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四月行動予定

四月行動予定(主権回復を目指す会) ①中止要請 <「主権回復式典」の中止を!  天皇陛下の政治利用は許されない!>  「日米地位協定」のもと、軍事を含めた日本の国家主権は米国によって蹂躙されたままである。これらを放置して「主権回復式典」などあり得ない。この式典に天皇陛下のご臨席を仰ぐなど言語道断、自民党の天皇陛下の政治利用を許すな。中止要請文の手交あり。 日時:4月12日(金) 11:30 場所:自民党本部前     http://www.jimin.jp/aboutus/access/     http://shukenkaifuku.com/?p=931 ※こちらの地図もご参考に 連絡:西村(090-2756-8794) 主権回復の欺瞞を嘆く沖縄県民の慟哭。 1970年4月28日、与儀公園にて  (写真提供:新藤建一氏) ※参考『日米地位協定入門』(前泊博盛 創元社) ②第4回名画鑑賞・意見交換会 『暗殺』(監督・ 篠田正浩) ー幕末維新、それは凄惨な血で彩られた革命だったー 【開催趣旨】 日本人の心の繊細さ、多様性を知らずして、わが国の文化と伝統を語ることは難しい。それは感性を養う作業であり、主として我々は優れた文学作品や名画を通し、豊かな心のあり方を会得していく。そうした観点から主権回復を目指す会は今年度から月一回の予定で名画鑑賞・意見交換会を開きます。 第4回目 『暗殺』  昭和39年(1964)松竹制作 監督・ 篠田正浩 脚本・山田信夫  出演:丹波哲郎、岩下志麻、木村功、小沢栄太郎  音楽・武満徹 演奏・横山勝也(尺八)、一柳慧(プリペアド・ピアノ) 展開するテロの美学 ー『暗殺』(丹波哲郎) 魁(さきが)けて またさきがけて 死出の旅 迷ひはせまじ すめらぎの道 (清河八郎) 原作は司馬遼太郎の『奇妙なり八郎』。新撰組創設に関わった清河八郎の陰謀と島津藩を巡る寺田屋事件が見せ場だ。勤皇と佐幕、開国と攘夷を巡り、新撰組のテロと暗殺が公然と行われた。それに対する下級武士集団の壮烈な応酬などなど、「殺るか殺られるか」のただならぬ人間関係に視点を定めつつ、篠田監督は幕末維新の主力を担った青年たちをパセティックに描いた。それは又、明治維新を「無血革命」とする思想の怠惰を批判する行為にも繋がる。幕末維新とは凄惨な血で彩られた正真正銘の革命だった。 歴史を動かす革命という巨大な舞台は、常に凄惨な血に彩られる。飽くことなく生け贄が晒され、呻き声は舞台に横溢する。しかし反逆者たちはそれを踏み分けて進む。だからこそ逆に、人は雄大なロマンをそこに見る(野村秋介) ※参考  ◆【信念を貫けば 十字架が待っている】(野村秋介) … 続きを読む

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信念を貫けば十字架が

言葉が持つ千鈞の重みとは 信念を貫けば十字架が待っている(野村秋介) 『燃えよ祖国』という民族派の愛国誌があり、発行・編集人は蜷川正大氏。その188号が送られてきた。 蜷川正大(にながわ・まさひろ):昭和26年横浜市生まれ。昭和45年の「三島事件」に触発され民族派運動に参加。同59年、野村秋介が主宰した「大悲会」の後継会長に。62年には住友不動産を狂乱地価の元凶として、同志と共に会長宅を襲撃占拠。結果として網走刑務所に五年服役した。 平成13年11月、「女性国際戦犯法廷」への抗議が威力業務妨害だと逮捕され、翌年、横浜拘置所に収監されていた時、同氏からは拘置所での生活や裁判の進め方など多岐にわたって一方(ひとかた) ならぬお世話になった。 その通巻188号に、平成5年10月20日に自決(朝日新聞社長室で)した故野村秋介氏の随筆が掲載されている。「信念を貫けば十字架が待っている」と題した一文だ。敢えてへりくだった表現で「私見」とされているが、同氏の訴える趣旨は「私見」の枠をはるかに超えた命題である。現実と身を以て戦い抜いた本人だからこそ、発する言葉に千鈞の重みを持つし、その説得力は並ではない。 故野村氏はここで、革命(体制変革)運動に臨む覚悟の程を嘆いているのだが、その感情を抑えた筆致ゆえ、より深い説得力と共に深刻な課題を我々に突きつける。襟を正して拝読したい論考である。 同様に蜷川氏も、編集後記の『折々雑感』で、いま世間を”騒がす”「ネット右翼」または「行動する保守」に次のような雑感を寄せている。  ↓ 原稿が書かれてから三十七年もの月日が過ぎているが、ものの本質を見据えた先生(野村秋介)の原稿は全く色あせていない。昨今のネット右翼、新保守と称する人たちに「言葉の重さ」というものを知って頂けたら幸いである。   信念を貫けば 十字架が待っている ─ 昭和50年夏所感(野村秋介)─ ※なお小見出しは西村修平による  【醜態と化す人道的見地】 いま韓国で二人の日本人が、政府転覆の陰謀に加担したということで、軍法会議にかけられ、懲役二十年を宣告されたことが、時局の焦点となっている。そこで今日はそのことについてちょっと私見を述べて見たい。 結論から先にすると、私はこの二人が置かれている状況が、きわめて苛烈であることに、少なからず同情しながらも、二人のとった言動は、いささか醜態であったという感想をもっている。人道的見地から二人を即刻救出すべきだという世論に逆らうようで気も引けるが、私にはそう思える。 ことに二人が、軍事法廷で起訴事実をおおむね認め、多大な迷惑をかけて申し訳なかったと改悛の態度を示し、刑一等を減じて速やかに日本に帰してくれと嘆願したことを新聞で知って、その思いを深めた。 これは少しおかしい。起訴事実を大体認めた事でも知られるように、二人は決してたんなる旅行者でも取材記者でもなかった。二人が日本共産党の指令で現地に赴いたかどうかは別としても、両君と韓国との関係の深さが尋常でなかったことだけは疑いない。T君の場合は現地の韓国人女性を妻にするほどであった。 【日本人の“特権”を持ち出す裏切り】 またそれくらいであればこそ、韓国の窮状に同情もし、悲憤もしたであろうし、現状打破を叫ぶ学生指導者の李哲君や柳寅泰君らと同志的な親交を結ぶにいたったのでもあろう。この辺の事情は、問題の民青学連事件当時、連夜酒を飲み交わし、甲論乙駁現政府打倒の革命的ロマンを熱っぽく語り合ったという事実が余すことなく物語っている。二人が、韓国青年と同志的友情で繋がれていたことは、もはや自明である。そしてそれは、両君が日本人の立場を越えて韓国を愛していたことの証左でもある。 それはそれでいい。問題は破綻の後にある。韓国軍法会議は、第一次分被告だけでも、死刑・無期・懲役二十年・同十五年という過酷な判決を五十五名の人々に科した。ここまで来て両君は狼狽した。すまなかったと言い出した。早く日本に帰して欲しいと言い出した。あきらかに自分は日本人だという特権を持ち出したのである。 これはおかしい。 で万一裁判長が、君らは日本人であるから特別に赦してやると言ったら、両君はこれさいわいと日本に逃げ帰ってくるつもりなのだろうか。そしてああ助かったと胸をなでおろすつもりなのだろうか。韓国人であるが故に逃げ場のない同志たち、李哲君・柳寅泰君たちをどうするのだろう。 感傷でいうのではない。両君が無事に赦されて日本に戻るということだけでは、この事件はなんの解決にもならぬことを見落としてはいまいか。 「H・T両君を救うための連絡会議」に見られる日本の世論もその点同罪だ。 【同志を契った韓国人青年を裏切るな】 両君が連座していることによって、初めて民青全学連事件は日本人と直接のかかわりをもっている。安易な人道主義で、両君だけをそこから引き離すと、民青全学連事件は韓国の内政問題としてだけの意味をもつことになり、好むと否に拘わらず、韓国人と日本人の連帯性は途絶してしまう。それは結果的に、悲惨な状況下にある韓国の友人を裏切り、見捨てることになる。この現実を見落としている。 この事件がKCIAのでっち上げか否かに余り眼中を奪われているとこの事件の発生そのものが、現代韓国をまざまざと告発している意義を見失う。軍事法廷の場に晒され、「この場にこうして縛られて立っているのも抵抗だ」と叫ぶ韓国青年の悲痛をの訴えを見失う。 後のことは後で考えるとして、ともかく両君を無事に救出することが先決だという安易な考え方には、易々と与するわけにはゆかぬ。 H君もT君も、悪かった一日も早く日本へ帰してくれなど、口が裂けても言うべきではない。韓国青年の友情と信頼に応えるべ毅然さを失うべきではない。 場合によっては、ともに断頭台に立つくらいの態度を堂々と示し、学生指導者と議論拮抗させた自らの信条を遺憾なく開陳すべきだ。 非合法手段によって政府を転覆しようという以上、当然そのくらいの覚悟は必要だ。少し甘く見ていたなどという理屈は通用しない。百歩譲ってそのような計画がなかったにせよ、現実に昨日までの同志が断頭台に立とうとしている以上、それを見捨てるような言動は取るべきではない。真に国際世論の喚起も可能であろうし、自らが愛した韓国の友人へのそれが信義であり、忠誠というものではなかろうか。 【刑場の露と消えた同胞がいた】 1900年代の初期、孫文の中国革命にも宮崎滔天・山田良正・北一輝・末永節・岩田愛之助を始め多くの日本人が、民間レベルで参加しており、その故事を思えば両君の心情必ずしも分からないではない。 しかし政府軍に捕らわれ、日本人であることを認めれば助命するといわれたにも拘わらず、頑として応じず、シナ革命軍同士とともに斬殺され恵州場外の土と化した山田良正の如く先覚者のいたことを両君は学ぶべきだ。 いたく感動した孫文は後日彼の郷土弘前に … 続きを読む

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閑話休題 梅を詠ず(毛沢東)

小石川植物園と『梅を詠ず』(毛沢東) 梅に託して革命の志を見事に詩文化 花びらをついばむメジロ、厳しい冬を耐え抜いた小鳥にとって糖度の高い花の蜜はご馳走である 春分の日、暖かい陽光に誘われて近くの小石川植物園へ観梅に、今年はことのほか寒気が厳しく開花が一ヶ月近く遅いようだった。この小石川植物園、かつては徳川家の薬草園で、映画『赤ひげ』(原作・山本周五郎 監督・黒澤明)でも有名な小石川療養所があったところ、今は東大理学部付属の植物園として維持されている。 小石川植物園の近辺には「小石川後楽園」と「六義園」があり、こちらは大名庭園とあってきめ細やかに手入れされた人工美が見事である。 一方、小石川植物園の樹木、草花は自然のままの生態で管理されており野趣にあふれている。都会の真ん中にこれほどの自然が手つかずのまま維持されていることは日本の誇りである。同園は梅の名所、春分の日は快晴に恵まれ、白梅の花びらが強い日差しに光の乱反射を呈すれば、紅梅は梅園を燃えるばかりに染め上げ、濃厚な匂いを放っていた。 (↓ 画像クリック拡大) 落梅が池を紅白に彩る小石川植物園 春の陽の紅白いろどる落梅に光の粒子とび交ふ梅林 小石川植物園は徳川家のかつての薬草園、都内有数の梅林でも知られている むせかえるような香を放つ紅梅 春の陽を目にまぶしく跳ね返す白梅 桜が日本人に親しまれている花ならば、梅はシナ人に最も愛されている心の花、梅を唐時代の詩人らは競って歌い上げた。中でも有名なのは日本人にも広く親しまれている陸游(りくゆう)、南宋第一の詩人として、北宋の蘇東坡と並称される。憂国、激情の詩人であり、権力に対峙する反骨の詩人。繊細な感覚によって生活の中の機微を題材にした多くの詩を残して人気が高い。 その陸游の代表作に「梅を詠ず」がある。その本歌取りをしたのが毛沢東だ。毛沢東の詩を論ずるにあって目にしておきたいのが、『毛沢東 その詩と人生』(竹田泰淳 竹内 実 昭和40年文藝春秋社刊)。 毛沢東は革命家であるばかりでなく、著作においても『実践論』『矛盾論』という哲学の名著の他に、『中国革命の戦略問題』『持久戦』など後世に残る軍事論文を多数残している。これらは愛国保守や右陣営の方々にも必読書として読んで頂きたい。「敵を知り己を知れば百戦たたかうも危うからず」を心に命じて。マルクス主義とか毛沢東主義のレッテル貼りでろくに著作も読まず、悦にいる自己満足は知性の劣化を招くだけだ。 毛沢東の作家としての優れた業績は余り取り上げられないが、彼の文学者として残した作品の数々は是非とも目にしておいて良いだろう。『毛沢東 その詩と人生』は彼の生い立ちに始まり、シナ革命の初期から「中ソ論争」が激しかりき1962年まで、その足跡と作品の数々を時系列に網羅している。これらの作品はシナ文学史に名を残すものばかりではないだろうか。 いわゆる保守とか右陣営には、マルクスとか毛沢東と聞いただけでアレルギー反応をおこして、一切の拒絶反応をおこす人たちが多い。しかしこれでは余りにもひ弱すぎだ。文芸作品として、優れたものは優れたものとして素直に評価すべきだろう。昨今、『海ゆかば』を巡って左翼が文句を付けてきたというが、彼らは『海ゆかば』の作品の音楽的是非を論ずるのでなく、単純に「嫌い」という感情だけであった。極めて短絡的で貧困な思考回路である。保守とか右の陣営においても、彼らの思考回路と同じにはなりたくないものである。 「卜(ぼく)算子、梅を詠ず 毛沢東」(1962年12月)は上記著書のなかでも一際心を打つ詩文である。梅に託して革命の志を見事に詩文化させている。社会革命に身を捧げんとするシナ人の志す修養は見事ではないか。思想の是非を超越した次元でこの詩文を味わいたい。 陸游(りくゆう)が梅を詠ぜし詞を読み、その意(こころ)を反(さかし)まにしてこれを用(もち)う  風雨 春の帰るを送りきて  飛雪 春の到るを迎う  巳(すで)に是れ 懸崖の百丈の冰(つらら)なるに  猶 花の枝のあやに美しきが有り  あやに美しきけれど 春を争(わがもと)とせず  只 春の来たるを報ずるのみ  山花(やまじゅうのはな)爛漫たる時待(やがて)到らば  かの花(かのじょ) 叢(はなむら)にありて笑(ほほえ)まん <注釈> 春は風雨に見送られてかえって来、さらに、吹雪に迎えられてやって来た。 高い崖に百丈ものつららが下がっているが、そこには美しい花の枝がある。早春の試練に耐えて咲く梅の花だ 。 美しいけれども、それによって、春の美しさを独占し世にときめこうというのではない。 ただ、来るべき春のさかりを予告しているだけなのである。 やがて、爛漫と山に花が咲き満ちたとき、先駆者の役目を終えた彼女・梅の花は、実を結び、ほかの花にかこまれながら満足の笑みをうかべているのだろう。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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