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脱原発に感情論を持ち込むな【右から考える脱原発デモ】

右から考える脱原発デモ行進 「キライ」でも必要とあれば参加するまでである 11・21右から考える脱原発デモ行進(数寄屋橋付近) 「右から考える脱原発」デモ行進(11.21右から考える脱原発デモアフター5バージョンin銀座新橋)が21日の夜に銀座で行われ、原発問題ではスペシャリスト(反原発)の松本英志さんとともに参加した。デモ行進を呼びかけているのが統一戦線義勇軍の議長・針谷大輔氏らであり、日章旗を掲げて愛国運動を進めるいわゆる右陣営の側から率先して「脱原発」を街頭で訴え続けている。 福島原発事故は人類が未だ経験したことのない事態を進行しつつ、その行方は皆目見当がつかない。東西に狭く、南北に細長い日本列島に林立する原発は、一基でも事故を起こしたならもう取り返しがつかない。福島第一事故はその取り返しのつかない事実を我々に示してくれている。 菅直人前首相は浜岡原発の停止を指示して、日本国民に脱原発の方向を指し示してくれた。一国の首相として画期的であった。リーダーシップ不在が嘆かれる時代において勇断を下した。政・財・官ばかりか「保守派」まで加わった菅直人降ろしに、残念ながら脱、反原発派はこの流れに無力なまま首相を見殺しにしてしまった。 「菅直人さえ辞めればいい」「菅が首相であること自体が悪い」などなど・・・、原発推進の政・財・官、「保守派」の大合唱にとうとう菅首相が辞任、新任の野田首相はいち早く経団連の米倉弘昌会長らと会談して停止中の原発再稼働を明らかにした。福島第一事故は単なる事故ではない。絶対あってはならない、あるはずがないメルトダウンである。そのメルトダウンを収束出来ないまま停止中の原発再稼働とは、日本列島を破壊するテロ行為である。 こうした危機感のなか、冷たい風が吹く夜7時の開催であったが、デモ行進には主催者の予想を”裏切る”100人余りが参加した。新橋の東電前ではデモ隊から、「避難者に土下座しろ」「東電解体」の罵声が飛び交った。勤労市民らが平日の夜にもかかわらず、これほど多数が集まったのは主催者らの粘り強い継続の意志があればのことと実感した。 なお、デモ行進中に参加者の一人から突然声をかけられた。 参加者:私はあなたが嫌いだ 西 村:何処が嫌いか 参加者:排外主義だから 西 村:排外主義の何処が嫌いか 参加者:在特会(桜井誠)は排外主義だから 西 村:かつて活動で重なることはあったが、自分(主権回復を目指す会)は     在特会(桜井誠)とは思想的につながるものはほとんどない 参加者:排外主義は左翼だから 西 村:左翼とは何か 参加者:左翼は理念で行動するから 西 村:みな理念で生きている。理念を無くして人はどう生きるのか 参加者:これだけは言わせて欲しい。私はあなたの参加を大歓迎する 西 村:そうですか・・・、デモ行進中だから議論は後ですればいい デモ行進は趣旨の賛同を訴え、不特定多数に参加を呼びかける大衆行動である。あの人はイヤ、キライなどなど、感情論または人格論を持ち込んでは思想、政治の立場を問わない不特定数を集結する「脱原発」運動によろしくないだろう。自分の場合、たとえ「キライ」と名指しされても、必要とあれば意に介さず参加するまでである。 我々が心しなければならないことは、些末な意見の相違はあれども、この麗しい山河を愛し、美しい日本列島を後世に残そうとする点において皆同じ思いであることだ。だとすれは、議論を戦わす前提に忘れてはならない作法がある。 その作法とは、事実をあげて道理を説くことである。 この作法に従えば、いくら口角泡を飛ばす激論に至るとしても、決して感情のわだかまりなど後に残さない。残るのは競技スポーツ終了時の爽やかさである。勝っても負けても感情のもつれなど生ずる訳がない。勝っても負けても、相手から学ぶべき点は多々あるということではないか。 勝って兜の緒を締めよ これは我らの先人が敗者から学べという謙譲の美学、心したいものである。 我々が議論するのは(相対的な)真実を追求するためであり、この議論を通してお互いに己の知性を鍛え上げていく。 【参考】決議文「脱原発!愛国デモ行進」     http://nipponism.net/wordpress/?p=5938 「反原発を叫ぶのは国策に従わない反日サヨク」、「サヨクが原発に反対するから、保守は断じて原発推進」などなど・・・、こんな幼稚で不毛な議論は止めにしよう。・・・・ (↓ 画像クリック拡大) デモの趣旨を出発前に語る主催責任者の針谷大輔氏 水谷橋公園を探していた彼は遠く立川からの参加者 ドクロのデザインが凝ったプラカード そうだ、一億総国民が福島第一の被爆者だ! 当日は鈴木邦男氏も参加、久しぶりにご本人とも会話を交わしました。(00:05:15~) ↓ 11.21右から考える脱原発デモアフター5バージョンin銀座新橋 … 続きを読む

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思想とは無縁の「反原発」カウンターデモ

「反原発」デモ行進で、主催者側日本人と共にフランス人夫婦が逮捕されたことがニュースになっていた。 「反原発」デモ派の逮捕に喝采を送っている「在特会」とか「排害社」へ、槇泰智氏がブログで、「原発推進を唱える所謂保守と称される人々の方が、遥かに要注意の対象になっていることが分からないのか」と諭している。 そうした折、書店で目に付いた雑誌があった。別冊宝島『原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』(980円)、パート5で構成されていて、どれもが原発の深い闇と大罪を暴き切っている。 とりわけ関心をそそったのがパート4の「原発アンダーグラウンド」だった。その章で、ジャーナリストの寺澤 有氏が「電力会社は警察署長らの優良天下り先 脱原発運動の取締で活気づく『警備・公安警察』」と題してルポを掲載している。警察署長の天下り先一覧も添えられている。 これを読めば反、脱に関わらず、電力会社と一体となった国家権力は原発に異議を唱える側をいとも簡単に身柄勾留することがよく分かる。 思想に基づいた「国家革新」とは反体制運動である(槇 泰智) 【まき やすとも 政経調査会】   http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=701   9月11日(日曜日)に新宿で「反原発」だかのデモ行進があったようで、これに反対する勢力との小競り合いの結果、主催者側の人間が12人ほど逮捕されたようだ。 警備の警官に対して殴ったとか何とかの公務執行妨害と主催者に対する公安条例違反だとからしい。 逮捕の模様をニコニコ動画で観たが、なんとも言いようがない。 反原発のデモ隊が極左・左翼勢力なのかそれに挑発された一般市民の集まりなのか、私としては知る由もないが、彼等の逮捕に対し諸手を挙げて歓声をおくる反対派=原発推進派の態様が稚拙にみえる。 逮捕者周辺を取り囲み、警官に向って「早く逮捕しろ」「逮捕だ。いえーい」「射殺しろ」と無責任な言動で騒ぎまくる。まあ、思想運動とは無縁の人々だから当然の対応であろう。 反原発という現体制に対する抵抗勢力が、いとも簡単に国家権力によって逮捕される現実に対しては、何の危機感も持たない人々なのである。主催者が逮捕された理由と言うのはデモ隊を歩道にまで広げた公安条例違反だとか。 この程度でも逮捕する理由付けになるというのが、いずれは自分たちにも還って来る現実が予想できていないのだろうか。国家権力側からすれば、原発推進を唱える所謂保守と称される人々の方が、遥かに要注意の対象になっていることが分からないのか。 昨年の渋谷デモの際にも書いたが、デモ隊に乱入した在日朝鮮人に対し、デモ隊側から「警察は何をやっている。早く逮捕しろ」、との罵声が飛ばされたが、反対勢力から身を守るのは自己責任。安易に警察権力を介入させるべきではない。 警察権力を介入させるのが当たり前となれば、我々が左翼・反日勢力のデモ・集会に抗議した際に、否応なく警官隊によって排除される訳で、そこには民主主義の片鱗も見られない事になる。 それは米国大使館や支那大使館に対する抗議でもしかり。全ての政治活動が官憲によって規制されて当然と言う社会が構築されていく。だから政治活動に対する刑罰というのは軽いに越したことはない。政治的主張を掲げた非合法の行動に対する司法の判断とは、「自らの主張を通すために、暴力に訴えた行為であり、厳罰に処するべきである」、として重罰を下すのが常となっている。 本来であれば「自らの経済的利益のため」、「己の性的欲求を満たすため」の犯罪に比べれば、減刑されてしかるべきところ、現実はその逆である。これは、国家権力を掌握する現体制からすれば当然の帰結である。体制側がもっとも恐れるのは私利私欲に捉われない、国家改革勢力である。現体制が崩壊して自分達の既得権益が奪われることを最も危惧している。 そういった意味では、自らの性的欲求を満たすために幼女を誘拐殺害した犯人の方が安全であるから、こういった輩に対しても死刑判決が下されることは、まずありえない。 所謂保守と称される人々の訴える原発推進とは思想運動に立脚した上で、国家のエネルギー政策を論じているものではないだろう。原発事故を契機として盛り上がる、左翼系市民運動に対する反発のようにしか見えない。思想運動であれば、官憲による安易な逮捕が自らの運動に適用されている実態に眼を向けない訳にはいかないからだ。 自分達の行動が規制された時には「不当な弾圧」、と抗議するのに同じことが反対勢力に向けられた時には歓迎しているがどうしてこのような対応がとれるのか。自分達が権力側から如何なる眼で見られているかを冷静に判断できていないのであろう。 10年前に靖国神社に左翼が乱入してきた。今までは「反靖国」を標榜しても神社の敷地内に入る事はなかった。首相小泉による靖国参拝をめぐりこの年から左翼・反日勢力が堂々と境内に入って声を挙げるようになった。 8月の終戦の日の間近、「左翼乱入」の一報を受けて靖国神社に急行すると大村益次郎像の前で30人ほどのヘルメットにタオルで覆面の集団がハンドマイクで「反靖国」の集会を開催。中核派だ。周りは機動隊が楯を持って丸く取り囲み、外部からの抗議を遠ざけている。右翼団体や保守系の人々が「やめろ」「やめさせろ」、と訴えているが警官によって押し戻されている。現着したばかりの私は通行人の振りをしてゆっくりと周囲を徒歩で通過。機動隊の楯と楯の間に隙間が生じ一瞬に飛び込んで行って、演説者に体当たり、マイクのコードを引きちぎった。周囲の者が覆いかぶさってきて転倒したところに警官隊が入って、離れた所に隔離された。 現場にいた公安が「被害者」側に事情聴取。相手が告訴すれば威力業務妨害・器物損壊は当然だろう。しかし、そこは中核派。告訴しないで集会を中止して、その場を立ち去った。で、私は放免されたわけだ。 彼等は立場上は反対の位置にいるけれども、彼等なりに思想を持って行動している。そして、安易に警察権力を介入させることが、長い眼で見れば自分達の運動にマイナスであることを知っている。それは長年に渡って反体制の立場で活動として経験がある。 社会運動を実践するにおいて、自分の立ち居地は何処なのか。現体制とそれに追随する暴力装置であるところの国家権力とは、如何なる位置関係にあるのか熟考することが肝要なのである。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

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【シンポ】原発の是非は知識より見識で

論争とは事実を挙げて道理を説くことである  「とんでもない高レベルの廃棄物が大量に発生し、第一原発の事故処理は 未知の領域 に入る。どこに、どうやって、誰が保管するか何も決まっていない」 (毎日 6月16日) 左イメージ:仏原子力メーカー  「アレバ」の汚染水処理システム  毎日新聞が伝えた経済産業省資源エネルギー庁幹部のコメントである。何に対してのコメントか。福島第一原発で汚染水浄化処理システム(仏メーカー・アレバ社)の全体試運転に向けてである。  放射能の汚泥が年末までに約二千立方㍍(ドラム缶で一万本)が発生する。加えて濃度は一立方㌢あたり一億ベクレルもの高レベル、他にセシウムを吸収し終えた容器(高さ二・三㍍)も一日二~四本発生する。  これを指して経産省の幹部は「未知の領域」とコメントした。しかしながら、この試運転さえもトラブル続きで、18日現在いまだ再開のメドは立っていない。  福島原発の事故は、震災直後において既にメルトダウンしていた。最初から最悪の事態が、今現在も進行している。汚染水の処理を含めて事故発生後4ヶ月を過ぎようとしているが、収束の見通しすら立っていない。  「未知の領域」とは、人類が初めて経験する領域へと入ることを言う。我々は良きに付け悪しきに付け、原発事故の対処で歴史的な事態に遭遇している。   こうした情勢を踏まえて主権回復を目指す会は、「原発の是非を問う これからのエネルギーを考える」と題したシンポジウムを開催した。  討論の内容は録画で収録されており、これに対する論評をこの度は差し控えることにする。各自が冷静に判断するべきであろう。  司会で心懸けたことは偏らないのはもちろんだが、「原発の是非を巡っては保守・愛国陣営の中にも推進、反対など様々な立場がある。意見の相違を有意義な討論にするためには、それ以前に一人の日本人として日の丸を愛し、日本民族であるという自覚であって、そこから逸脱してはならない」との一致点である。  論争とは、論を争うのであって感情を争うのではない。論とは事実を挙げて道理を説くことである。争うのは単なる知識の羅列ではなく、得た知識から物事の本質を見抜く見識である。これ見よがしの知識ではなく、見識を争うのである。  この作法から逸脱しなければ、議論高じて口角泡を飛ばしたところで、決して感情を害して人格を傷つけ合うことなどない。  司会者として、登壇者それぞれの見解を集約した上で 1 コスト 2 代替エネルギー 3 環境 4 安全保障 5 利権  以上の5点に焦点絞り、シンポを進めたが時間の制限で「利権」にまでたどり着けなかった。  シンポでは各自の見解の相違が浮き彫りとなったが、相違についての深い議論までは行けなかった。しかし、双方・各自の認識の相違などが鮮明となった。  よって第二、第三回目のシンポジウムの開催が必要と思った。 【シンポジウム】原発の是非を問う これからのエネルギーを考える 6・10 文京区民センター|参考:http://nipponism.net/wordpress/?p=1412 (↓ 画像:クリックで拡大) 原発推進から、脱原発、反原発に至るまで、様々な見解を持つ登壇者が一堂に会した 愛国、保守運動において双方が議論を闘わすことは滅多にない シンポジウム主催者として司会を担当 永井清之氏(原発推進派:最年長68歳 京都大工学部卒) 電力料金の大幅上昇による国内産業への打撃、石油価格の高騰、核関連兵器への転用が閉ざされる可能性等々を勘案し、原子力に代わる動力源は無いと考える。停電そのものは大して怖くない。戦後20年~25年くらいまで停電は日本全国で殆ど毎日。それでも日本人はパニックにも陥らず、晩飯を早く済ませるとかロウソクを買い込むなどして対策。経済と安全保障の観点から推進します。原子力に代わる動力源はなく、損得で言えばこれを否定すると電気料金が大幅アップする。 八木康洋氏(原発維持/推進派:在特会副会長であるが個人の資格で登壇) 原発は過去も現在も将来も安全。悪いのは菅政権。東電の対応は基本的に間違っていない。安全保障の観点から、原発と同時に代替エネルギーも推進すべきと考える。原発は今もこれからも安全である。原発爆発は事故ではなく事件であり、悪いのは菅直人首相はじめ民主党政権である。反原発デモは極左だとして、在特会の対抗行動を陣頭指揮してきた。 … 続きを読む

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【告知】シンポジウムの案内【原発】

「原発の是非を問う これからのエネルギーを考える」 【登壇者】 ■ 原発推進派:永井清之氏(京大工学部卒) ■ 原発維持(推進)派:八木康洋氏 (在特会副会長)※個人の資格で登壇 ■ 脱原発(過渡期)派:野村旗守氏(ジャーナリスト) ■ 反原発(過渡期)派:松本英志(主権回復を目指す会)                    ■ 反原発派:不特定に要請中 ■ 原発被害当事者:瀬戸弘幸氏(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』) 司会:西村修平(主権回復を目指す会)     ※質疑応答 ネット生中継あり(ユーストリーム)           http://www.ustream.tv/channel/koudoudouga 日時:平成23年6月10日(金) 18:00開場 18:30開演 場所:文京区民センター (2-A会議室 )03 (3814) 6731  http://www.cadu-jp.org/notice/bunkyo_city-hall.htm  http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754 アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、JR(水道橋) 東京都文京区本郷 4-15-14 会場負担費:千円  福島第一原発の終息が未だ目途が立たず、原発を巡る論議が迷走している。国家を支える電力エネルギーの問題は近代産業ばかりか、一市民の日常生活にも直に影響を与えている。 原発を巡る維持(推進)、反、脱(過渡期)の論客、さらには「原発の火を消すなデモ行進」を主催した在特会の桜井会長をお招きし、それぞれの見解を述べて議論を交わして頂きます。 相互に議論を交わすことで、見解の相違を越えたエネルギー問題の如何を考えて見たい。 主催:主権回復を目指す会  連絡:西村(090-2756-8794)     ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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在特会必見の映画『にあんちゃん』

日本海に叩き込むべきは日本人の腑抜け根性だ 俳優の長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫=かとう・あきお)さんが 21日午後5時20分、肺炎のため亡くなった。 数ある長門裕之の出演映画で、最も強烈でインパクトを感じた映画は『にあんちゃん』(監督・今村昌平)だ。 他にも多々名作を残した今村監督だが、中でも一本を挙げよと言われれば、この『にあんちゃん』を推すのに躊躇しない。また、日本映画史においても特筆される作品ではないか。 長門はこの中で両親のいない4人兄妹の長男、炭鉱夫役で出演している。 舞台は昭和二十八年ころ、日本のエネルギーが石炭から石油に変わる激動期、佐賀県の鶴ノ鼻炭鉱。朝鮮人鉱夫らと共同生活する長屋だ。日本人と朝鮮人が一つの共同体でごちゃ混ぜに生きるバイタリティーに圧倒される。お互い極貧の中では差別も何もあったものではない。 中でも圧巻だったのは朝鮮人の老婆を演じた北林谷栄。生活の貧しさに耐えかね泣く長門の妹役に「元気だせ、昔のチョーセン人もっと強かったぞ」と励ます場面だが、この映画の白眉たる場面ではないだろうか。それまでの強欲な朝鮮人老婆の姿を一変させ、心情優しく語りかける演技転換は何回観ても胸を打つ場面である。 それ以上に日本人達もだ。 長門ら4人兄妹の逆境に耐え抜くしぶとさ、誰を恨むこともない健気さ・・・、ああ何と、当時の日本人は強かったのだろう。 そして、平成の23年にこの映画を改めて観るにあたり、ああ何と日本人の劣化したことか、いや、日本人という人種が変わったのだ。 日本海に叩き込むべきは、腐りきった平成日本人の腑抜け根性ではないのか。 名作『にあんちゃん』が呼び掛けるエッセンスは、いま巷(ちまた)で盛んに耳にする「 がんばろう ニッポン!」そのものだ。文芸作品の評価を越えて、日本人にがんばれ!と元気を与えてくれる映画だと思う。 因みに音楽は黛 敏郎、要所要所でマンドリンのトレモロがこの映画にしっとりと花を添えている。 「行動する保守」「ネット右翼」などがしきり在日朝鮮人の反日を糾弾する行動はそれで良しとして、こうした名作という文芸作品に触れることで、己が発する言葉に人としての心を、そして責任を持って頂きたいものである。 特に、「在日特権を許さない市民の会」やそれに賛同する方々には、この『にあんちゃん』ぜひご覧になって頂きたい。   推薦映画 『にあんちゃん』(監督・今村昌平)       『にっぽん昆虫記』(同)       『赤い殺意』(同)       『豚と軍艦』(同)       『神々の深き欲望』(同)      『秋津温泉』(監督・吉田喜重 出演・長門裕之)      『キクとイサム』(監督・今井正 出演・北林谷栄) 推薦図書: 金 石範『火山島』   ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!

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