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共産党・田村委員長の涙と石川啄木

共産党・田村委員長の涙と石川啄木 令和8年9月30日  主権回復を目指す会  西村修平  東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 日本人ならこの短歌を目に又は耳にして作者を思い浮かばない人はいないだろう。泣くと涙を体現化させた石川啄木の代表作で国民短歌と言っていい。 他にも啄木は小学校の国語で学ぶ教材として、<たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず>とか、<やはらかに柳あをめる北上の岸辺目にみゆ泣けとごとくに>など数多くある。青春時代における望郷の思い、悲しみに伴う感情の高まりを衒(てら)いなく歌いあげ、昔も今も日本人の心を掴んで放さない。 人間は感情で生きる存在、この感情を文学として昇華させた表現形式が和歌であり、近代短歌である。感情の発露である「涙、泣く」を辞書で開くと語彙の何と多いことか。嗚咽、号泣、慟哭、悲涙、感涙などなど・・・。 告別式などで家族、親族らが漏らす嗚咽、耳を刺す号泣などその悲しみに参列者らが感化し、思わずもらい泣きに遭遇することは珍しくない。個人を弔う、それでいて厳かな空気に思わず襟を正す場である。極限の感情を伴う特別な涙と言っていい。 だとすれば相反する涙も当然あり得る。沖縄県知事選挙で大敗した翌日の記者会見で、共産党の田村智子委員長が怒りを露わに流した涙である。 涙の理由とは選挙の敗因が、自民党が古謝陣営の選挙に介入(応援・支持)したのは“卑怯”であると。政党が選挙に介入するのは政党政治では当たり前のことで、自民党のみを排除するのでは筋が通らない。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」の例え通り、彼らはシナやロシア、北朝鮮と同じ独裁思考が掘る穴から抜け出せないでいる。 女の流す涙を「紅涙」という。「美しい女性の流す涙」ともいい、流す涙には特段の訴える力が込められるそうだ。田村委員長が女性として美しいかどうかは主観の問題でどうでもいい。しかし、この記者会見は女が涙することで到底通らない無理を通そうとする、低レベルの魂胆が見え見えなのが何とも賤しい。「空涙」、人を欺く嘘の涙として辞書に載っている。 <頬につたう涙のごはず一握の砂を示しし人を忘れず> 啄木が我々日本人に残した涙の何と美しいことか。共産党の田村委員長の「醜涙」と比較して今更ながら思い知らされる。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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共存・共栄できない特定外来生物と移民

共存・共栄できない特定外来生物と移民 令和8年9月15日  主権回復を目指す会  西村修平  【生態系を破壊する特定外来生物】 「ひとつの妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」(共産党宣言)。今その妖怪が日本列島を徘徊している。共産主義ではなく「クビアカツヤカミキリ」(以下カミキリ)という妖怪が、日本の生態系を破壊する特定外来生物だ。 このカミキリが国花とも言える桜を、主にバラ科樹木に属する桃、梅、スモモなど食い荒らし公園、果樹園に甚大な被害を引き起こし、場所によって絶滅さえ危惧されている。被害状況は2026年時点で全国22都道府県に拡大しており、今の状況で進めばここ数年で関西地方の何箇所で花見が出来なくなるとの報告もある。 【日本社会を破壊するテロリスト】 特定外来生物とは「海外起源の外来種であって生態系、人の生命・身体、農林水産業に被害を及ぼすもの」(環境省)と規定されている。これらの問題を引き起こす海外起源の外来生物を指定し、防除・駆除のための法律が「外来生物法」である。 このカミキリが猛威を奮う自然界を人間社会に置き換えたらどうなるか。カミキリは途轍もない凶悪犯罪人であり、日本国民の生命・財産・安全を脅かし、日本社会を根底から破壊するテロリストである。 東京都を始めとして各自治体はこのカミキリを、お尋ね者として写真付で“指名手配”している。法律上、捕獲や移動は禁止されているが、その代わりその場で殺すなどの措置を取れば、懸賞金(報奨金など)までが付与される。 【共存できない特定外来種】 人間社会なら、現行犯逮捕など柔な真似事ではない。見つけたら即“射殺”して構わないとしている。「外来生物法」は日本固有の生物の「生命・財産・安全」を守るための防衛措置だからである。 日本固有の淡水魚であるタナゴやモロコが生育する水槽に、カミツキガメやブラックバスを入れたらどうなるか、食い殺されてしまうのは自明の理である。自然界における我が国固有の生物は、海外起源の外来生物とは共存・共栄はできない。これはヘイトでも差別でも何でもなく、自然界の法則である。 厳重かつ厳格な管理の下でしか特定外来生物は飼育・栽培はできないのである。自然界の一構成部分を成す人間社会とて同じである。 【移民と特定外来生物にとって日本は楽園】 今一度、物事を簡潔・単純に敷衍(ふえん)してカミキリを、移民政策で入国する外国人労働者や不法滞在外国人らに置き換えよう。 先人が築いてきた我が国土はカミキリにとって楽園に等しい。完璧に整備されたインフラ、教育制度、皆保険制度、自然環境、治安、衛生などなど。如何なる説得・手段を講じても日本という天国に移住した後、劣悪な彼らの自国とされる地獄に帰るわけがない。 これは国籍、人種、肌の色を問わない人間としての摂理である。恒久的に日本に永住、定着して自らの子孫を増やし、共同体を作り、ゆくゆくは自治区を完成するのが自然である。「特定外来生物」という生態系の異なる人種・民族を、免疫能力の欠けた日本国民が生存する社会に何の対策もないまま放り込めばどうなるのか。移民政策の行く着く先は、日本の生態系を食い荒らす「クビアカツヤカミキリ」で証明されている。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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「けだもの」扱いされた日本人とユダヤ教のホロコースト

「けだもの」(トルーマン大統領)扱いされた 日本人とユダヤ教のホロコースト  令和8年8月15日  主権回復を目指す会  西村修平  灼けるような季節8月、終戦の15日を迎えた。歴史の記憶は敗戦そのものよりも膨大な非戦闘員の死者である。その典型が日本列島への無差別爆撃と8月の原爆投下である。米軍の空襲は軍事施設の破壊よりも一般国民を殺戮の対象にした。その手段は通常の空爆ではなく、木造住宅である日本の家屋を焼き払うことで人命に多大な損失を与えるという戦術だ。焼夷弾による空襲、つまり人間を生きたまま焼き殺すということである。この究極が高温で生命体を蒸発させる原爆である。戦史においても特筆すべき残虐さは、いかなる口実、手段を以ってしても日本民族の記憶から払拭できない。 1945年8月9日、米国キリスト教団体はトルーマン大統領宛に電報で「見境のない破壊行為」だとして深刻かつ深い憂慮を表明した。これに対して何と答えたか。大統領は書簡で「けだものを相手にせねばならないときは、けだものとして扱うべきだ」として恐るべき暴言を吐いた。米国は日本人という人間を相手ではなく、「けだもの」を相手に戦争をしたのである。ゆえに宜なるかな、あれほどの殺戮行為を躊躇なく敢行できた。焼夷弾による日本列島への無差別爆撃、原爆投下こそ第二次大戦における文字通りの大虐殺、悪魔の所業に他ならない。 浅草側から見た言問橋炎上 (クリック拡大) 世界はナチスによるユダヤ人虐殺をホロコーストと形容しているが、ここで「ホロコースト」とは何かを問い直そうではないか。ホロコーストの本来の意味は、ユダヤ教の儀礼における生贄ならぬ焼き物の供物を言う。ならば、米国の焼夷弾による無差別爆撃、原爆投下こそホロコーストと呼ぶに最もふさわしいのではないか。米国は日本人を「けだもの」(トルーマン大統領)として焼き殺したからである。 ナチスによるユダヤ人虐殺は毒ガスで行われたが、日本人は生きたまま焼き殺されたのである。正真正銘の「ホロコースト」とは米国が行なった日本列島大空襲と原爆投下である。米国・ワシントンにはユダヤ人の虐殺を記念する「米国・国立ホロコースト記念博物館(USHMM)」があり、ヒットラーの犯罪を鋭く追及して己の人道主義を賛美している。 米国に課せられた戦後の最大使命とは何か。それは己が自画自賛する人道主義に基づいて、「米国・国立ホロコースト記念博物館」に原爆投下と日本大空襲の展示を常設することにある。トランプ大統領とアメリカ国民に進言するが、この展示を世界が絶賛するのは間違いないと。そうでなければ、余りにも片手落ちで整合性がつかない。 灼けるような熱さが続く8月、どうしても同胞が受けた81年前の無慈悲な惨状に思いを馳せざるを得ないのである。 鎮魂の祈りは絶えず幾夏も靖国神社に蝉泣き止まず 合掌 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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敗北は喪失と異なる

 「失って得る」 敗北は喪失と異なる ワールドカップ日本チーム  令和8年7月18日  主権回復を目指す会  西村修平  日本列島はワールドカップで朝から晩まで大いに盛り上がった。日章旗を掲げ、国民一丸となって日本チームを応援する国際試合ならでの光景である。日の丸を殊のほか嫌う朝日新聞さえも、サムライジャパンの活躍と創意工夫を凝らした日の丸のデザイン、日本人の応援風景を微に入り細に入り報道した。オールドメディアの日頃からの「反日」「国旗嫌い」などどこ吹く風とその豹変ぶりに空いた口が塞がらない。 祝日においても日章旗など滅多に目にしない昨今、ある意味“異様”な光景とも映る。国民が自らを日本民族として、また国家の一員である事を意識する場がスポーツのみに限定されている。「スポーツ・ナショナリズム」とい言っていい。国際試合の場でしか自覚、発揮できない民族意識は角の立たない穏やかな健全なナショナリズムとも言えるが淋しくも歪である。 日本チームはリーグ戦を突破したが、トーナメントでは初戦のブラジル戦を1−2で逆転負けを喫した。ワイドショーなどで僅差の敗北を、力量が同等の様に取り上げ日本チームをヨイショしていた。しかし誰が見ても実力のほど(差)は如何ともし難いほどレベルに差があった。ボクシングの10ラウンド制で判定を下せば、日本が取ったのはせいぜい数ラウンドもあったかどうか。以前であれば簡単にKOされていたが最終ラウンドまでクリンチで凌ぎ、「よもや」の期待を抱かせた。登るべき階段がいくつも頭上にある現実が突きつけられた。しかし負けたとは言え、日本が進化した成長ぶりを世界に示したのは間違いない。 ここで「失う」と「得る」について考えたい。 我々の日常生活において、ともすれば「失う」より「得る」ことが最優先の課題に置かれる。しかし矛盾論の観点から見ればこの二つは手の表と裏の関係、つまり一体として捉えられる。人は得る事で失うものがあれば、同時に失う事によって得るものがある。「得」「失」は一心同体である。サムライジャパンの敗北も勝利を失うことで、勝利するための何が足りなかったかを得たのである。試合終了後、森保監督をはじめ各選手らが敗北の要因をそれぞれ語っていたが、全て納得のできる事ばかりであった。つまり、彼らは勝利を失うことで、勝利に欠けていた要因の何かを得たのである。「失って得る」に発想の基点を据えれば、敗北は単なる「喪失」と異なり生ずるものがある。得る事で失う、失って得る事の何と多いかに気付かされる。 この観点は何もスポーツの世界ばかりではない。我々の思想・政治運動においても、日々の日常生活、さらに人生そのものにも通じていくのである。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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優先席に座る青年と芥川龍之介『蜜柑』

優先席に座る青年と芥川龍之介『蜜柑』 令和8年5月25日  主権回復を目指す会  西村修平  五月晴れのある日、若葉の陰影が車窓を流れる山手線での出来事だった。車内はガラ空きだったが、あえて優先席に座ることにした。数駅通過してふと視線を上げると、目の前の優先席に端正な出で立ちの青年が座っている。パソコンを膝にして脇目も振らず作業に打ち込んでいる。二駅、三駅通過して車内がかなり混んできたが相変わらずパソコンから手を離さない。さらに数駅通過しても悠然と座り続けている。「いい若モンが優先席で何を?」と、いまいましい感情が次第に腹のなかに充満してきたその時である。 作業の手を休めた彼は落ち着いた動作で、右脚のズボンの裾をたくり上げ丁寧に畳んだ。目に飛び込んだのは冷たい光を放つ細長い一本の金属、義足なのだ。痛みを伴う感覚にも似たその光は私の目を鋭く刺激した。同時に、全てを理解せざるを得なかった。青年には推し計れない事情または出来事があって、若くして自らの片足を失う耐え難い現実に遭遇したのである。その状況を受け入れたうえで、躊躇(ためらい)なく自身の義足を人目に晒すことで、優先席に坐る青年への「避けられない、不可避な誤解」を解いているのだと。 上野駅で下車した彼の歩調は不規則で歪である。しかし尚更に、その一歩一歩のゆるりとした足取りは巨人が大地を踏み締めるように力強く、雑踏に紛れゆく背筋を正した後ろ姿に揺るぎがない。一言も言葉を交わさなかった義足の青年、彼の動作と立居振る舞いに生きる自信、強さとは何かを突きつけられた。 とっさに思い出したのが芥川龍之介の『蜜柑』だ。大正18年、28歳の作品で横須賀線での出来事である。 始発の横須賀駅から乗車した二等車に、途中駅で14、5歳の少女が慌しく飛び込んできた。垢じみた着物に油気のない丸めた髪、小さな風呂敷包みを抱える両手は霜焼けでひびだらけ、握られた手には三等車の切符だ。分別の効かないその愚順さと不潔な身なりとが相まって不快で仕方がない。 さらに、トンネルに入るや否や、目の前の席に移動してきた少女はいきなり窓を開けはじめたのである。当然のごとく、車内には煤だらけの煙が充満する事態に。怒り心頭で怒鳴り付けようと思った矢先、列車はトンネルをすべり抜けて目にした光景はみすぼらしい田舎の踏切だった。 すると、少女は窓から半身を乗り出し、「あのひびだらけの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まった蜜柑が凡そ五つ六つ・・・」、踏切で喊声を上げる子供たちの上に降っていった。 芥川はその「刹那に一切を了解した」のだ。何を了解したのか。『羅生門』などに比べ地味な作品かもしれないが、ヒューマニストとしての芥川の人となりを示す名作であり、幾度読み返しても受ける感銘は色褪せない。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 日新報道)  著者・酒井信彦が朝日新聞に踊らされる日本人の精神構造を解く。

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