故対策費、原子力関係予算、さらには核廃棄物処理費などなど、これらが発電コストに厳密に算入されているか全く明らかにされていない。「コスト」の実体は、はなはだ信憑性に欠けると言わざるを得ない。  核廃棄物処理に関しては、青森県六ヶ所村にある日本原燃株式会社(にほんげんねん)が、一切の使用済み燃料の再処理を請け負っている。再処理を目的に設立された政府肝いりの国策会社であるが、この存在も甚だ不透明である。 【技術に絶対はない】  二つ目の「環境(安全)」だが、科学はあくまで未知の客観世界を認識する研究分野であって、科学が抽象的に万能などはあり得ない。その科学という未だ研究分野の原子力を扱いコントロールするのが技術であり、その技術に時空を越えた絶対などもあり得ない。それはあくまで現時点での限定された絶対である。安全(環境)を著しく損傷した今回の福島第一の「想定外」で、「絶対」が如何に当てにならないか証明してくれた。 【無に等しい原発の安全保障】  三つ目の「安全保障」こそ最も深刻に考えなければいけない。各地の全原発が海岸縁に建設された津波の“好餌(こうじ)”とも言える立地条件にあることだ。さらにこの原発が軍事上から見たとき、無防備のまま晒されており、戦時の場合は真っ先に攻撃の矢面に立たされる。  その結果の事態は言うまでもない。想像を絶する核汚染物質が全土を覆いつくす。国家の安全保障上、「想定外」などで済まされない。さらに忘れてならないことは、ウランの輸入は反日のオーストラリアとカナダで、全輸入の60%を占めている。燃料の自給率ゼロで、輸入に頼っている原子力がどうして「貴重な電力」に成り得るのか。 【条件的「脱原発」】  以上三つの論点からして、我が国は条件的な「脱原発」が望ましいと考える。条件的とは全発電量の一割程度とし、原子力研究は進めていく。これはシナ、ロシアなどが更なる原発推進の方向であることからして、この研究分野で遅れをとってはならないからである。 【追記】  なお、西村真悟の時事通信(平成 23 年 4 月 26 日号)は、ウランが石油と違い禁輸の恐れがないとしたうえで、「原子力による発電が必要だ」としている、しかし、そのウランという化石燃料は100%海外に依存している。現実を知らないか、故意に無視しているか分からないが、事実を挙げた道理を説きたいものである。  六ヶ所村の核廃棄物処理だが、プルトニウムを大量に含む高レベル放射性廃棄物の減衰期間は約二万年とされている。その廃棄物はガラスに封じ込め、ドラム缶で地下三百メートルに貯蔵される。二万年後のガラス、ドラム缶の存在を誰が確かめることの出来ようか。  今現在を原子力の利便につかりながら、後世にとてつもない負債を残していくことが許されていい訳がない。原発をめぐる立場の相違を越えた深刻な問題であり、誰もが避けて通ってはならない。  先人が我々に残してきたこの日本列島、地球を放蕩親父のように食い潰してはならないのである。    虫や鳥 人間さえも見かけざる 春は沈黙FUKUSHIMA第一   春の日の明るさのみを照り返す 瓦礫の上に無情の碧空        ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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