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憲法記念日には「赤報隊事件」も語ろう

憲法記念日には「赤報隊事件」も語ろう 朝日新聞はペンを武器にした巨大軍需産業だった 令和8年5月3日  主権回復を目指す会  西村修平  【襲撃された「理由」を何故かと問う朝日新聞】 憲法記念日に当たる5月3日は、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が襲撃された日でもある。今年で39年目を迎える日に朝日新聞は、射殺された小尻知博記者(当時29歳)の遺影に手を合わせる弔問者らの光景を報道した。 そのなかで、同僚の高山顕治氏は「なぜ阪神支局が襲われなければいけなかったのか。理由がわからないのが一番悔しい」と心境を語っている。 理由とは? 時間を幾ばくか遡ってみれば、「理由」はとっくの昔に明らかになっている。 【70年代の反日無差別テロ】 70年代初頭に始まる日本人極左による無差別テロは猖獗(しょうけつ)を極めていた。赤軍派によるロッド空港での銃乱射、成田闘争での警察官殺害、空港公団社員の自宅放火、土田国保・警視庁警務部長宅への小包爆弾による家族殺害などなど。企業への爆破テロは三井物産本館、帝人、大成建設、間組など止まることを知らなかった。 これら企業を狙った11件の爆破テロ事件は、「東アジア反日武装戦線(主犯・大道寺将治 収監中死去)」なる組織の犯行だったことが明らかとなった。犯行の動機とは「反日」を自称する様に、日本そのもの敵視・標的にした組織的爆破テロだった。 なかでも、ひときわ特筆すべきは三菱重工爆破事件(1974年8月30日)であろう。死者8人、降り注ぐガラス破片を浴びた重軽傷者は358人、その後も被害者らは深刻な後遺症に悩まされ続けている。三菱が標的にされた理由は、同社が日本における過去、現在、軍需産業の中核であり、同社がアジアへの戦争責任が希薄だと彼らが認識していたからだ。 【朝日と反日極左の本音】 事件の翌日、現場は未だ血痕も生々しく、爆破の残骸が散乱している最中に、朝日新聞はベ平連の吉川勇一事務局長に、朝日と極左テロ集団の“本音”代弁させた。 「三菱重工がやられたというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、三菱重工が三菱重工だからほかならない。こんなことをやった人間が悪いと言ってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない」(朝日夕刊 1974,8,31 吉川勇一) 爆破の全容も犯人が誰かも未だ不明ななかで、無差別テロを糾弾するのではなく、三菱重工を名指しして、やられて当然、それよりも実行犯の「背景」に理解を示すべきとの驚くべき論調を展開した。無差別テロの支持を表明したのである。 【朝日が朝日だから標的に】 それならば、「赤報隊事件」において三菱重工を朝日新聞に置き換えたらどうか。「朝日新聞がやられたというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、朝日新聞が朝日新聞だからにほかならない。こんなことをやった人間が悪いといってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない」と。 さらに、もっと簡潔・露骨に言い換えれば「朝日新聞の小尻記者が射殺されというと、ある種の憶測がすぐ出る。ということは、朝日新聞が朝日新聞だからにほかならない。こんなことをやった『赤報隊』が悪いといってしまえば簡単だが、やはり背景を考えなければならない」との論理が成立する。 【朝日は三菱重工と並ぶ巨大な軍需産業】 軍需産業は何も武器・弾薬を製造するばかりではなく、戦争を鼓舞、煽るマスコミ、朝日新聞とて例外ではない。朝日の部数は、満州事変直前(1931年5月)に約140万部の発行が大東亜戦争翌年には、満州・朝鮮などの外地を併せて何と370万部の超大台に達していた。 朝日は戦争のお陰で巨大マスメディアに成長したのである。新聞こそ戦争を煽り、戦争で財を築く軍需産業、武器をペンに置き換えた「武器商人」といって差し支えない。朝日は三菱重工と並ぶ巨大な軍需産業だったとも言える。 【朝日のみを標的にした赤報隊】 では、朝日が最も知りたいと欲するところの襲撃された「理由」とは。朝日新聞は三菱重工と並んで巨大な軍需産業だったからに他ならない。同時に、反日を目的にするなら捏造すら躊躇しないその報道体質である。 しかし「赤報隊」は、反日極左の無差別テロと異なり、襲撃を朝日新聞のみに限定した。朝日が思い遣りを示す「東アジア反日武装戦線」のような無辜の市民を巻き添えにする卑劣な行動は選択しなかった。 ペンを武器にした軍需産業が朝日、それを象徴する旭日の朝日新聞社旗 (2017年4月20日 朝日新聞 東京本社前) 赤報隊事件30周年、朝日は「やられた背景」こそを直視せよ(2017/5/7) http://nipponism.net/wordpress/?p=33916 日本民族をヘイト・差別した朝日のサンゴ捏造事件(2026/4/20) http://nipponism.net/wordpress/?p=38316 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを! ◀︎『虐日偽善に狂う朝日新聞―偏見と差別の朝日的思考と精神構造』  (酒井信彦 … 続きを読む

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思想とは無縁の「反原発」カウンターデモ

「反原発」デモ行進で、主催者側日本人と共にフランス人夫婦が逮捕されたことがニュースになっていた。 「反原発」デモ派の逮捕に喝采を送っている「在特会」とか「排害社」へ、槇泰智氏がブログで、「原発推進を唱える所謂保守と称される人々の方が、遥かに要注意の対象になっていることが分からないのか」と諭している。 そうした折、書店で目に付いた雑誌があった。別冊宝島『原発の深い闇 東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪』(980円)、パート5で構成されていて、どれもが原発の深い闇と大罪を暴き切っている。 とりわけ関心をそそったのがパート4の「原発アンダーグラウンド」だった。その章で、ジャーナリストの寺澤 有氏が「電力会社は警察署長らの優良天下り先 脱原発運動の取締で活気づく『警備・公安警察』」と題してルポを掲載している。警察署長の天下り先一覧も添えられている。 これを読めば反、脱に関わらず、電力会社と一体となった国家権力は原発に異議を唱える側をいとも簡単に身柄勾留することがよく分かる。 思想に基づいた「国家革新」とは反体制運動である(槇 泰智) 【まき やすとも 政経調査会】   http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=701   9月11日(日曜日)に新宿で「反原発」だかのデモ行進があったようで、これに反対する勢力との小競り合いの結果、主催者側の人間が12人ほど逮捕されたようだ。 警備の警官に対して殴ったとか何とかの公務執行妨害と主催者に対する公安条例違反だとからしい。 逮捕の模様をニコニコ動画で観たが、なんとも言いようがない。 反原発のデモ隊が極左・左翼勢力なのかそれに挑発された一般市民の集まりなのか、私としては知る由もないが、彼等の逮捕に対し諸手を挙げて歓声をおくる反対派=原発推進派の態様が稚拙にみえる。 逮捕者周辺を取り囲み、警官に向って「早く逮捕しろ」「逮捕だ。いえーい」「射殺しろ」と無責任な言動で騒ぎまくる。まあ、思想運動とは無縁の人々だから当然の対応であろう。 反原発という現体制に対する抵抗勢力が、いとも簡単に国家権力によって逮捕される現実に対しては、何の危機感も持たない人々なのである。主催者が逮捕された理由と言うのはデモ隊を歩道にまで広げた公安条例違反だとか。 この程度でも逮捕する理由付けになるというのが、いずれは自分たちにも還って来る現実が予想できていないのだろうか。国家権力側からすれば、原発推進を唱える所謂保守と称される人々の方が、遥かに要注意の対象になっていることが分からないのか。 昨年の渋谷デモの際にも書いたが、デモ隊に乱入した在日朝鮮人に対し、デモ隊側から「警察は何をやっている。早く逮捕しろ」、との罵声が飛ばされたが、反対勢力から身を守るのは自己責任。安易に警察権力を介入させるべきではない。 警察権力を介入させるのが当たり前となれば、我々が左翼・反日勢力のデモ・集会に抗議した際に、否応なく警官隊によって排除される訳で、そこには民主主義の片鱗も見られない事になる。 それは米国大使館や支那大使館に対する抗議でもしかり。全ての政治活動が官憲によって規制されて当然と言う社会が構築されていく。だから政治活動に対する刑罰というのは軽いに越したことはない。政治的主張を掲げた非合法の行動に対する司法の判断とは、「自らの主張を通すために、暴力に訴えた行為であり、厳罰に処するべきである」、として重罰を下すのが常となっている。 本来であれば「自らの経済的利益のため」、「己の性的欲求を満たすため」の犯罪に比べれば、減刑されてしかるべきところ、現実はその逆である。これは、国家権力を掌握する現体制からすれば当然の帰結である。体制側がもっとも恐れるのは私利私欲に捉われない、国家改革勢力である。現体制が崩壊して自分達の既得権益が奪われることを最も危惧している。 そういった意味では、自らの性的欲求を満たすために幼女を誘拐殺害した犯人の方が安全であるから、こういった輩に対しても死刑判決が下されることは、まずありえない。 所謂保守と称される人々の訴える原発推進とは思想運動に立脚した上で、国家のエネルギー政策を論じているものではないだろう。原発事故を契機として盛り上がる、左翼系市民運動に対する反発のようにしか見えない。思想運動であれば、官憲による安易な逮捕が自らの運動に適用されている実態に眼を向けない訳にはいかないからだ。 自分達の行動が規制された時には「不当な弾圧」、と抗議するのに同じことが反対勢力に向けられた時には歓迎しているがどうしてこのような対応がとれるのか。自分達が権力側から如何なる眼で見られているかを冷静に判断できていないのであろう。 10年前に靖国神社に左翼が乱入してきた。今までは「反靖国」を標榜しても神社の敷地内に入る事はなかった。首相小泉による靖国参拝をめぐりこの年から左翼・反日勢力が堂々と境内に入って声を挙げるようになった。 8月の終戦の日の間近、「左翼乱入」の一報を受けて靖国神社に急行すると大村益次郎像の前で30人ほどのヘルメットにタオルで覆面の集団がハンドマイクで「反靖国」の集会を開催。中核派だ。周りは機動隊が楯を持って丸く取り囲み、外部からの抗議を遠ざけている。右翼団体や保守系の人々が「やめろ」「やめさせろ」、と訴えているが警官によって押し戻されている。現着したばかりの私は通行人の振りをしてゆっくりと周囲を徒歩で通過。機動隊の楯と楯の間に隙間が生じ一瞬に飛び込んで行って、演説者に体当たり、マイクのコードを引きちぎった。周囲の者が覆いかぶさってきて転倒したところに警官隊が入って、離れた所に隔離された。 現場にいた公安が「被害者」側に事情聴取。相手が告訴すれば威力業務妨害・器物損壊は当然だろう。しかし、そこは中核派。告訴しないで集会を中止して、その場を立ち去った。で、私は放免されたわけだ。 彼等は立場上は反対の位置にいるけれども、彼等なりに思想を持って行動している。そして、安易に警察権力を介入させることが、長い眼で見れば自分達の運動にマイナスであることを知っている。それは長年に渡って反体制の立場で活動として経験がある。 社会運動を実践するにおいて、自分の立ち居地は何処なのか。現体制とそれに追随する暴力装置であるところの国家権力とは、如何なる位置関係にあるのか熟考することが肝要なのである。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

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