毎週決行!水曜日に大阪韓国領事館前に集合を!
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【ニッポンの紛争地帯をゆく:知ってる? 韓国大使館への抗議で、やってはいけないこと】http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1111/22/news004.html [窪田順生,Business Media 誠 平成23年11月22日] |
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毎週決行!水曜日に大阪韓国領事館前に集合を!
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【ニッポンの紛争地帯をゆく:知ってる? 韓国大使館への抗議で、やってはいけないこと】http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1111/22/news004.html [窪田順生,Business Media 誠 平成23年11月22日] |
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| 敢えて“極論”を!親が守らなかった子供の命 |
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前回の大津いじめ事件では敢えて自殺した少年の親について触れなかったが、新聞その他のメディアで種種の情報が明らかになっているので、今一度、このイジメ事件について触れてみたい。
マスコミ、ネット界隈では学校、市教委の無責任と不手際をバッシングすることで溜飲を下げ、悦に入っているが、これもまたイジメの構図に似ていて些か見苦しく思ってしまう。 誰も触れようとしないが、自殺に追い込まれた少年の親の「問題」について言及して見たい。 |
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前回と重複するがイジメ事件は通り魔的な偶発事件ではない。ある限定された社会的空間で、恒常的に特定の人物の精神並びに肉体に加えられる暴力行為である。
【親の「問題」になぜ触れないのか】
自殺した少年A君は両親と別居していたのではない。日々、寝食を両親と共に家庭で過ごしていたのである。自殺はかなり強度の精神障害がもたらす結果である。だとすれば、家庭における日常生活でも、A君の挙動などに相当な兆候があったに違いない。その兆候がなかったとの見解だが、兆候はあったが、それを認識する感性がその親に欠けていたのではないのか。
下記は産経新聞の報道 ↓
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大津いじめ 父親が「金遣い荒い」と2回相談 学校側は「家庭の問題」
(経新聞 7月23日(月)7時55分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120723-00000087-san-soci |
要約すると
| 1 | 学校側が自殺前の昨年9月、父親(47)から男子の金遣いについて相談を2回受けた。 |
| 2 | しかし父親が「息子には言わないでほしい」と話したため、学校側は調査しなかった。 |
| 3 | 父親は「金遣いについては児童相談所にも話をしたい。息子に知られると警戒する」として男子への口止めを求めた。 |
| 4 | 市教委幹部は、「学校側は、父親の意向を最大限尊重したため、本人や友人らに直接聞く調査ができなかった。金遣いは家庭の問題であり、立ち入って調べるのは難しかった」と説明した。 |
なお、これ以外に、親族の経営する店からもA君は多額の金を持ち出している。
【真っ当だった市教委の判断】
中学生には分不相応な金額、その大金の浪費と持ち出しの実態を親は知っていたのである。単なる実態ではなく異常な事態である。この異常は誰の異常でもなく、A君とその家庭にとっての異常事態である。ところが、何を勘違いしているのか、親はA君に異常を問い質すのではなく、学校に調査を依頼したのである。
この段階で、親は何か尋常でない異変を察知した。この尋常ではない異変の当事者はA君と親であって、第三者機関である学校とか市教委ではない。しかし、親が子供の異常事態を、自らではなく他人へその解決を依頼したのである。子を持つ親としての責任は何処へ行ったのか。この場合の責任とは子の命を守る親の使命であるが、極めて希薄で他人事にしか感じられない。
しかも、A君の親は学校と市教委に異常事態を相談しながら、肝心の「息子には言わないでほしい」と口止めまでしている。これを受けて学校も市教委も、「父親の意向を最大限尊重したため、本人や友人らに直接聞く調査ができなかった。金遣いは家庭の問題であり、立ち入って調べるのは難しかった」と判断した。
この判断は真っ当である。これの何処に批判される理由があるのか。「家庭にも問題がある」(市教委)との見解は正鵠を射ているのではないのか。なぜ学校と市教委が一方的にバッシングされなければならないのか。こんなのは相談でも何でもなく、ただの泣き言にしか過ぎない。身を挺して子を守る親の意志を感じ取ることがどうして出来ようか。
【親に絶望した少年】
最終的に子を守るのは第三者ではなく、親自身である。状況からして、家庭内で頻繁に発したであろう異常を知らせる“信号”を、親は知っていながらこれを無視したのである。身を挺して、異変に対応をする能力がなかったのかも知れないが。
酷な言い方になるが、A君は親によって自殺に追い込まれてしまった。発する“信号”を受け取ってくれない親に、すがる手だてを失ってA君は絶望したのだろう。日記帳などに書き記したメモの幾つかに、われわれは絶望した少年の心情をうかがい知ることが出来る。
この親にしてこの子の悲劇あり。ただ悲劇に合掌するしかない。
加害者にとってイジメとは「鬱憤晴らし」であって、楽しくなければならない。10回に1回でも、反撃を食らい“傷”を負っては何の「鬱憤晴らし」、楽しみになろうか。二度と手出しなどしない。反撃する“弱者”には絶対手を出さないのがイジメの法則であり、鉄則だ。
イジメの対象は常に集団での最下位に位置する弱者が対象とされる。アバウトな意味ではイジメは絶対に無くならないが、イジメの被害者とならない最大の防御は反撃しかない。
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参考 |
『貝の火』(宮沢賢治)
声明文「『警察官の手本』という不可解-鉄道自殺は犯罪である-」 |
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| 緻密な生態系と日本人の精神構造 |
戦場ヶ原で、日光野アザミにつがいの蝶、短い夏を精一杯生きる |
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アンチ「水曜デモ」の合間を縫って、7月の半ばに気分転換で初夏の奥日光へ。
カラ松の新緑を見るため、前回、奥日光へ行ったのが6月、わずか一ヶ月そこらだが奥日光は、さ緑から濃厚な緑一色に染め上げられていた。 奥日光の戦場ヶ原は標高が約千四百㍍ほど、下界の酷暑を余所にそこは爽やかな別世界。東京から二時間弱の所に広大な湿原や森林が手つかずのまま存在する。貴重きわまりないこの大自然の美しさに触れられる喜びを噛みしめたい。 日本列島全体に通ずる特徴だが、わが国の自然はスケールとそのダイナミックさにおいて決して諸外国に引けを取らない。しかも、その広大な規模でありながら、動植物の生態系が単調でない。日本の自然は多彩で、きめ細かい所に最大の特徴がある。生態系が繊細、緻密なのである。 日本人が自らの文化伝統を語る際、こうしたきめ細かい自然の生態系の上に我々の精神構造が形成されている点を意識したいものである。 この繊細と緻密さだが、ある意味でガラス細工のような脆(もろ)さを内に秘めている。突き詰めて言えば、日本民族は一定の条件下で均衡状態が崩れた時、想定外の脆弱さを露呈してしまうのである。逆に単調は途轍もなくシンプルで強靱だとも言える。 |
奥日光初夏、男体山を背景にシモツケの花 |
戦場ヶ原を縦横する林道、小鳥のさえずりと風の音だけの世界 |
カラ松の林とみやこ笹の群落、チリ一つ無い緑の絨毯 |
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湯川下流付近、滝しぶきが霧となって火照った体を冷やす |
岩肌にオオヤマ苧環(おだまき)が |
原生林に囲まれた中禅寺湖を遠望、標高差二百㍍を湯川の水流が中禅寺湖へ一気に落下する |
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存在の軽 (かろ) さに耐へて健気なる風に揺れ揺るオオヤマ苧環 (おだまき)
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※ おだまき(別名 糸繰草 いとくりそう)の花言葉 「必ず手に入れる」「断固として勝つ」 ※ 『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・クンデラ 集英社文庫) |
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| 大津いじめ事件に重なる日本の屈服外交 |
| 朝日新聞の連載小説『沈黙の町で』(奥田英朗)が今月12日、420回目でおわった。第一回目から欠かさず目を通してきたこの作品は、中学校でのイジメをテーマにした小説でほぼ1年4ヶ月に亘った。
マスコミで毎日に亘って報道されている大津市のイジメ事件が、この小説の中で学校、地域、関係した中学生を始めとした人間像が瓜二つと言って良いくらいに再現されていて驚きであった。大津市のイジメ事件で滋賀県警が、市教委などに強制捜査に入った時期と軌を一にして校了したことにも奇遇を感じた。近々単行本として発刊されるはずである。昨今のイジメを考える上で、上梓された際は是非とも読んで頂きたい。 昭和25年生まれの自分にとってイジメの概念は、漫画『ドラえもん』に登場するジャイアン、のび太、スネ夫らの関係構図で、今ではかなり古典的なイメージの世界観かも知れない。 連載小説『沈黙の町で』を読んで、これまで抱いていたイジメの概念が払拭され、今の時代のイジメの陰湿さを良く把握できた。しかし、子供らがイジメに関わる精神世界は今も昔も同じではないだろうか。 ここでは問題の所在が教師と市教委など、さらに家庭にも在るとした論調の是非には触れない。その上で今回のイジメを考えて見たい。 |
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【市教委に見る日本人の劣化】
大津いじめ事件だが、報道による限られた情報にたよるしかないが、その通りだとすれば教師、市教委などの対応の杜撰、デタラメ振りにただただ唖然とするばかりである。
昨今、日本人の知の劣化があらゆる分野に浸透している現象の一つと認識すれば、教師、市教委などの無責任は何も今に始まったことではなく、日本人の劣化があらゆる分野に浸透している具体例と見ればいい。
大人の結果責任に対する無責任はそのまま子供の世界に反映する。子供の世界には単純に反映するのではない。二重三重に拡大してもっと質(たち)を悪くさせて反映する。複数で、特定の人物への金銭にまで及ぶ恐喝めいた行為などは犯罪であって、警察による毅然とした捜査結果を待つしかないし、それに期待するしかない。
【イジメの最良策は反撃にあり】
そもそもイジメにまつわる事件は、通り魔的な偶発的な一回性の事件と違う。恒常的に特定の人物に対して、精神と肉体に加えられる暴力行為、つまり継続的に、執拗に加えられる暴力である。
自殺した中学生を仮にA君とする。加害者の中学生が始めからA君に犯罪行為となる恐喝を行ったのではない。最初は単純な嫌がらせからだった。初期の嫌がらせに、A君が毅然とした態度で加害者へ対峙しなかった。自分がボコボコにされようがある時点で、暴力をふるう相手の指を食いちぎってやるとか、相手の鼻が骨折する位のパンチを見舞うなどすれば、もう二度と連中はイジメに関わったりしなかったろう。
加害者にとってイジメとは「鬱憤晴らし」であって、楽しくなければならない。10回に1回でも、反撃を食らい“傷”を負っては何の「鬱憤晴らし」、楽しみになろうか。二度と手出しなどしない。反撃する奴には絶対手を出さないのがイジメの世界の法則だ。イジメに対する最大の対策、防御は反撃しかない。
自然界におけるサバンナでも同じである。草食動物が子と群れを守るために角を振り向けて突進すれば、ハイエナやライオンなどの肉食動物でさえたじろぎ退散する。テレビ・ドキュメンタリーで良く目にする光景ではないか。窮鼠(きゅうそ)猫をかむ、皆が知っている。
【イジメを増長させた無抵抗】
当初、A君は加害者へ無抵抗を、さらには迎合する態度で加害者の顔色を伺った。それでイジメが和らぐどころか、ますます加害者を増長させ、イジメが激しくなる。清涼飲料水のおごりに始まって高価な物品へ、行き着く先は金銭まで要求されるなどと、徹底的にしゃぶり尽くされてしまう。
その場その場のイジメを凌(しの)ぐ先送り、事なかれ主義がついにはA君を自殺にまで追い込んでしまった。加害者の肩を持つものではないことを断ってだが、連中はA君が自殺にまで走るとは思いもしなかったろう。
イジメられ自殺までするなら、A君はなぜ加害者を道連れにしなかったのか。死ぬならもろとも、加害者の数人でも道連れにする気力はなかったのかと。
当事者である被害者のA君が声を発しない。発したとしても、その声は余りもか弱くて、危険を知らせる“悲鳴”として周囲に響かなかったか。死者に鞭打つ気は毛頭ないが、諸々の条件下でA君は余りにも弱すぎた。
【イジメと屈服外交の相似形】
A君を日本に、イジメの加害者をシナ、朝鮮に例えればどうなるか。
尖閣、竹島の領土問題、慰安婦強制連行などの歴史問題など、シナ、朝鮮の言いがかりに相手の顔色を伺うその場凌(しの)ぎの対応、問題を先送りする事なかれ主義と無責任、これはわが国の外交を形成する歴史だ。
屈服など迎合が日本に対するシナ、朝鮮の恫喝、強請を止めさせるどころか、ますます連中を増長させて止まない。シナ、朝鮮に対するわが国外交はそっくりそのまま、今回のイジメ事件と相似形を成す。
シナ、朝鮮とて、始めから日本を声高に恫喝、強請ってきたのではない。最初はホンの相手の敷居をまたぐ程度で、わが国の顔色を、反応を伺って小遣いをせびっていたに過ぎない。
しかしA君という日本は、加害者のシナ、朝鮮の言いがかりと嫌がらせに沈黙を守り続け、「謝罪」までして迎合、媚び諂(へつら)ってきた。
結果、加害者のイジメははますますエスカレートし、家の中まで押し入り、金銭の要求までする犯罪行為に発展、この犯罪行為を演出したの他でもない我が日本だ。シナ、朝鮮は、よもやここまで日本が弱いと思いもしなかったろう。相手に譲歩を示せば、後は徹底的にしゃぶられるだけだ。A君がまさしくそうであった。
領土、歴史問題の歪曲はシナ、朝鮮による日本へのイジメである。人であろうが国家間であろうがイジメの本質は同じ、弱ければ、反撃しなければやられるだけである。国家間のイジメは誰も助けてくれない。A君にわが国を例えれば、反撃すらしないで滅亡するだけである。これ以上の屈辱はない。
![]() うだる暑さの中で行われた7月18日(自民党前) |
![]() 暑さに耐えて立ち尽くす(同) |
![]() 保守を詐称する自民党の売国を糾弾(同) |
![]() ここまで罵倒されて腹が立たないのか!(同) |
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【動画】自民党は『河野談話』を白紙撤回せよ!7.18 第7回 |
![]() 恒例の抗議文を大使宛に朗読(韓国大使館前) |
![]() ハングル文も添えて抗議文の投函(同) |
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| 大義を守れ!「京都事件」口頭弁論 |
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7月11日、主権の元関西支部長を務めた中谷辰一郎氏と共に、「京都事件」の口頭弁論で証人として出廷し、主権回復を目指す会の代表として尋問に答えた。 桜井誠君は昨年11月、朝鮮大学校へ抗議に押しかけ、「朝鮮人を殺しに来た」などとトラメガで咆哮した。 その上で、総連の「闇」を告発する大義を、「弱者イジメ」「民族差別」にすり替えさせてはならない。 人間は行き過ぎや失敗はつきものだ。それを如何に反省、総括できるかどうかに全てがかかっている。何も人間社会ばかりではなく、自然界における生存競争においても然りだ。この学習能力がなければ淘汰される。 「反省、総括」の場合、結果の是非から物事を客観的に見つめる素直な心のあり方が問われる。邪(よこしま)な悪意さえなければ失敗を「反省、総括」する作業はそれほど困難ではあるまい。 上記の考えに基づき、主権回復を目指す会は「京都事件」の口頭弁論に臨む。 |
平成24年11月14日(水)14:00 |
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下記は今年の二月に、ソウル放送のインタビューに答えたものだが、在日外国人に対する当会の基本的考えである。 |
| ◆在日についてどう思うか。韓国、韓国人は好きですか。 http://nipponism.net/wordpress/?p=11802 |
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人間は国籍とか民族を選択して生まれることはできない。これは宿命である。誰を恨むこと無く、人間はこの宿命を粛々と受け入れるしかない。また受け入れるべきではないか。在日に関していえば日本列島に生を受け、この国で生きるならば、わが国の文化と伝統を尊重・慈しみ、国家社会のために尽力して頂きたい。腑抜けな日本人に活を入れるため、日本を活性化するうえで、そうした意識を自覚する在日を歓迎することこそあれ、排斥する考えは主権回復を目指す会にはない。 日本、韓国(朝鮮)を問わず、何処の国にも長所と短所があり、それはその国の文化に根ざしたところから生じている。国家、社会条件が違えば一定の条件の下で長所と短所は入れ替わる。単純に好きか嫌いかという問いには答えられない。お互い、「嫌い」を文化の違いと捉える発想と度量が必要なのではないか。 従って、お互いの違いを軽蔑するのではなく、尊重する大きな度量を持ちたい。人に関していえば、我々は国籍を選択できないで出生する。国家間が国益をかけて対峙したとしても、個人と個人が対立するような状況を生じさせてはいけないと思う。慰安婦問題、竹島問題で意見を異に対峙しても、情感は通い合えるということができるように。
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| 陳 述 書(大意) |
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平成24年6月28日
西村修平 【主権回復を目指す会とは】 【京都事件に西村修平は関知せず】 西村修平は、この12月4日の抗議活動については全く関知していなかった。事件前も事件後も彼ら4人からは抗議行動を全く知らされていなかった。動画がネットで流布されて初めて事件の概要を知った。これが事実である。 しかしながら、事件当時、中谷は主権回復を目指す会の関西支部長であり、抗議活動は、主権回復を目指す会を名乗ってなされている。この点は代表の西村修平が関知していなかったとはいえ、主権回復を目指す会としての関与がなかったというつもりはない。逮捕者まで出してしまった事件について団体の代表である私についても責任がないですまされないことは自覚している。 【1月14日の街宣について】 平成21年12月19日、主権回復を目指す会は在特会の桜井誠らとともに東京新聞本社前において抗議集会を行った。平成22年1月13日には大阪のMBS本社前にて抗議集会を行ったうえで、翌14日に勧進橋公園周辺で抗議デモを行った。 当日の抗議デモは、主権回復を目指す会が主宰し、在特会が協賛する形で行われたが、道路使用許可等の段取りは関西支部に任せ、現場の指揮は西村修平が行った。いつものように、1週間前にネットで予告して一般の参加を募った。 当日の抗議デモの一部始終はネット上の動画に記録されており、本裁判でも証拠として提出されている。 警察は抗議デモに密着して我々を監視し、暴発を警戒していたようだが、特段の注意を受けることはなかった。西村修平が行った「朝鮮人は出て行け」などの過激なスローガンが問題とされているが、これは拉致問題に関わった朝鮮総連関係の人たち、北朝鮮の独裁政権の礼賛を行っている人たち、強制連行や従軍慰安婦といった誤った歴史認識を拡散している人たち、そして目の前の公園を不法占拠している人たちを対象としたものであった。在日韓国朝鮮人全般を攻撃する差別的発言として捉えられた 抗議デモの終わり近くで「排除せよ」と繰り返しているが、これは抗議デモに対する妨害や挑発を受けたことから、妨害者に向けて発し、警察に取締を求めたものであり、差別的発言云々とは別物であることをお断りしておく。 【3月28日の街宣について】 この日のデモ行進の前に仮処分が出されていたが、西村修平は、決定を受け取っておらず、詳細は知らなかった。デモ出発地点の南岩本児童公園で警察官からそのことを告げられたが、当日は日曜日であり、授業妨害等にはならないと考え、あえて計画どおりデモ行進を行った。デモ行進は朝鮮総連活動家と思しき男たちによる執拗極まりない暴力的威嚇によって混乱を呈したまま終始した。これら活動家たちはデモ出発地点に終結し、我々に対して威嚇・挑発を加え、デモ隊が進行するにつれ、その人数を加勢し、罵詈雑言を我々に投げつけた。「てめーこの野郎!」「ただじゃ置かねーぞ!」「西村!覚悟しろ!」などなど、身体に危害を加えんとする脅迫的言葉を浴びせ続けたのである。西村修平が発したスローガンが過激になったのもそうした喧嘩的状況があったことを述べておきたい。 今、振り返れば、仮処分に違反することは本意ではなかったが、我々が対峙している朝鮮総連という巨大な組織のことを思えば、多少のリスクを負ってでもやり遂げなければという使命感にかられてしたことであった。 なお、当日、四条河原町付近でカウンターデモがなされたが、これは西村修平の全く関知しないものであった。 【その後の顛末】 ◆中谷>>3月28日についてはデモ当日、朝鮮学校デモ隊の主要な面々は事前に、京都タワー地下の喫茶店に集合、そこで、関西支部の解散と、斉の幹事職の任命、私の関西での役割を「主権窓口」とし、活動方針も「朝鮮学校」「従軍慰安婦」「水曜デモ」の3本に限定するとした方針を指示された。そして、「チーム関西」との共闘を断絶して、少数精鋭で以って運動する方針を指示された。此の指示を受けた数日後、荒巻は西村修平に対し、脱会を告げたと認識している。徳島事件については、ブレノ動画を確認した修平より電話があり、「確実に逮捕がある」とのことから、関西の運動の不参加を厳命された。 【総 括】 本件に照らしていえば、京都事件における「抗議行動」には我々が訴えるところの道義が確かにあった。それは勧進橋公園という公有地が京都朝鮮第一初級学校によって、不法にしかも長期間に亘って占拠され、地域住民による自由な利用が排除されてきたという事実である。我々はそこに朝鮮総連が戦後日本の至るところ、すなわち警察を含めた当局やマスコミ、いわゆる進歩的文化人などに恫喝と供応をもって張りめぐらした利権と癒着の「闇」をみたのだ。 平成22年9月9日、京都簡裁は、京都市の許可なく児童公園にサッカーゴールなどを設置して不法占拠したとして、都市公園法違反の罪で略式起訴された京都朝鮮第一初級学校の前校長に対し、罰金10万円の略式命令を下した。 同校を支配している朝鮮総連は、北朝鮮政府の在日大使館の役割を担う機関であり、朝鮮労働党の指示・指令を受けて活動する北朝鮮の準国家機関、巨大な組織を統率する権力機関である。その能力、資金力は途轍もなく巨大だ。朝鮮総連が朝鮮信用金庫に絡む本国への「不正送金」や「日本人拉致」に深く関わった経緯は、小泉訪朝後の報道や朝鮮総連関係者の証言によって多くの国民が知るところとなった。それ以前から多くの日本人は、この巨大な権力機関に対して言い様のない不安と恐怖感を抱いてきた。この朝鮮総連傘下の京都朝鮮学校が1960年代の半ばから児童公園を、自校の敷地まがいに占拠してきた。近隣の住民から、京都朝鮮学校の不法について相談を受けた4名が、この巨大な権力に対し、何の後ろ盾もない身でありながら勇気を持って抗議したのが事の真実である。 しかしながら、その大義を世に問う手法が、正しいものであったかどうか、世論の賛同を得たかどうかを考えるとき、深く反省するところがある。なんの罪もない子どもたちを巻き込んで学校の運営に支障を来したという事実(愚かな言い訳に聞こえるだろうが、当時、学校で子どもたちが授業を受けていたことに対する配慮やイマジネーションが全く欠けていたというのが実際である。)、そして朝鮮総連や一部のマスコミが流す「弱いものイジメ」や「民族差別」という批判を招き、大義を汚してしまったことを深く反省する。しかし、同時に、朝鮮総連の不法に対峙する抗議活動そのものをヘイトスピーチなどというレッテルを貼って封印しようとする動きには断固として抗議する。 【付言-『ネットと愛国』について】 総じてこの本はネット保守と称される人たちが社会の不条理に疑問を感じて運動の場に出てくる際の経験不足による失敗を一面的に批判して冷たく突き放すではなく、そうした個々人に対する温かい視点をもって人間模様を描きだしている点において好感が持てる。 しかし、例えば、カルデロン一家の不法滞在糾弾のことに触れた箇所があるが、そこでは両親の子供である中学生の長女をターゲットにした「弱いものイジメ」にすり替えられており、問題の本質は、フィリピン人の不法滞在という犯罪を、中学生の子供をダシにして「可哀想」というキャンペーンで隠蔽するマスコミの偽善を糾したことを敢えて見逃している。 同じように、児童公園を不法占拠してきた朝鮮学校への抗議も、「子供イジメ」にすり替えられており、朝鮮学校を支配している朝鮮総連が巨大な権力をもって戦後の日本社会を歪ませてきたことや、我々の抗議活動が、その戦後のタブーに丸腰で挑んだ異議申立てであるという側面には全く触れられていない。朝鮮総連の欺瞞について著者が知らないはずはないが、敢えて触れていないのは、著者が置かれている状況ゆえの限界だと推察され、そのことが残念である。 なお、この本には、西村修平に関する記述がある(p144~154)。それは概ね事実である。 以上 ◆中谷>>この書籍については私も、概ね好感をもっているが、私の部分で、取材時には職業について、「ごみ収集業」であることを伝えているが、記述は「建設業」となっている。是は彼ら、アナーキストが我々を攻撃するのに不都合な事実であるのかとも訝っています。 |
| 陳 述 書(補充) |
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平成24年7月3日
西村修平 平成22年3月28日にはチーム関西がカウンターデモを行った件で中谷辰一を関西支部長から解任し、事実上、関西支部は解散状態となり、続く徳島日教組糾弾事件を動画でみて同年4月20日、ホームページ上に主権回復を目指す会は、3・28カウンターデモと徳島日教組事件には一切関知していないことを宣言し(参考3)、同年5月3日には、ホームページ上で西村斉と荒巻靖彦らを除名した(参考4)。 抗議でデモにおける私が発した「不逞鮮人」という言葉について弁護士から民族差別的な発言ではないかとして釈明を求められているので私の考えを補足しておきたい。 |
7月11日 京都地方裁判所前で
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| 【参考】 声明文「不正を糺す正義の声を圧殺させてはならない」 http://shukenkaifuku.com/past/shuchou/110201.html |
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