タグ別アーカイブ: プロパガンダ

必要なのは「研究用原子炉」である(追記)

原子力発電と「研究用原子炉」の峻別を 「原発を維持する」の文言(10月1日投稿記事)に誤解を招く曖昧さがあるので、松本英志さんから寄せられた一文を掲載すると共に補足・訂正をいたします。 ① 原発は維持する必要がある。それは周辺諸国が推進並びに維持している状況を考え、国家の安全保障上、彼の国の事故による波及・被害などに即応できる体制は不可欠だからである。この目的に添えば、原発は発電量や立地条件など極めて限定的となる。原発を増設するなど、福島の事故処理さえ見通しが立たないなか、狂気の沙汰としか言いようがない。 ↓ 【 訂 正 】  原子力発電所(いわゆる原発)はいらないが、原子炉は維持する必要がある。それは周辺諸国が原発を推進並びに維持している状況を考え、国家の安全保障上、彼の国の事故による波及・被害などに即応できる体制が不可欠だからである。  日本における原子力発電の歴史と現状をかいま見れば、何から何まで虚構の上に築き上げられた幻想であることが分かった。「電力会社を頂点として己の権益を『保守』したい側が垂れ流し続けたプロパガンダを、ついに大事故が起こるまで見抜けなかった迂闊さを潔く猛省しなければならない」(※ 野村旗守『原発とは完成された巨大な利権共同体』)のである。福島の事故処理さえ見通しが立たないなか、原発を増設するなど狂気の沙汰としか言いようがない。   http://nipponism.net/wordpress/?p=3969『原発とは完成された巨大な利権共同体』(野村旗守) 投稿 維持するのは「原発事故への対処・防御体制」、原子力発電ではない 平成23年10月3日 松本英志   【追求すべきは(他国による)原発事故への対処・防御体制】 ①に関して、その主旨はあくまでも「他国の原発事故による波及・被害に即応する体制の保持」にあると思われるが、ややもすればその主旨とは逆の解釈を招く恐れもあると思われたので、以下に私の見解を述べさせていただく。 他国の原発事故による波及・被害に即応する体制の保持に必要なのは「原発事故への対処・防御体制」であり、「自国による原発運営体制」ではない。これは「他国からの軍事侵略への対応体制」とは「他国からの軍事侵略に対する国防体制」であり、「自国による他国への軍事侵略体制」ではないのと同じである。 原発運営を「攻撃」に、原発事故対応を「防御」に例えてみればわかりやすいであろう。 つまり、日本に必要なのは「(他国による)原発事故への対処・防御体制」であり、「自国による原発運営体制」ではない。ところが、実際に日本が行なっているのは「他国ではない自国の原発事故への対処・防御体制」すらできていないというお粗末な「原発安全保障・危機管理能力が欠如した体制」のままで、全く不要な「原発運営」を行なっているという本末転倒というべきやり方である。 すなわち、「防御」は考えずに「攻撃」だけを考えている、というかつての大日本帝国軍部が犯した「致命的な誤り」を繰り返しているのである。大東亜戦争の敗戦と大日本帝国崩壊の根本要因を全く総括していない日本人の発想欠陥を、ここにも如実に観て取ることができる。 【被爆国日本にふさわしい課題とは】 さらには、「この目的に添えば、原発は発電量や立地条件など極めて限定的となる」に関しては、日本にとって不可欠なものとは「原発」すなわち「原子力による発電」事業ではなく「原子力技術の研究・開発」である。 「原子力技術の研究・開発」にもむろん原子炉は必要であるが、それには研究用の小型炉で事足り、大量の電力供給のために大型炉を必要とする発電用原子炉に比べて、万一、不測の事故が発生してもその被害ははるかに小さくて済む。むろん、たとえ研究用の小型炉であっても、その運転管理と事故防止における安全管理体制に万全を期さねばならない点では全く同じであるが。 この研究・開発には「他国による原発事故への対処・防御体制」の研究開発と実装も当然に含まれている。というよりも、この研究・開発において日本がその中心課題として真っ先に取り組むべきものとは、まさに「原子力・放射能の危険・災害に対する総合的な回避・防御技術の研究・開発」であろう。 これこそ被爆国日本にふさわしい原子力研究の一大テーマなのであり、また、世界でもトップレベルのそうした技術ノウハウを開発すれば、日本の優れた技術ノウハウとして世界にアピールすることができる。さらには、それを「原子力災害総合対策システム」というセキュリティ・ビジネスにすることもできよう。 【危機を転じて日本再生を】 アメリカのGE(ゼネラルエレクトリック)やフランスのアレバの二番煎じに甘んじてばかりいるから、日本は原子力で米仏や英のいい金づるにされながら、その実、見下されているわけで、同じ原子力をやるならば、米仏の向こうを張って「原子力セキュリティ」で世界一を目指すくらいの気概はないのか、と「米仏の二番煎じ路線」にばかり血道を上げている「日本の原発信者」たちには言っておきたい。 日本の原子力セキュリティ・システムが世界ブランドになれば、それこそ日本経済復活のための大いなる牽引力となれるはずである。 目先の既存の利権にしか目が届かない経団連や経産省官僚、原発利権政治家連中がダメなのは、こうした発展的な発想が全くできないからである。これでは新しいビジネスを創造して日本経済復興の道に進むこともできずに、欧米諸国どころか中共にすら先を越されてしまって、その後追いをする羽目になってしまうのも当然というものである。 【峻別する要点】 最大のポイントは、「原子力技術の研究・開発」と「原子力発電」とを混同しないことにある。 「地震・津波・火山・台風」という天災四天王を有する日本列島、という地政学的条件に照らせば、日本における安全な原発運営は不可能、という結論しか出て来ない。よって、限定的であっても日本での「安全な原発運営」はこの地政学的条件から観て不可能なのである。 また、「他の発電手法」によって日本の電力需要は完全に賄えるので、「原子炉による発電=原発」を行なわねばならない根拠は全くない。よって、日本に原発は100%不要という結論となる。 であるならば、この不利な条件を逆手に取って他国には真似のできない「天災四天王国・日本」ならではの「原子力災害総合対策システム」を開発し、世界最高レベルの「原子力セキュリティ・システム」という日本ブランドをこそ確立すべきではないのか。 そのために必要なのは「原発」ではなく、高度なレベルの「原子力技術の研究・開発」である。 ←絶滅を免れた日本人を一人でも増やす為にクリックを!  

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

出来損ないの“産経抄”

被爆者の神経を逆なでする「産経抄」 「産経抄」ではなく最低抄だ 産経新聞の8月19日付け「産経抄」が、被爆の危険性を訴える母親に自己責任を説いている。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110819/dst11081902590000-n1.htm 【産経抄】8月19日  米アリゾナ州にある大渓谷グランド・キャニオンには、転落防止の柵がない。民主党の小沢一郎元代表はかつて著書のなかで、この事実を例にとり、個人に自立を促す「日本改造計画」を唱えたものだ。ただし日本では、事件や事故が起こってから、初めて柵の有無がわかる場合が多いのではないか。  ▼数カ月前に焼き肉チェーン店で、ユッケを食べた客が次々に食中毒を起こし死者も出た事件では、実はユッケの材料が、加熱用の牛肉だった。そもそも、厚生労働省の衛生基準に基づく「生食用」の牛肉が、市場にほとんど出回っていない事実を、どれだけの人が知っていただろう。  ▼浜松市の天竜川で起きた、川下り船の転覆事故では、乗客が救命胴衣を着けていたかどうかが焦点となった。法律では、12歳未満の乗客に着用を義務づけている。運航会社によれば、大人の安全対策として、救命クッションを備えていた。  ▼ところがその後、「暑いので置いておいていい」と、乗船前に船頭が子供に説明していたことも、明らかになった。あったはずの柵が、引き抜かれていたわけだ。運航会社の責任は、厳しく問われるべきだろう。  ▼柵について論議が必要な危険な場所は、われわれの身の回りにもたくさんある。たとえば、小学生が猛スピードの自転車で駆け抜ける歩道もそのひとつだ。歩行者に対して加害者になりうる彼らだが、転倒して大けがを負う可能性だってある。  ▼それなのに、道路交通法で努力義務として規定されている、ヘルメットをかぶった姿をほとんど見かけたことがない。放射能がわが子の健康に及ぼす危険性について、心配するお母さんがあれだけ多いというのに、不思議でしかたがない。 回りくどい文章だが、論旨は焼き肉の食中毒事件、天竜川での転覆事故などを例に挙げ、安全策が蔑(ないがし)ろにされている現実を指摘して、“事故”責任のあり方を説いている。 つまり、「人は事故に遭遇して、初めてその対策を考える」のだと言いたいらしい。 ところがどうしたことか、歩道を自転車で駆け抜ける子供らに触れ、道交法の努力義務に関わる危険性を指摘し、最後のまとめにしている。 産経抄は“落ち”にしようとしたのかも知れないが、落ちどころか、なぜ?という違和感しか残らない。 福島第一事故で福島県内の子供の尿からセシウムや放射性ヨウ素が検出されている。政府と東電の無為無策、情報隠蔽で本来絶対あってはならない住民と成長期の子供達の多くが、無防備なまま長期間に亘って被爆した。母親たちが抱く不安は計り知れない。 ↓ 甲状腺被爆、子どもの45% (朝日新聞8月18日) 東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐり、政府の原子力災害対策本部は17日、福島県の子ども約1150人を対象にした甲状腺の内部被曝(ひばく)検査で、45%で被曝が確認されていたことを明らかにした。17日、同県いわき市で開かれた説明会で発表した。すぐに医療措置が必要な値ではないと判断されているが、低い線量の被曝は不明な点も多く、長期的に見守る必要がある ↓以下参照 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201108170394.html 上記の報道は朝日新聞ばかりではなく、他のメディアも多数が報道した。よもや、「産経抄」が政府の原子力災害対策本部が公表した被爆データを知らぬわけではあるまい。 絶対安全で、絶対に起こらないのが原発事故だった。その事故による被爆は「自己責任」でも何でもない。「産経抄」は一方的に被爆した子供とその母親たちに、何の責任があると言いたいのか。原発推進に立つサンケイ新聞による、18日の「甲状腺被爆、子どもの45%」(朝日新聞8月18日)に対する当てこすりだったのか。 自転車の歩道通行と子どもの被爆を「自己責任」だと一括りするとは、開いた口がふさがらない。出来そこないの当てこすりは質が悪すぎる。 「産経抄」に忠告する!転落防止の柵を能書きするよりも、己が「最低抄」に転落しないような「策」こそ真剣に考えるべきだろう。 停電を煽る喧噪が鳴りを潜めてしまった感のある八月だが、日本に止めを刺しているのが電力不足ではなく実は円高だ。政治家の無策のまま、日本の先行きが全く見えない。 そうしたなか、季節だけは正確に時間を刻み、秋へと歩みを進めている。ふと気づくと、花屋の店頭にはいつの間にか秋の草花が飾られて、九月の準備に余念がない。 力欠く暑さを衝いて店頭に秋の華やぎ先取るコスモス 下記は『國民新聞』に掲載された野村旗守氏(ジャーナリスト)の一文です。原発という利権が単に巨大なばかりではなく、極めて精緻に完成された共同体であることに光をあてた必読文であります。  原発とは完成された巨大な利権共同体 事故で明らかになった一蓮托生の村社会 野村旗守(ジャーナリスト)『國民新聞』第19166号    ※見出し、小見出し共に主権回復を目指す会事務局による   【老後の世話まで焼く原発村】  北は北海道から南は沖縄まで、日本には地域ごとに10社の電力会社があって、それぞれが担当地域ごとに電力の独占供給をおこなっている。すなわち、利用者である我々日本国民には、電力会社を選ぶ権利がない。これが電力会社にとってまず最大の利権である。発電と送電を地域内一社が独占しているので、技術競合も価格競争も起きない。  この地域独占の旨みを保持するため、電力各社は監督官庁である経済産業省の顔色をうかがう。したがって、天下りを大量に受け入れる。本社のみならず、必要性もよくわからない関連団体や研究機関などをたくさん作って、役人たちの再就職先の世話を焼いていた。わが国には「原子力○○」と名のついた公益法人の類がゴマンとある。まさにエネルギー行政と電力業界は一蓮托生の関係であり、経産省の前身である旧通産省が「これからは原発だ!」と号令をかければ、業界側はNOとは言いにくい雰囲気があったのだ。そして逆もまた真なり。原子力の安全性を担保する立場の経産省は電力各社とべったり癒着して各社原発の事故隠しに奔走する。何しろ、原発施設の安全点検をおこなう使命の原子力安全保安院は経産省のビルに入って、おんぶに抱っこで老後の世話まで焼いてもらっていた。  電力各社はまた、新聞・テレビは言うに及ばず、ラジオ・雑誌・ネットメディアの有力広告主でもある。だからマスコミは原子力の危険性を報じない。この事実は現在広く知られるようになったが、それも福島原発の事故があったからこそである。 【隠蔽・懐柔工作に専念するマスコミと御用学者】  わが国の原発を「夢の新技術」と最初に煽ったのは読売新聞だった。当時の社長・正力松太郎はその後衆議院議員となり、初代原子力委員会委員長、科学技術庁長官を歴任する。以降も、原発業界のメディア工作は連綿と続き、今回の事故が起こるまでは、原発の危険性を告発する類の調査報道が陽の目を見ることはほとんどなかった。同時に業界が進めたのが、原子力やエネルギーの専門家たちに対する懐柔工作だった。有名大学等の原子力研究機関には、ほぼ例外なく、研究費の名目で電力各社から億単位の“原発マネー”が渡っていた。専門家を称する研究者のほとんどは、原発の危険性を知りつつ口をつぐんできたというわけだ。  電力会社は原子力産業に年間約2兆円もの資金を注ぎ込み、国も同様に約4500億円の予算をつけている。約2・5兆円の巨大市場である。原発の建設から廃炉にいたるまでには100年間の時間を要し、そこにさまざまな人間関係や業者、関連企業などのが入り込む。まず用地の選定。当然のことながら地元選出の政治家が動く。そして年の買収と造成。ここではゼネコンが動く。原発を1基つくるのには3000億~5000億円が必要と言われ、そこに使用される部品類は数万点。当然のことながら各種メーカーが総動員される。ウラン遠慮の調達には商社が介在し、その他、輸送業者、警備会社、研究団体など、500以上の企業や機関が原発に関わる。 … 続きを読む

カテゴリー: つれづれ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

閑古鳥が鳴く8月6日の米国大使館前

米国の戦争犯罪を糾弾できない保守派の痴呆 長崎原爆忌日(9日)、愛国保守は米国大使館前に集合を 8月6日、米国が広島に原爆を投下して66年目を迎えた。一瞬にして14万人が殺戮された。その後の原爆後遺症で約6万人が死亡している。 当時の広島市の推定人口が約34万人、人類史上に銘記される米国の犯した戦争犯罪である。 日本軍の軍事的抵抗が無力化した状況下において、米国は日本列島各地に爆撃を繰り返し、非戦闘員の殺戮を目的に無差別な空襲を欲しいままに展開した。東京大空襲に続く8月6日の広島と9日の長崎はその集大成として行われた。 『残忍な人たち ~ なぜ原爆を落としたか』 (週刊新潮●変見自在) 2005年8月11・18日号高山正之(帝京大教授) 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。   真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。   確かに、米軍パイロットはそういうことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。   二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。   教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。   米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は①直径3マイルを超える都市で②かつ有効な損害を与えられる地形をもち③通常爆弾による爆撃をしていないことが条件だった。   これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。   広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。   米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。   鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。   8月6日に考えてみることは多い。 愛国とはわが祖国の同胞を守り、愛することではないのか。その同胞が非道極まる残虐な殺戮をされた。 保守派は映画『凛として愛』を高く評価し、映像空間のお話に陶酔するが、愛するということは抽象ではなく行動を伴う。同胞を殺戮した相手を憎み、殺戮された同胞の無念を晴らすことが愛なのである。 原爆投下は日本人殺戮の集大成、8月6日はその象徴たる忌日、日本人であるならば忘れてはならない日である。そして8月6日の米国大使館は、戦争犯罪を追及する日本人によって幾重にも包囲され、同胞の恨みを晴らす糾弾の声が飛び交うのである。愛国を語る保守派が一堂に会する忌日ではないのか。 しかしながら今年も米国大使館前は穏やかそのもので、土曜日ということもあって閑古鳥が鳴く静けさであった。その静けさは、日本人が死滅したかのような不気味な静寂であった。 そうした中で、主権回復を目指す会は恒例ともなっている8月6日の原爆忌日、米国大使館下に集合し、「広島原爆投下66周年 米国の戦争犯罪を許すな!」の抗議集会を開いた。 【動画】広島の恨みを忘れるな!米国の原爆投下に時効はない youtube http://www.youtube.com/playlist?list=PL05C533FA81756A62 ニコニコ動画 … 続きを読む

カテゴリー: お知らせ, 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

「原発原理主義」を煽る産経新聞

日本列島を原発で食いつぶすな! 原発を巡る議論を概観して思うこと、腑に落ちないことは反・推進双方に幾つかあるが、推進を唱える側に、反原発派から提起された問題にしっかりと向き合う姿勢がなさすぎる。 ←左写真:2008年4月12日、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場前で、核燃再処理に抗議する日仏デモ隊(クリック拡大) 数学の公式も同じであるが、複雑な物事も突き詰めていけば極めてシンプルな論理で説明できる。 推進派に突き付ける問いが 電力の確保に原発が必至ならば、推進派は首都圏のお台場や新宿中央公園に設置すればいい。瀬戸内海の淡路島か小豆島になぜ設置しない。 これらは反原発派が以前から、推進派に突き付けてきた極めてシンプルな問いだが、スルーされて来ている。保守派は、この問いに「あれは左翼」の一括りで、頬被りして来ているが、論争において明らかな敗北である。厭なことは「左翼」で片づける精神的勝利方法、阿Q精神の真骨頂である。 さらに原子力発電所から出る放射性廃棄物だが、廃棄物の最終的な処分対策・技術は未だ完全に確立してはおらず、日本では六ヶ所村に“放置”されたまま、二万年以上にわたって、この猛毒を後世に遺産として残していくのである。   →右写真:六ヶ所村    (猛毒の放射性廃棄物を恐る恐る運び込む作業員たち) 東西に狭く、人口に比して陸地面積の少ない日本列島を核廃棄物に汚させていいのか。今現在を、電気の恩恵に与るだけ与り、「後は野となれ山となれ」でいいのか。先人が築き上げてきたこの日本列島を、放蕩息子のように原発で食いつぶしていいのか。 原発推進の保守派は、「低放射能健康説」のような姑息な詭弁を弄するのではなく、反原発の素朴な問いに真摯に向き合うべきである。事実から目を背け続ければ、「原発原理主義」に陥ってしまう。 因みに、縄文時代の草創期が約一万五千年 から一万二千年前、放射性廃棄物の減衰期間二万数千年。 【参考】産経新聞(7月9日) 日本経済沈没の危機 原発ストレステスト、産業空洞化加速の恐れ http://sankei.jp.msn.com/life/news/110708/trd11070822020015-n1.htm 閣内不一致 経産相は再稼働に筋通せ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110709/plc11070903020003-n1.htm 産経は原発推進派として、今夏、電力不足で国民生活が危機的状況に陥るとして煽っていたが、電力不足は節電や、何よりも休止施設の稼働でほぼ解消している。 夏場でさえ乗り越えられるのに、冬場の「電力不足」を煽るに至っては、もはや強請り、たかりの恫喝と言っていい。産経新聞は「産業空洞化加速の恐れ」よりも、保守派メディアとして己の空洞化こそ危惧すべきだろう。  ←左:産経新聞本社(一面のガラス張りはクーラー代が馬鹿にならないだろう) ストレステストは、欧州連合(EU)が福島の事故を深刻に受け、加盟国の原発を対象に、重要項目を挙げて種種の機能を検査する緊急テストのことをいう。 我が国はどうか。福島の事故は事故の検証・対策はおろか、収束の見通しさえ立っていない。他の五十の原発においても然りである。 菅政権の手続き上の問題や失策は大いに批判を浴びるべきだろうが、ストレステストは国家存続の上で実施しなければならない重要事項である。 主権回復を目指す会の活動に参加されている松本英志さんから、産経新聞(7月9日)の原発推進記事に批判投稿が寄せられたので紹介する。 サンケイの「始めに原発ありき」論法を糾す! 投稿 松本英志   サンケイの論調とは、「始めに原発ありき」というお定まりのお仕着せ論法の繰り返しでしかない。その低レベルな子供騙しの論調にはあきれ返るばか りである。 相も変わらず「資源のない日本は国策として原子力に頼り」とくる。 燃料のウランを100%輸入に頼っている日本の原発が、どうして「資源のない日本の電力・エネルギー問題の打開策」となり得るのか? なる訳があるまい。こんなことは小学生でもわかることである。 要するに、燃料を輸入に頼っているという点で、原発は火力発電(石炭、石油、LNG)と全く同じなのであり、何ら火力発電に代わる「電力・エネルギー資源の自給問題」の解決策にはなりようがない! その上で、これまた相も変わらず「電力=原発」などという使い古された似非論法を性懲りも無く展開している。 原発など発電の一方式にすぎず、「電力=原発」でないことなど常識で考えればわかることである。さらには「火力・水力発電を半数近くも止めて意図的に電力不足を作り出し、それを強引に原発に置き換えてきた」ことなど、もはや周知となりつつある。 要するに、当初から「火力・水力だけでは電力を賄えないから原発が必要」になったのではなく、「原発を推進するために、わざと火力・水力を半分も止めてきた」というのが日本の原発政策の実態である。 その実態を隠して「原発がなくなれば電力が不足する」と、似非プロパガンダで国民を騙し続けてきたに過ぎない。 原発の総コストは莫大な額に上る。そして、その莫大な総コストは「総括原価方式」によって全てが電気料金に反映されるから、原発の電気料金が安かろうはずがない。よって、まともに原価計算をすれば原発の電気料金は火力・水力よりも倍近くも高いというのが実態である。これをイカサマな計算方式を採用することによって、「原発の電気料金は火力・水力よりも安い」と国民を騙し続けてきたのだから、まさに「国策詐欺」である。 すなわち、日本の原発政策というのは、ほとんど全てが嘘で国民を騙して推進してきたもの、と断じて全く差し支えの無いシロモノなのである。 また、「電力=原発」などという似非論法を土台にして、 … 続きを読む

カテゴリー: 時評 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。
55 / 55« 先頭...102030...5152535455